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【小説】HMSインペリアル

秋の新人賞に応募しましたが落ちました。
仕方ありません。切り替えていきます。

6月15日大改稿。







「HMSインペリアル」


 1 落日

 かつて繁栄を極めた帝国があった。
 彼らは世界の支配者だった。
 中部地方と西部地方、2つの地域区分のうち、人の住むところは全て帝国の領土だった。また帝国は宇宙空間に浮かぶ自由都市の数々や、遠く離れた月面都市の一部すらも傘下に収めていた。
 世界に名高い大帝国。
 その統治手法は非常に独裁的なものだった。
 仇なす者は切り殺し、歯向かう者には爆弾を落とす。
 皇帝シーマ・スレイブと重臣たちが行った壮絶な恐怖政治は、半世紀以上経った今でも人々の語り草となっている。青と黄色の二色軍旗がたなびく土地において、人はただの家畜だった。
 自由が欲しければ軍人になるしかない。
 私は士官学校に入った。軍人は皇帝の臣下とされていたため、ある程度の自由が許されていた。活発な議論が推奨されていた士官学校には、たとえ皇帝の悪口を言ってしまったとしても厳重注意で済むようなやわらかさがあった。
 人殺しになりたくなかった私は主計科の軍人を選んだ。
 これは資金管理や後方支援を司る仕事だ。小銃を持たずに仕事ができるということで当時から人気があった。
 士官学校を卒業した後、私は参謀本部の資料作成室に配属された。
 毎日パソコンの前に座ってキーボードと格闘する。人は殺さないがパソコンの電源は消す。仕事仲間も温和な者が多く幸せな職場だった。
 資料作成室にいた3年で私は中尉にまで昇進した。ところが昇進と同時に私の職場は戦場へと姿を変えた。
 当時の帝国はいくつもの国と同時に戦争をしていた。強大な帝国は歯向かう弱小国家をどんどん蹴散らしていったが、攻めることに夢中だったため本国を守る兵隊は意外と少なかった。
 そこを襲ってきたのが正木藩兵だった。正木藩は皇帝から爵位をもらった地方領主が治めていた、いわば帝国の手下のようなものだった。身内からの突然の攻撃に帝国軍は総崩れとなった。
 帝国の崩壊は急ピッチで進んだ。正木藩兵は雪崩をうって帝国の首都に突っ込んできた。帝国の主力部隊はみんな宇宙にいたので、地球に戻ってくるのには時間がかかった。会計係の私たちが戦場に出たところで正木藩の本職の軍人たちに勝てるはずもなかった。
 東進する正木藩兵に敵はいなかった。
 やがて首都の攻防が始まった。私たちは小銃を手にとって戦ったが、宮殿に侵入した正木藩兵がシーマ皇帝を捕まえたとの連絡を受けてからは戦う気を喪失した。そもそも私に愛国心なんてものはなかった。自由のために軍人になっただけだった。それは他の兵士たちも同じだった。
 武器を捨てて気楽に街を彷徨っていたところを茶服の正木藩兵が襲ってきた。私たちは両手を挙げて降伏の意を示したが正木藩兵は容赦なく攻撃してきた。彼らは帝国軍人を殺すことに喜びを感じているようだった。世界を支配した帝国を自らの手で壊していく快感に正木藩の連中は酔いしれていた。
 私は逃げ回った。街路の影から姿を隠し、広場の敵兵を手榴弾で吹き飛ばす。必死の逃避行だった。
 そうして逃げ回っているうちに、いつしか私は帝国軍の本部にまでたどり着いていた。
 帝都の中心にそびえ立つ帝国政府本庁『コスモ・ダルマンタワー』は幸いにして無傷だった。あそこにはいざという時のための脱出ロケットがある。そういう話を私は上司から聞いていた。
 タワーはまだ帝国の物だった。守衛の兵士には武器を取ってくると言い訳して、私はタワーの中に入っていった。
 脱出ロケットのある最上階まではエレベーターが通じていた。
 最上階はロケットの発射台となっていた。テレビで見るような重臣の方々が1列に並んでロケットの順番待ちをしている様子はかなり滑稽に見えた。
 所詮は一介の中尉に過ぎない私だが、せっかくここまで来たのだからロケットに乗せてもらおうと考えた。
 私は列の一番後ろに並んだ。重臣の方々は露骨に嫌そうな顔をしていたが、ある男が発した鶴の一声によって私の搭乗は許された。
「我々だけが逃げてもただのジジイの集まりではないか。介護してくれる青年が1人でもいれば老後も安泰だろう。君も乗りたまえ。そうだな。君を我輩の臨時秘書官に任命しよう。それで良いかな諸君」
 男は重臣の方々をあっさり言いくるめた。その挑発的な口ぶりに私は震えた。
 これが私と大将殿の出会いだった。

 男はタラコ・ソース大将と名乗った。テレビや新聞で何度か見たことのある名前だった。
 脱出ロケットを使って宇宙まで逃げ延びた私は、大将殿の命を受けてしばらく身を隠すことになった。
 当時の情勢は最悪だった。正木藩兵は帝国軍の残党狩りを行っていた。会計係とはいえ帝国軍人だった私も残党狩りの対象だった。
 合同して正木藩兵を討つべき帝国軍の主力部隊、すなわち宇宙において宇宙都市や月面都市に攻勢をかけていた帝国艦隊は、いくつかの勢力に分かれてしまい、互いに敵対して争っていた。帝国軍人はみんな頭が腐っていた。
 例外は大将殿くらいだった。大将殿は正木藩の秘密警察から逃げ延びつつ各地にいる帝国の残党たちに話をつけていた。私も命ぜられるままにその手伝いをした。大将殿は帝都の陥落時に帝国の国庫から相当の額を入手していた。脱出ロケットの貨物室には恐るべき質量の金銀が積み上げられていた。そして金塊を渡せば言うことを聞くのが帝国の将校たちだった。
 大将殿から金を受け取った帝国軍人たちは地上に降りて正木藩兵を攻撃した。地上でゲリラ活動を行っていた帝国軍の残党部隊も以前より活発に動くようになった。
 やがてゲリラの攻撃に耐え切れなくなった正木藩兵は帝都から撤退、西部地方の北域にある本国へ逃げ帰った。
 ところがここからが帝国軍人のダメなところだった。
 帝都に入った帝国の残党はそれぞれが新しい帝国を名乗った。シーマ皇帝不在の帝国勢力はあまりに無秩序だった。
 大将殿はこれらの帝国勢力を束ねた後、帝都に臨時政府を作ろうと企んでいたが、残念ながら他の者に先を越されてしまった。
 帝都に新しい政府を築いたのはアーデルン・ヴェルネという男だった。彼は帝国の勃興期から一貫して帝国の支配に抵抗してきた反政府勢力の実力者だった。
 自らの反乱軍を帝都に突入させ、帝国の残党たちを一掃したヴェルネはセルロン政府を設立した。セルロンとは帝都の古い名称だった。
 ヴェルネの反乱軍はセルロン政府軍と名を変えた。彼らセルロン軍はさっそく旧帝国勢力の残党狩りを開始した。同時に旧帝国軍人のセルロン軍への参加を認めた。
 アメとムチを使い分けたこの方策は見事に成功した。
 地上にいた帝国軍人たちは次々とセルロン軍に合流した。宇宙から参加する連中もいた。世界各地にいた帝国の残党はあっという間に衰亡していった。それは大将殿の勢力も同じだった。
 だが大将殿は諦めなかった。自分の部下をセルロン軍に合流させて、内部からかき回そうと画策した。大将殿は皇帝の臣下であり続けた。
 大将殿は20年かけてセルロン軍内部の旧帝国軍人たちから協力を取り付けた。その中にはプータ・モウヒネ主計大佐もいた。かつての私の上司だ。他にも著名な軍人たちが数多く大将殿に味方した。ここに革命の下地は整った。
 後は皇帝さえ取り戻せば、帝国は復活できた。
 シーマ皇帝は紆余曲折を経て月面にいた。帝国軍の残党に狙われることを恐れた正木藩は皇帝を手放していたのだ。
 大将殿はまず月面から皇帝を取り戻すことにした。セルロン軍内部の仲間たちに命じて月面を攻撃させた。
 当時の月面は諸都市が合同して1つの国家――ムーニスタン国となっていた。
 セルロン軍とムーニスタン国軍の戦いは非常に大規模なものとなったが、最終的にはセルロン側の勝利で幕を下ろした。
 ムーニスタンの首都ハレ・ブルーに囚われていたシーマ皇帝は大将殿の手下によって開放された。
 ついに宿願を達成した大将殿は、セルロン軍から離反した旧帝国軍人たちと共に宇宙都市ドストルを攻め落とした。
 大将殿はシーマ皇帝をドストルに移し、宇宙都市ドストルを新たなる帝国の本拠地とした。
 ドストルに建設した宮殿において大将殿は高らかに宣言した。
「ここに我々は帝国の復活を宣言する! 皇帝陛下に永遠の忠誠を!」
 この式典には私も参加した。大将殿の秘書官なのだから当たり前だ。
 シーマ皇帝とも接見させてもらったがただのおじいさんだった。一代で帝国を築いた野心家だと聞いていたのでそれなりに期待していたのだが、皇帝の覇気は老化によって失われていた。
 いろいろと恥をかかされたセルロン政府は新しい帝国に宣戦を布告した。
 新しい帝国軍はその軍事力のほとんどをセルロン製の武器に頼っていた。正確にはセルロンに本拠を置く企業で作られた武器だった。帝国軍の主力部隊はセルロンから離反した連中だったので、当たり前といえばそうだ。
 かつての帝国軍は優れた兵器の力をもって敵対勢力を粉砕してきた。ところが今回の戦争はそうではなかった。相手はセルロン政府軍、もちろんセルロン製の武器を使ってきた。
 つまり彼我の兵器の間に性能差はほとんど無かった。
 帝国軍とセルロン軍の戦いは単なる国力の争いになった。
 両者とも新しい武器を開発して戦場に投入したのだが、元々が同じレベルの技術力だったため大した性能差は生まれなかった。
 広々とした地球の土地を持つセルロン軍は、矮小な宇宙都市を領土とする帝国軍を次第に押し出していった。セルロン軍からすれば「大将殿の帝国軍」はただの反乱勢力の1つに過ぎないようだった。
 焦った大将殿は宇宙都市ドストルを巨大な戦艦に改造した。邪魔になったドストルの住民はみんな地上に追い出された。この判断が全ての失敗の元となり、のちのちの災厄の原因となった。
 故郷を奪われたドストルの住民たちはドストル義勇軍を結成した。これに目をつけたセルロン軍は彼らを前線部隊に組み入れた。
 ドストル義勇軍は自分たちの家を取り戻すため果敢に戦った。帝国の宇宙艦隊は彼らの手によって次々と撃破された。戦力を失った帝国軍は宇宙都市ドストルに立てこもった。義勇軍がドストル内部に侵入してきたところで、帝国軍はついに瓦解した。
 皇帝を見捨てて逃亡していく帝国兵。大将殿は必死になって自軍の離散を防ごうとしたが、帝国軍人の脱走は収まりそうになかった。
 大将殿は戦いに敗れたことを認識した。
 ドストルから逃げ出す決心をした大将殿はシーマ皇帝と共に脱出艇に乗り込んだ。秘書官の私も同行した。
 脱出艇で戦場から抜け出した大将殿は、最後のあがきに宇宙都市ドストルを爆破した。内部に侵入していたセルロン軍部隊や義勇軍部隊を巻き添えに大爆発を起こした宇宙都市ドストルの様子は、長らく続いた帝国の歴史の最後を飾る盛大な花火だった。脱出艇から宇宙都市の爆発を眺めていた大将殿は珍しく涙を流していた。
 大将殿が30年かけて復活させた帝国は、たった3年ほどで滅亡してしまった。
 その後、シーマ皇帝も老衰で息を引き取り、帝国はその存在意義を失った。
 ドストルから逃げ出した帝国軍人たちのほとんどはセルロン軍に投降した。
 いくつかの帝国軍残党部隊は地上や宇宙空間に拠点を築いて根強く抵抗したが、いずれもセルロン軍の討伐を受けた。
 また抵抗を続ける帝国軍人は国際指名手配犯の扱いだったため、世界中の捜査当局が大将殿の身柄を狙った。
 私と大将殿は国際警察機関に加盟していないムーニスタンへと逃げ込んだ。大将殿はムーニスタンのテレビ番組を買い取り、セルロン軍内部の元帝国軍人たちに再度の蜂起を呼びかけたが、芳しい成果は得られなかった。
 そうしているうちに年月は過ぎ去って、帝国の時代を知らない子供たちが大人となり、社会の中心を成すようになっていった。
 私と大将殿は時代に取り残された老人となった。帝国軍の残党も年をくった兵士ばかりになった。
 こうなっては帝国の再興など不可能だった。
 全てを失った老兵たちの胸中は恨みの心でいっぱいだった。
「ドストル義勇軍が憎い。帝国を滅ぼしたドストル市民が憎い!」
 不思議とセルロン政府への恨み節は唱えられなかった。セルロン政府の上層部が帝国出身者で占められていたからだろうか。理由はわからない。
 私には彼らの気持ちはわからなかった。私は大将殿に付いてきただけで、帝国に愛着などなかった。
 いろいろ頑張って生き残った。もう年だ。
 このまま死んでしまってもいい。私自身はそういう気持ちでいた。
 だが大将殿は違った。大将殿はまだ諦めていなかった。
「帝国の復興が難しいのならば、せめて死ぬ前にドストル人どもに一泡吹かせてやろう。我ら帝国が滅びる原因になったドストルの住民を絶望の渦に閉じ込めてやろう!」
 ドストルの住民たちは大将殿が引き起こした大爆発によって自分たちの住処を失っていた。セルロン政府は難民となった彼らを7隻の移民船に搭乗させた。セルロン政府のフォ・ルセ首相は地上のセルロン領から難民を追い出すことで国内の治安を改善させようと考えていたらしい。
 ドストル難民200万人を乗せた移民船団は冥王星への移住を目指した。
 ところが船団が地球圏を脱したあたりでドストルの住民たちが武装蜂起した。瞬く間に移民船団の半分を占拠した彼らはドストル共和国を名乗り、セルロン政府に宇宙都市ドストルの再建を要求した。
 巨大な移民船を建造したばかりのセルロン政府には、宇宙都市を建設するほどの資金的な余裕がなかった。セルロン側はこのドストルの蜂起を軍事的に制圧することにした。
 かくしてセルロン軍とドストル軍による第2次ドストル戦争が始まった。ちなみに第1次ドストル戦争は大将殿の帝国が滅びたあの戦いのことだ。
 セルロン政府とドストル共和国の戦い、結果は言うまでもなかった。精強な軍隊が烏合の衆に敗れるはずもなく、セルロン軍は移民船団を制圧した。
 戦いの末に冥王星に不時着した移民船団だったが、冥王星が予想以上に暗かったため移民計画は断念された。
 地球まで戻ってきたドストル難民たちは、中部地方の東ニイタカ州に集住した。
 スラム街と化したニイタカの治安はすこぶる悪く、たびたび暴動が発生した。
 時の政府に流され続けたニイタカのドストル難民たちが恨んでいたのは、大将殿の帝国だった。自分たちの故郷を奪った帝国軍を彼らはひたすらに憎んでいた。彼らの前で「自分は元帝国軍人だ」などと発言すればたちまち殺されてしまうと言われた。
 互いを憎みあう帝国残党とドストル難民たち。戦争で酷い目にあったはずの両者が望んだのは、皮肉にも戦争だった。だが当時の両者に戦いを起こすだけの力は無かった。
 くすぶり続ける恨みのすぐそばを、セルロン政府と諸外国が引き起こした凄惨な戦いが通り過ぎていった。クワッド、ハンクマン、西部諸侯。これらの外敵と戦い続けるセルロン政府の姿はかつての帝国とそっくりだった。
 大将殿はそんなセルロン政府の軍事力に着目した。
 セルロン政府軍は強大だ。おそらくどんな勢力を相手に回しても、たちまち撃破してしまえることだろう。ならばそれを利用してしまえばいい。
『ドストル難民を統制して国家と軍隊を築き、セルロンに宣戦布告する』
 これが大将殿の出した答えだった。ドストルに対する帝国の復讐。シナリオは決まった。
 しかし年月は大将殿の身体をひどく蝕んでいた。病魔に苛まれた大将殿は苦しみと共に生きていた。
 最後の計画が始まろうとしている。だがそれを実行するための肉体は限界を迎えている。いくら老化を抑制する生命維持装置を使っても身体を蝕む病魔には対処できない。
 大将殿は諦め切れなかった。
 彼は悩みに悩んだ挙句、究極の手段に打って出た。
「諸君。我輩はシズカ・ブルーに向かうぞ。シズカ・ブルーで遺伝子調整手術を受ける。両親から受け継いだものをいたずらに変えてしまうのは忍びないが、我輩は陛下のために我が身を差し出す。最後の計画のために何もかもを投げ出す!」
 遺伝子調整手術。
 老化によって磨り減ったテロメアを復活させ、さらには自らの肉体を好きなようにすることができる、論理観に疎い月面ならではの技術だった。
 この手術は人類にとって最良のものだと言われていた。なぜなら手術を繰り返せば永遠の命を得ることができるからだ。だが実際のところ身体の設計図をいじくられた人間は、自らの連続性を失いがちだった。すなわち手術前の自分と手術を受けた自分は、遺伝子が違うのだから別人ではないのかと考えてしまい、自分というものを見失ってしまった患者がたくさん現れた。
 精神の均衡をとれなくなった人々の中には廃人と化した者もおり、さすがの月面でもこの手術は禁止対象とされていた。ところが大将殿が手に入れた情報によると、月面都市シズカ・ブルー郊外の裏病院において密かに手術が行われているとのことだった。裏病院でこの手術を受けようと思えば多額の資金が必要となったが、そこは帝国の国庫から引っ張ってきた金塊で手を打ってもらった。
 私たちはシズカ・ブルーの病院に向かった。
 大将殿はいくつかの書類にサインした後全身麻酔を打たれ、ベッドに横たわった状態で手術室へと運ばれていった。
 待合室で待つ私は言いようの無い恐怖に襲われた。人間の根幹をいじくる技術は果たしてどういうものなのか。失敗はないのか。論理的に間違ったことではないのか。
 ずっと大将殿の下で働いてきた私にできることは、彼の帰還を待つことのみだった。


 2 誕生

 遺伝子調整手術を受けた大将殿は少しずつ若々しさを取り戻していった。
 DNAは肉体の設計図だ。人間の身体は新陳代謝で日々生まれ変わっている。だからDNAを若返らせても、すぐに若人のような身体に変わるわけではない。新しいDNAを基にした細胞が生まれ、それが身体を構成するようになるまでは完璧な状態とは言えなかった。
 おおよそ3ヶ月かけて大将殿は若き日の姿を取り戻した。100年前の写真とほぼそっくりな容姿になっていた。ほくろの位置に差こそあれど、その出来栄えに大将殿は喜んだ。
 大将殿の老死は回避された。
 みずみずしい肉体を手に入れた大将殿はさっそく復讐の計画を始動させた。
 まずはドストル難民に近代国家を形成させることが当面の目標となった。セルロンに対して戦争を仕掛けられるような国家を作り上げてもらい、実際に戦争してもらうことが私たちの最終目的だった。
 セルロンに勝てる国など、この世に存在しないのだから、いざ戦争となればドストル難民はみんなボロボロになってしまうことだろう。セルロン軍の艦隊によって彼らのニイタカ山は火の海と化すだろう。
 復讐計画の工程表を書き上げた大将殿と老兵たちは不敵な笑みを浮かべていた。
 なお工程表の内容を要約すると、次のような具合になる。

 第1段階・ニイタカ山を近代化させる。
 第2段階・ドストル難民の軍隊を作る。
 第3段階・セルロンに宣戦布告する。
 第4段階・戦争に負ける。
 最終段階・ボロボロになったニイタカ山から逃げる。

 私たちは警察の監視をかいくぐって東ニイタカ州に潜入した。古びたアパートを拠点として様々な活動を行った。
 当時のドストル難民たちの生活はひどいものだった。略奪が横行するニイタカ山はまるで戦場のようだった。心の荒みきった彼らに希望などはなく、ただ帝国や自分たちを捨てたセルロン政府への恨みつらみを糧に毎日を生きていた。
 そんな苦しい状況を生きる難民たちに「みんなで協力して新しい国家を築こう」などと言ってみたところで、返ってくる言葉は「いいから金を出せ」くらいのもので、雇い入れた運動員たちはたちまち身銭を奪い取られてしまった。
 大将殿が帝国の国庫から持ち出した資金には余裕があった。金塊のほとんどは月面の秘密基地に保管されていたが、手元の資金だけでもかなりの額があった。大将殿はこの財力を生かして食べ物を買い集めた。そしてニイタカのドストル難民たちにパンや乾燥パスタなどを分け与えようと考えた。
 食べ物で人々を釣る作戦は成功したかに見えた。だが実際は毒が入っているのではないかと怪しむ者が多く、また食べ物を受け取ってくれたとしても私たちの建国運動に参加してくれる者はまるでいなかった。
 この状況を大将殿は「我々に信用がないからこうなったのだ」と分析した。
 ドストル難民の心は荒んでいた。身内すら信用できない難民の社会において、よそ者は完全なる敵であった。
 困り果てた私たちの前に1人の修道女が通りがかった。
 東ニイタカ州と西ニイタカ州のいわゆるニイタカ山地域にはエード教という土着宗教が存在した。エード教は旧世界の基督教と神道が混ざり合った独特の宗教だった。
 荒みきったドストル難民たちはこのエード教を心の拠り所にしていた。大将殿はこれに目をつけた。
 宗教の力を使ってドストル難民たちを統制してやろう。
 大将殿はさっそく行動を起こした。ニイタカ山のふもとにあるエード教の総本山に部下を派遣して、修道女と牧師たちを買収しようと企んだ。
 ところがエード教の教義を何よりも大切にしていた教会の連中はこの申し出を拒否した。
 外から攻め落とせないのなら中から侵略するまで。諦めることを知らない大将殿は、エード教の傘下団体だったドストル修道会に目をつけた。
 ドストル修道会は難民たちを支援するための慈善団体だった。彼らはニイタカ山の頂上にある聖ムーンライト教会を拠点に様々な慈善活動を行っていた。そのためドストル難民からの評判も良かった。
 大将殿は彼らを買収すべく、この私を派遣した。
 山の頂上に向かった私はぜえぜえ言いながらも教会に到着した。そしてアタッシュケースに詰めた大量の金塊をドストル修道会の連中に見せつけた。
 修道会を率いるチャプチップス・メージ氏は、私が持ってきた金塊をゴミ箱に投げつけた。
「残念ながら俺は大富豪だ! 金ならいくらでもある!」
 その言葉に私は言葉を失った。
 大金を使っての買い物がこれほど難しいとは思わなかった。
 これでは大将殿に申し訳が立たない。どうにかしてエード教に接近する方法を持ち帰ろう。
 聖ムーンライト教会から追い出された私は、教会前の掲示板で1枚のポスターを発見した。
 ポスターには「ボランティア募集」の文字があった。潤沢な資金を持つドストル修道会には人材が足りないようだった。
 私はポスターを勝手に持ち帰った。大将殿と老兵たちはポスターの内容を食い入るように見つめた。
「これだ!」
「これしか無いですぞソース大将殿!」
「やりましょう! やりましょうぞ!」
 嬉しそうに声を上げる老兵たちとは対照的に、大将殿の顔は晴れなかった。
 大将殿はポスターの募集条件のところを指差した。そこには「募集条件:20代の若い女性」と書かれていた。
 帝国軍人には男性しかなれなかった。ゆえに大将殿の部下たちはみんな男だった。老いた男性が募集会場に行ったところで門前払いを喰らうに違いない。これではどうにもならない。
 老兵の1人が「若い難民の女を買収してはどうか」と提案した。
 大将殿は首を振った。
「この街の人々はまるで信用に足らない。金を渡しても逃げられるのが関の山だろう。他の地域に住む者も同じことだ。我輩は帝国軍人のみを信頼している。我らの願いを成し遂げる以上、我ら自身で行動を起こすべきだ」
「ではいったいどうするのです」
「遺伝子調整手術で若い女性を作り出せばいい」
 決断を下した男の目はどこまでも鋭かった。大将殿は自分の全てを帝国に捧げようとしていた。あくまで帝国に忠誠を誓う彼の姿はとても尊いもののように見えた。

 偽造したパスポートで月面へと赴いた私たちは、例の裏病院と連絡を取った。
 資金には余裕があった。初老の外科医に金塊を渡した大将殿は、私をトイレに呼びつけた。
 トイレの手洗い場には大きな鏡が飾られており、そこに映った私の姿はよぼよぼのおじいさんだった。思えば年を取ったものだ。私は時の流れを痛感した。一方で大将殿は若々しい姿を保っていた。私はそれをうらやましく思った。
「ナルナ・タス中尉、君にも手術を受けてもらう」
 大将殿のその言葉に私は喜んだ。こんな機会でもなければ個人的に受けることなど困難な手術だ。若い身体を取り戻せば大将殿のように活発に動くことができる。道路の段差を気にせずに歩くことができる。疲れた時に乗っている車椅子にも縁が無くなる。
 多少の問題こそあれ、夢の手術であることに違いはない。
 若返りたい。昔のように軽やかな足取りで街を歩きたい。
 私は曲がりきった背骨をできるだけ元に戻して、足を懸命に揃えて見せた。私がおでこに右手を当てて敬礼すると大将殿はきっちり返礼してくれた。
「これから我々は幽霊となる。帝国の亡霊だ。実体こそ違えど我々はシーマ皇帝陛下の臣下であり続けなければならない。だからこそ精神の足場を整えておくべきだ。君は君でいてくれ。そうすれば我輩もタラコ・ソース大将でいられる」
 大将殿の言葉の意味はよくわからなかった。
 遺伝子調整手術を受けた人間が自己の連続性を失い、自分が自分である自信を喪失してしまうという話は聞いていたが、いくつもの戦争を主導してきた大将殿がそんなに脆い精神を持っているとは思えなかった。当時の私は大将殿をそういう風に見ていた。
 トイレから待合室に戻ると医師たちが待っていた。
 大将殿と私はいくつかの書類にサインをした。
 その後ベッドに移り、医師に全身麻酔の注射を打ってもらった。
 酸素マスクを付けてもらった後、私はだんだんと眠りの中に閉じ込められていった。

 手術は成功した。大将殿と私はベッドから起き上がることができた。
 身体がすぐには変わらないことはわかっていた。手術後の私は以前と同じただのおじいさんだった。
 月面からニイタカ山のアパートに戻り、1ヶ月が過ぎた頃には変化が訪れるようになった。骨が丈夫になり歩くのが楽になった。視界も鮮明になった。
 2ヶ月、3ヶ月と経ったところで私は若い女性の姿を得た。
 私はビックリした。どうして女性なのか。そういえばドストル修道会に潜入する作戦だった。だからこそ若い女性が必要だった。このことをすっかり忘れていた私はてっきり若い頃の姿に戻れるものだと勘違いしていたので、鏡に映るその姿があまりに違いすぎたことに驚いてしまった。道理で他の老兵たちが私の境遇を羨ましがらないわけだった。
 大将殿から説明を受けた私は納得した。
 自分を失う。大将殿が言った幽霊になるとはこういうことだった。私は確かに自分を構成するものを失った。だが命ぜられた以上は仕方がない。私は大将殿の役に立ちたかった。
 大将殿はその姿を大きく変えていた。突き抜けて美しく、若いながらもどことなく母性を感じさせた。黒い修道服の裏にブロンドの長髪と扇情的な体躯を隠して、大将殿はドストル修道会に参加した。付き従う私もそこに身を置いた。
 帝国軍人として著名だった大将殿はハーフィ・ベリチッカという偽名を名乗った。私のほうは本名で参加した。
 ドストル修道会での活動は厳しいものだった。女性用の修道服は裾が長いため動きにくくボランティア活動を行うには不向きだった。だがエード教の傘下団体で働く以上はこの服を着るしかなかった。また炊き出しや病人の看護など仕事自体が大変だった。
 若さを取り戻した私は一生懸命に働いた。以前よりもよく動くようになったこの身体はいくら使おうとも疲労が溜まることはなかった。計画のためとはいえこうして働くことは気分のいいものだった。
 大将殿は他の部下たちに命じてニイタカ山の治安を改善させようとした。ニイタカのドストル難民たちからエード教の関係者はすべからく信頼されており、修道服を着た大将殿に率いられた老人たちが難民から襲われることはなかった。この力関係を利用して大将殿はパトロールを始めた。
 怒号が絶えなかった街中で大将殿は難民たちに優しく声をかけた。容姿に優れた大将殿はたちまち周辺の人気者となった。
 泥棒を働いた者や暴力を働く者には老兵たちの銃口が向けられた。彼らは帝国軍の制服から一般的な私服に着替えていたが元々は優秀な軍人だった。眼光鋭くで標的を見つめるその姿は、発砲せずとも相手をおびえさせた。
 まるでアメとムチだった。
 大将殿の作戦は非常に上手くいった。
 人数に限りがあったため広い範囲を見回ることはできなかったが、少なくとも聖ムーンライト教会周辺の治安は格段に良くなった。
 この功績が認められた大将殿はボランティアから正式な修道女に格上げされた。
 ドストル修道会のチャプチップス・メージ氏は大将殿の作戦を参考にして、修道女と武装民兵の巡回をより多く行わせることにした。大将殿は修道会の首領からその働きを認められたのだった。
 確固たる地位を手に入れた大将殿は次なる作戦に打って出た。それはニイタカの街を大掃除することだった。
 割れ窓理論という言葉がある。道路沿いの民家の窓が割れていると周辺で犯罪が起きやすくなるというものだ。これについては旧時代の頃からいろいろと意見が交わされており、中には何の関係もないとする人もいたようだが、帝国が支配していた時代は毎日のように巡回の役人たちが街の掃除を行っていた。思い出してみればあの頃は確かに治安が良かった。街並みが綺麗だと心も清らかになるのだろうか。
 是非はさておき大将殿はこの理論を信じていた。
 命令を受けた私はセルロン市やドップラー市の掃除業者に電話をかけた。彼らのうちのほとんどはニイタカの治安の悪さを恐れていた。
 私はチャプチップス氏に掃除業者を守ってもらうようお願いした。チャプチップス氏は大将殿がやろうとしていることに驚いたようだったが、笑って許してくれた。
 チャプチップス氏の民兵隊が掃除業者を護衛すると宣言したところ、たくさんの掃除夫がセルロン領内からニイタカに集まってきた。大将殿は彼らに潤沢な賃金を与えた。おかげで大掃除は順調に進み、ニイタカの街並みは綺麗になっていった。
 表通りが整えられると、ドストル難民たちの起こす犯罪は自然と路地裏に集中していった。監視の目が届かない暗い場所では相変わらず略奪や暴行事件が続いたが、一方で表通りの治安は難民が押し寄せる前のニイタカに近い状態まで改善された。
 ニイタカの街は平和になった。
 チャプチップス氏は大将殿の働きを褒め称えた。ドストル難民たちの間で大将殿はある種の信仰の対象となっていった。
 ドストル修道会の可憐な修道女がニイタカの街を変えた。
 大将殿は一気に有名人となった。老兵たちと街を練り歩く大将殿にはたくさんの声がかかった。大将殿は声をかけてきた難民たちに優しげな笑顔を見せた。人々は熱狂した。大将殿は声を上げて笑った。
 その後も大将殿は様々な作戦でニイタカの街を良くしていった。
 セルロン政府から見捨てられたニイタカ山には公立の学校が無かった。そこでドストル修道会の修道女を教師とする教育の場を築くことになった。
 大将殿が作った学校には老若男女のドストル難民が集まってきた。戦争を起こすためには兵士が必要だった。近代兵器を操る兵士を育てるにはまず難民たちに初等教育を施さねばならなかった。
 大将殿はドストル難民たちを近代的な市民に育てていった。その目的は当初と同じく「セルロンと戦争を起こしてドストル難民を破滅させる」ところにあった。ドストル難民は大将殿に希望を見出したが、大将殿はそんな彼らを凄惨な未来に導こうとしていた。
 互いを憎しみ合うドストル難民と帝国軍人の、歪な共生だった。

 大将殿はニイタカに住むドストル難民たちから手堅い支持を得た。彼が次に狙ったのはエード教内部での地位だった。
 ドストル修道会は規模こそ大きいが所詮はエード教傘下の慈善団体に過ぎず、ニイタカ山を支配するためにはエード教そのものを動かす必要があった。
 チャプチップス氏から許可をもらった大将殿と私はエード教の総本山で働くことになった。
 かつて大将殿からの買収の申し出を断っただけあって、総本山の牧師や修道女、職員たちは清廉な精神を持って日々を生きていた。
 総本山で地位を得るには学歴と勤続年数が必要だった。つまり神学校を卒業しておらず、かつエード教で働き出したばかりの大将殿や私には仕事が来なかった。
 困った大将殿は自ら仕事をもらいに出かけた。エード教の総本山はニイタカ山のふもとにあった。壮大な教会建築が立ち並ぶ総本山を大将殿は歩き回った。私もそれに付き従った。
 だが仕事は見つからなかった。神学校を出ていない私たちはエード教の重鎮たちに信用されていなかった。若い修道女たちの中には大将殿の社会的人気に嫉妬していた者もおり、総本山での大将殿の評判は悪かった。
 黒衣の修道服を身にまとい、ひたすらに教会を駆け巡る毎日はあまり面白いものではなかった。暑い日には黒衣が邪魔になった。下着も蒸れて気分が悪かった。大将殿に付き従う者としても耐え難い日々だった。
 このままではいつまで経ってもエード教を支配することなど叶わない。
 大将殿はいつもの古アパートに部下たちを集めた。エード教内部の調略がなかなか進んでいないことを老兵たちに報告した大将殿は、彼らにある提案を持ちかけた。
 提案というより許可を得たかったのかもしれない。いつも命令を出すばかりだった大将殿が、この時はやけに悩んでいた様子だった。
 考えてみれば悩むのも当たり前だ。大将殿はエード教の幹部に政略結婚を仕掛けようとしていた。
 ノーカト・チゴという男がいた。チゴ家は代々神職を輩出してきたドストルの名家で、ノーカト自身もエード教の重鎮の1人だった。若いながらも有能な人物だったらしく他の重鎮たちからの覚えも良かった。何よりまだ未婚だった。
 この男を落とせば大将殿は重鎮婦人となる。結婚さえできれば後はこちらのものだ。殺すなり自殺に見せかけるなりしてノーカトを葬り去り、大将殿はチゴ家の未亡人としてノーカトの責務を継げばいい。
 理屈はわかるが納得できない話だった。
 優れた艦隊指揮官であり帝国を復活させたこともある、いわば歴史上の英雄と言っても過言ではないタラコ・ソース大将が若い男と契りを結ぶ。
 大将殿の部下である私たちにとってそれは理解のできない事象だった。
 老兵たちは大将殿を説得した。考えなおしてください。悩んでおられるのなら無理はしないでください。
 まるで孫娘を相手にしているような口ぶりだった。
 私は何も言わなかった。心情的に嫌な作戦ではあったが、一番手っ取り早い方策でもあったからだ。
 アパートの中は老人たちの声であふれていた。大将殿が小さく手を叩くと老兵たちは途端に喋るのをやめた。
 大将殿は私のことをしばらく見つめてから、意を決した面持ちで老兵たちに語りかけた。
「諸君が我輩を心配してくれるのは嬉しいが混乱するのは避けたい。ならば指揮官たる我輩が皇帝陛下からいただいた裁量権を元に判断しよう。我輩は政略結婚を断行する。諸君らは共同してこれを成し遂げるのだ。よろしいか!」
 かくして賽は投げられた。
 私と老兵たちはノーカト・チゴの個人情報を集めた。
 趣味趣向から生年月日、家族構成、血液型に至るまでありとあらゆる情報を収集して、大将殿に報告した。
 大将殿は受け取った個人情報を元にノーカトに接近した。
 ノーカトの趣味は古跡探訪だったため、大将殿は古代史を勉強した。セルロンから専門書を取り寄せたこともあった。ノーカトが中華料理に凝っているとわかると大将殿は毎晩のように調理場に立った。大将殿が作った料理を食べるのは私の仕事だった。年老いた帝国軍人たちは辛いものが食べられず、彼らは香辛料の臭いに辟易していた。
 俺たちは何をやっているんだろうなあ。
 老兵たちは珍しく愚痴をこぼしていたが、私はこの状況を少しだけ楽しんでいた。
 そうしているうちにノーカトのほうから大将殿を誘ってくることが増えてきた。
 可憐な顔立ちと扇情的な身体を併せ持つ大将殿に優しくされてしまえば、そこらの男などはわりとあっさり釣れてしまえるようだった。
 ノーカトと大将殿の交際はとんとん拍子に進んだ。
 私は半年かけてノーカトの両親や一族郎党の個人情報を集めた。ところがそれを大将殿に提出したところ「これぐらいはみんな知ってることだ」と言われてしまった。ノーカト自身が大将殿に情報を渡したようだった。もはや婚約は秒読みだった。
 この頃からだろうか。大将殿は私を自室に呼びつけていろいろと話をするようになった。
 帝国軍の裏話やノーカトの失敗談などもよく話してくれたが、一番多かった話題はシーマ皇帝の話だった。どんなに他の話題で盛り上がることがあっても、就寝前には決まって皇帝についての話をしてくれた。
 どうして大将殿は皇帝の話ばかりするのか。当時の私にはわからなかった。ただ大将殿は人生経験が豊富なだけあって語り方が上手く、どの話も夢中になって聞くことができた。それについては皇帝の話も例外ではなかった。
 やがて大将殿とノーカト・チゴは結ばれた。
 彼らの結婚式には私も仕事仲間として参列した。顔を隠す必要があった老兵たちにはアパートで待ってもらった。
 ドストルでは名の知れた名家であるチゴ家の御曹司と、ニイタカ山を変えた修道女が結ばれる。ドストル難民たちはその様子を一目見ようと結婚式場に押しかけた。式場に選ばれていたのはチャプチップス氏の聖ムーンライト教会だった。彼の民兵隊は結婚式の警護で忙しそうにしていた。
 エード教の結婚式は神式と呼ばれつつも基督教のものと同じ具合だった。白いドレスに身を包んだ大将殿と背広を着込んだノーカト・チゴは、手を取り合って教会の壇上に上がった。
 神父役を務めるのはチャプチップス氏だった。
 彼の前で大将殿とノーカトは永遠の愛を誓った。
 その後のことはよく知らないがおそらく口づけをしたのだろう。あの時の私は気恥ずかしさでいっぱいになり壇上から目を背けてしまった。いくら2人が口づけをしたところで所詮は欺瞞に満ちたものでしかないというのに、我ながら情けない。
 大将殿は復讐のためにノーカトと結ばれた。そこに愛は無かったはずだ。

 結婚式から一夜明けて大将殿はチゴ家の屋敷に引っ越した。ニイタカの山腹に築かれた大邸宅は暴徒の乱入を防ぐための柵で囲まれており、要塞のような外観をしていた。
 チゴ家に嫁入りした大将殿には様々な仕事が舞い込んできた。夫であるノーカトの補佐や総本山の清掃事業など仕事の内容は多岐に渡った。大将殿は総本山の近辺に事務所を開いた。私と老兵たちはそこに住みつくことになった。
 ノーカトは公私の区別をわきまえた男だった。そのため大将殿の事務所に彼がやってくることはなかった。大将殿はそんなノーカトの性格をわかった上で事務所を開いたようだった。
 今まで数十年間にわたって寝食を共にしてきた私と大将殿は、久しぶりに分かれて暮らすことになった。事務所にいる時、大将殿は暇さえあれば帝国時代の話を繰り出した。老兵たちとかつての戦争について語り合うこともあった。月面軍との戦争、反乱軍との戦争、正木藩兵との戦争、セルロンとの戦争。話題は尽きることがなかった。
 私たちは大将殿の仕事を手伝いつつ、ノーカトを暗殺する計画を立てていた。結婚さえしてしまえばあの男は用済みだった。
 大将殿は任された仕事を次々と成功させていった。エード教の重鎮たちからも重用されるようになった。かつて門前払いされた頃とは大違いだった。ニイタカのドストル難民社会において家柄というものはこれだけの力を持っていた。
 結婚式から3ヶ月経ったある日、仕事中の大将殿が嘔吐した。私と老兵たちは大将殿を事務所のソファに寝かせた。老兵の1人が帝国時代の胃薬を持ってきたので大将殿にはそれを飲んでもらったが、一向に容態は良くならなかった。
 私はチゴ家に電話して医者を呼んでもらった。当時のニイタカには救急医療のシステムが存在しなかった。救急車などは都会の乗り物だった。
 大将殿は妊娠していた。
 チゴ家の連中は喜んでいたようだった。一方で私たちは事態が飲み込めなかった。
 暗殺計画を早めるべきだった。結婚式の次の日にはノーカトを殺しておくべきだった。いくつもの反省が頭の中を過ぎった。
 さすがの大将殿も辛そうにしていた。検査のために入院した病院にノーカトがやってきた時などは面会拒絶を貫き通していた。
 私は大将殿の秘書官として彼の入院に付き添った。
 いろいろな検査をこなすことで大将殿は自分のお腹の中に赤ん坊がいることを認識していったようだった。
 お祝いにやってきたチャプチップス氏が病室を去ってから、大将殿は枕をハンカチ代わりにして大いに泣いた。あまりの泣きっぷりに私は驚いた。
 傍に私がいることを思い出した大将殿は、今度は私をハンカチ代わりにしてむせび泣いた。
 私の胸に顔を押しつけて嗚咽をもらす大将殿の姿を見て、私は何かを悟った。
 数日の検査入院を経て大将殿は事務所に戻った。
 大将殿は何事も無かったかのように仕事をこなしていたが、時折ポロポロと泣き出すことがあった。
 それでも大将殿は働いた。全ては復讐を遂げるため。自らの身を差し出すと誓った大将殿に迷いはなかった。
 チャプチップス氏のドストル修道会で行っていた初等教育事業は、エード教総本山の支援を受けて学校の数を増やしていった。見回り組による治安維持活動も拡充された。これらの事業拡大は大将殿がノーカトにいろいろとお願いした結果だった。エード教の重鎮であったノーカトの力をもってすれば、これくらいは造作のないことだった。
 エード教から任された仕事も、大将殿はしっかりこなしていった。私たちもそれを一生懸命手伝った。重鎮たちはますます大将殿を重んじるようになり、夫であるノーカトも総本山での発言力を強めていった。
「ノーカト・チゴ司教と、その妻ハーフィ・ベリチッカがニイタカ山を動かしている。チゴ家の御曹司と若き修道女が協力して東西のニイタカ両州を良くしている」
 セルロン政府のクチバー首相が年始の国会演説で口にした言葉だった。
 ニイタカ山でもセルロンのテレビを見ることはできた。セルロン政府首相が2人を認めた。難民たちは大いに沸き立った。長らく歴史の影に埋もれていたドストル難民たちにとって、この首相の発言は久しぶりの栄誉だった。
 事務所にやってくる。仕事をする。チゴ家に帰る。
 そんな忙しい毎日を過ごしているうちに月日はどんどん過ぎていき、大将殿のお腹はすくすくと大きくなっていった。見た目からして妊婦のそれとなった大将殿を私たちは補佐した。夕方になるとノーカトが事務所の前まで迎えに来ることも多くなった。
 ノーカトの自動車が事務所から遠ざかっていくたび、私は大将殿がどこか遠くにいってしまうのではないかと考えてしまった。老兵たちも同意見だったらしく、その頃の私たちは事務所でよく酒盛りをしていた。
 やがて臨月を迎えた大将殿は大事をとって入院することになった。

 どうして子供を産む必要があるのですか。
 私は大将殿にそう尋ねたことがあった。結婚してしまえばそれで良いではないですか。とっととノーカトを殺してしまいましょう。子供など産んでも面倒事が増えるだけです。
 この問いに対する大将殿の答えは明確だった。
「チゴ家は名家だけあって跡継ぎも豊富にいる。今の当主はノーカトだがあの者を殺せばすぐに次の当主が選ばれる。そうなればよそ者の我輩に立場などなくなるだろう。だからこそ正式な跡継ぎを産んでおくのだ。我輩は何もかもを差し出した身だ。これくらいのことは正木藩兵の拷問と比べれば軽いものだ」
 まだ妊娠3ヶ月ぐらいだった頃の話だ。大将殿はお腹をさすりながら答えた。その顔はすでに母親のものだった。
 妊娠がわかった時にはあれだけの動揺を見せていた大将殿が、これほど明確な決意を固めていたのには私も驚いた覚えがある。
 臨月を迎え入院した大将殿はチゴ家の連中によって取り囲まれていた。
 彼らが知りたがっていたのは産まれる子供の性別だった。彼らは口先では大将殿の身体を気遣いながらも本心は違うところにあった。これはノーカト本人が語ったことだった。
 大将殿は老兵たちの存在を隠していた。仮に表舞台に出すことがあっても彼らにはマスクを着用させていた。大将殿の部下で公の場に出られるのは秘書である私だけだった。そのため私はノーカトやチゴ家の連中と話をすることができた。
 ノーカトは大将殿の妊娠を心の底から喜んでいた。息子であろうが娘であろうがどちらでも良さそうだった。
 なかなかできた男だ。見た目は若い女だが実年齢は90歳を超えていた私から見てもノーカトは良い奴だった。礼儀をわきまえており、話上手だった。
 大将殿の出産は8時間に及んだ。ノーカトはその間、大将殿の側を離れなかったらしい。
 事務所で待機していた私たちは大将殿本人の電話で嫡子が産まれたことを知った。
 苦労の末のことだっただけに大将殿の声は喜びと安心に満ちていた。私もおめでとうございますと答えておいた。
 体験した内容を赤裸々に語ってくれた大将殿は、最後に小声でこんなことを言った。
「この我輩には孫もいればひ孫もいるはずだというのに自らが出産とは、人生はわからないものだな中尉。これであの男も用済みだろう。部下たちに出撃の準備をさせておくといい」
 私は思わず「えっ」と叫んでしまった。
 大将殿は産後の1ヶ月ほどを病院で過ごした。産後の経過を心配するノーカトがそのように求めたのだった。
 退院した次の日、大将殿は子供を腕に抱いて事務所にやってきた。
 事務所で上官の帰りを待っていた老兵たちは全員が帝国時代の青軍服を着ていた。背中こそ曲がっていたが彼らはあくまで軍人であった。モデジュ少尉を先頭に彼らはすでに出撃準備を終えていた。
 大将殿は私たちにチゴ家の邸宅を襲撃するよう命じた。
 部隊の指揮を任された私は、古びた士官外套に身を包んだ。小柄な女性に姿を変えていた私にとって、かつての士官外套はサイズが大きく動きづらいものだったが、後々のことを考えれば修道服のまま攻撃をかけるわけにはいかなかった。
 ニイタカ山のふもとからチゴ家の邸宅があった山腹まではそれなりに距離があった。夜霧に紛れて行動を開始した私たちは、愛用の銃火器と共に山道を登っていった。
 チゴ家の邸宅は3重の柵で囲まれていた。
 治安が悪かった頃のニイタカでは暴動が日常茶飯事だった。チゴ家を守る3重の柵は暴徒と化した難民たちの侵入を防ぐためのものだった。
 つまり本職の軍人たちによる攻撃は全く想定されていなかった。
 襲撃作戦は成功した。あらゆる罠を突破した私たちは玄関口から邸宅の中に侵入した。チゴ家に雇われた警備員が持っていたのは拳銃だった。戦いに慣れた老兵たちにとって拳銃を持った4人の警備員などはただの標的に過ぎなかった。
 私たちがノーカトの寝室に入り込んだ時、彼はすでに死んでいた。
 暗い部屋の中でパソコンのディスプレイが光を放っていた。ノーカト・チゴはベッドの上で血まみれになって倒れていた。彼の手にはセルロン製の拳銃があった。サナンPPK。卸売りスーパーで売られているような、いたって普通の自動拳銃だった。
 拳銃自殺。私たちは戦果報告書の末尾をこの4文字でまとめあげた。
 報告書を受け取った大将殿はわずかに眉をひそめたのみで、老兵たちに昇進などの栄典を与えることもなく褒めることさえせず、事務所の自室に戻っていった。
 そんな大将殿の様子に老兵たちは動揺していた。
「やはり我らの手で殺すべきだったのだ。大将殿は自殺では満足できなかったのだ」
 モデジュ少尉が発した声に、みんなが賛同した。
 私の考えはそうではなかった。
「いくら策略のための結婚だったとはいえ、11ヶ月も共に暮らしていれば情が湧くというものだろう。聞くところによるとノーカトはなかなかできた男だったらしい。おそらく大将殿も殺すには惜しい人間と考えていたのだろう。だからこそ、その死を悼んでいらっしゃるのだ」
 そういうことだと勝手に思い込んでいた。


 3 ニイタカ制圧

 ノーカトの死は様々な影響をもたらした。
 名家の御曹司とニイタカを変えた修道女が「世紀の結婚式」で結ばれてから約1年が経っていた。悲しみに満ちた破局はドストル難民たちの間で話題となり、幸せな新婚生活から一気に転落したとされる大将殿は「悲劇の女性」として大いに祭り上げられた。
 エード教の重鎮たちも大将殿を慰めた。
 ノーカトは聖人に列せられ、総本山寺院で手厚く葬られた。エード教の認識では「自殺者には天罰が下る」とされており、この扱いは極めて異例のものだった。
 未亡人となった大将殿はノーカトの仕事と権限を引き継ぐことになった。重鎮だったノーカトの権限は非常に多岐に渡るものだったため、大将殿は様々な面でエード教を動かせるようになった。
 ニイタカ支配のための橋頭堡は築かれた。
 ここから先は力攻めだった。
 大将殿はエード教から任された仕事のほとんどをチゴ家の連中に任せるようになった。おおまかの指示は電話などで飛ばしたものの基本的な裁量権は彼らに委ねられた。ノーカト亡き後のチゴ家は大将殿がもたらす資金によって維持されていた。チゴ家の連中はそういう関係もあって大将殿の言いなりになっていたようだ。
 余暇を作りだした大将殿は、ドストル修道会のチャプチップス氏と共同で警察学校を設立した。この学校には初等教育を受けた者のみが入学できた。教師陣はチャプチップス氏の民兵隊が務めることとなり、聖ムーンライト教会に設けられた教室では日夜厳しい訓練が行われた。
 これらの輝かしい成果の裏で、老兵たちは毎日のように要人を暗殺していた。モデジュ少尉率いる1個分隊の帝国兵がニイタカ山の夜を怪しく駆け抜けていた。
 老兵たちに襲われたのはエード教の重鎮たちだけではない。路地裏に身を潜めていた愚連隊や、山賊から身を起こした富豪層など「混乱期のニイタカ山」を象徴していた連中を片っ端から処分していった。
 ドストル難民たちの反応は様々だった。
 愚連隊や山賊を襲った者が賞賛された一方で、エード教の重鎮たちを暗殺した者は「天を恐れぬ魔物」だと非難された。どちらも実行犯は老兵たちだったのだが、何も知らない難民たちは勝手に犯人像を形づくっていた。
 ニイタカ山は目に見えない静かな恐怖に包まれた。
 今度は自分が殺されるかもしれない。
 恐慌状態に陥ったエード教の重鎮たちは、チャプチップス氏の警察学校へ逃げ込んだ。警察学校のあった聖ムーンライト教会は臨時のエード教総本山となり、重鎮たちの私兵部隊とチャプチップス氏の民兵隊、警察学校の生徒たちによって守られた。
 こうなると老兵たちも手が出せなかった。いくら歴戦の勇士とはいえ6人の老兵が2500人もの守備隊を叩きのめすことは困難だった。
 ところが大将殿はこの状況を喜んでいた。
「諸君らの活躍には心奪われるものがあった。奮闘してくれた諸君らには今度美味いものでも食べさせてやろう。諸君らは努力した。諸君らのおかげで我輩は17人の政敵を討ち滅ぼすことができた。23の盗賊団が解散した。財界を浄化することもできた。あとは山頂の古城に集まった連中を一網打尽にするだけだ。簡単な話ではないか。みんな爆破してしまえばいい。邪魔者を一掃できる絶好の機会ではないか」
 可愛らしい赤ん坊を腕に抱きながら、大将殿は妖しく笑った。
 赤ん坊にはシャルシンドという名があった。シャルシンド・チゴ。この頃はまだ首も据わっていない乳児だった。
 シャルシンドの名付け親はチャプチップス氏だった。大将殿はチャプチップス氏と親しい仲にあった。よくよく考えてみればノーカトと大将殿の結婚式において神父役を務めたのもチャプチップス氏だった。
 エード教の重鎮の1人でありドストル修道会の領袖だった彼は、まだまだ利用価値のある人物だった。
 大将殿の一存でチャプチップス氏は暗殺対象から外された。
 重鎮爆破作戦は慎重に進められた。
 まず老兵たちが聖ムーンライト教会に向けて小銃弾を放った。これにチャプチップス氏の民兵隊が反撃した。
 銃撃戦の末、森の中へ逃げていく老兵たちをチャプチップス氏の民兵隊は総出で追いかけた。他の重鎮たちの私兵部隊は教会の中で震えていた。
 大将殿とチャプチップス氏を守っていたのは警察学校の生徒たちだった。まだまだ鍛え方が足りない彼らだったが、闘志は十分にあった。大将殿は彼らを鼓舞した。
「さあ生徒諸君、腕によりをかけて帝国の残党を始末しましょう!」
 大将殿の号令を受けて警察学校の生徒たちは出撃した。
 大将殿はチャプチップス氏に生徒たちを指揮するよう頼んだ。年老いていたとはいえ武闘派だったチャプチップス氏はこれを了承した。
 ニイタカの山中を逃げまわる老兵たちと、それを追いかけるチャプチップス氏と警察学校の生徒たち。大将殿は「必要な人材」を聖ムーンライト教会から逃がすことに成功した。
 あとは教会を爆破するだけだった。
 大将殿が地下室に設置していたのは帝国時代の工作爆弾だった。要人の暗殺などに使用されたもので爆発の威力や爆風などを細かく調整することが可能だった。
 大将殿は重鎮たちが集まっていた教会の中央講堂に向かった。かつてノーカトと大将殿の結婚式が行われた場所だった。
 壮麗な壁画に包まれた空間で、重鎮たちとその部下たちは死の恐怖に震えていた。
 そんな彼らに大将殿は「ある程度の真実」を伝えた。
 隠し事を明かす時、人間は耽美な感触を味わう。
 愛の告白。上司の告発。
 悪事の暴露。
 どれもこれも本質は同じことだ。
「つまり諸君らはこのタラコ・ソースの手によって無様な死を迎えるのだよ」
 何もかもを話してしまった大将殿は嬉しそうに微笑んでいた。隣にいた私もきっと笑っていたことだろう。
 殺害を予告された重鎮たちは顔面蒼白、一目散に教会から逃げだそうとした。
 私と大将殿は中央講堂の壁際に身を寄せた。
 工作爆弾の爆風は床下から吹き上げてきた。壁際にいた私たちを除いて、その場にいた全員が吹き飛ばされた。彼らの生死は確認するまでもなかった。私と大将殿も少なくないケガを負ったが、どれも治らないものではなかった。
 爆発に気づいたチャプチップス氏が教会まで戻ってきた頃には、全てが終わっていた。

 エード教の総本山は力を失った。指導層にいた重鎮たちがほとんど爆死してしまったので、総本山の教会は大混乱に陥った。
 そこを上手く切り盛りしたのがチャプチップス氏だった。チャプチップス氏は爆死した重鎮たちの葬儀を手厚く行うことで『唯一生き残った重鎮』としての責務を立派に果たした。
 混乱の極みにあったエード教の経営を取り仕切ったのは大将殿だった。かつて250万人もの大兵力を任されていただけあって、人の動かす仕事に関しては大将殿の右に出るものはいなかった。チゴ家の連中や重鎮たちの遺族などを積極的に登用したことで、エード教の総本山はその統治機能を急速に回復させていった。
 この頃の大将殿は本当に忙しそうにしていた。事務所と総本山の寺院を行ったり来たりしていた。赤ん坊の世話は私の仕事となり、私と老兵たちはシャルシンドの夜泣きに苦しめられる日々を送った。
 総本山の混乱が収まった頃には、次の指導者はもはや決まったも同然となっていた。
 大将殿とチャプチップス氏による2頭体制。チゴ家の当主とメージ家の当主が共同でニイタカ山を治める。大半のドストル難民は今まで善政を敷いてきた2人を支持していた。
 ほとんどの修道女と牧師たちが大将殿に従うようになった。総本山の職員たちも大将殿に頭を下げた。神学校に通う可愛らしい少年たちも大将殿の言うことをよく聞くようになった。大将殿は声を上げて妖しく笑った。
 私たちは32ヶ月かけてこの地を支配することに成功した。
 狭いアパートから身を起して、エード教の指導者にまで昇りつめたハーフィ・ベリチッカの人生は、傍で見ていてもなかなか面白いものだった。
 ノーカト・チゴとの間に子供を成した彼女は、夫の死を乗り越えて偉大な為政者となり、ドストル難民たちの希望の光となった。彼女の人生はここで終わったはずだった。

 長きに渡る努力を経て、私たちはニイタカ山の支配権を得た。
 私たちが次に目指したのはセルロンに対抗できるだけの軍隊を作り上げることだった。
 帝国時代から国家の軍隊を構成するものは「兵士」「空飛ぶ軍艦」「要塞」「補給系統」と決まっていた。この頃には火星を治めるクワッド連邦が開発した「ガードボット」という防御兵器も構成要素の1つとなりつつあった。
 これらの要素を併せ持つ武装組織こそが軍隊であり、兵士だけの組織はただの愚連隊扱いだった。
 たとえ10万の兵士がそれぞれなりの武装を持っていたとしても、1隻の巡洋艦から放たれる強烈な火力をもってすればゴミクズと成り果てるのは明白だった。
 帝国が生まれる前、すなわち中部連邦の時代には「戦闘機」と呼ばれる飛行機や小型宇宙艇が活躍していた。私が帝国の士官学校で習った知識によると、戦闘機は様々な兵器を使って軍艦を粉砕していたそうだが、軍艦が近接防御兵装を搭載するようになると急速に廃れていったらしい。
 何はともあれ、強大な軍隊を作り出すためには多数の軍艦を揃える必要があった。軍艦に乗り込む兵士や指揮官も必要とされた。
 ところが長らく混乱が続いていたニイタカ山にはまともな人材がまるでいなかった。技術者がいたとしても彼らは宇宙都市に暮らしていた時代の技術しか持っておらず、そもそもニイタカ山で暮らしているドストル難民はほとんどが2世や3世であって、生まれてからずっと混乱の中を生きてきた人々だった。
 幸いにして難民たちには鍛え上げられた精神力があった。
「彼らを兵士に養成すればきっと手強い軍隊となるだろう。優秀な若者には英才教育を施そう。士官も必要だからな。我輩としてはチャプチップスの警察学校を母体として利用したいところだ」
「そのあたりは私から交渉しておきましょう」
「中尉にはシャルシンドの世話を任せているのだ。それくらいは我輩がやっておく。はてさて問題は兵器のあたりだな」
 事務所のトイレで私たちは話しあっていた。あのような狭い場所でのちのちの野望は形づくられていた。
 暑苦しい修道服から私服に着替えていた大将殿は、小さなメモ帳を片手に軍備計画を練っていた。
 ブロンドの美女が思索にふける姿はなかなか見ものだった。軽装ゆえに肌の露出も大きかった。伊達メガネも異様に似合っていた。メモを取る様子などは大変にそそられるものがあった。
 上官をそのような眼で見ることは以前ならば考えられないことだったが、当時の私はそういう思考を肯定していた。
 すなわち美女を前にして喜んでいるのは、自らがまだ男を保っているからだと思い込んでいた。
 大将殿の服飾や化粧などはチャプチップス氏の愛娘であるチョイスマリー・メージがやってくれていたが、この頃には大将殿も自身でこなせるようになっていた。
 一方、私は常日頃から黒い修道服に身を包んでいた。たまに思い出したように帝国時代の軍服を着ることもあった。私は私であり続けなければならないと考えていた。私はナルナ・タス主計中尉だと思い込むように努力していた。
 どうして私がそのような思考に至ったのかはさておき、大将殿は自軍の主力となる軍艦をコメット社から手に入れようと考えていた。
 コメット社はかつての帝国東域砲兵工廠が民営化されたもので、現在でも役員のほとんどが帝国出身者だった。セルロン政府の御用企業であったサナン技研工業とは対立関係にあり、セルロン軍の装備品をめぐって両社は受注競争を繰り返していた。
 大将殿と私は自らの足でセルロン市内のコメット本社に赴いた。
 重役たちに『帝国の烙印入り金の延べ棒』を1枚ずつ配った大将殿は、会議室の真ん中で自らの正体を明かした。
 コメット社の連中は驚きのあまりひっくり返った。
 さらに大将殿はシャルシンドの姿を重役たちに見せつけた。私をわざわざ連れてきたのはそのためだった。
 可憐な娘に身を変えて、さらには子供まで生んでしまった大将殿。
 対してコメット社の重役たちはみんな年老いていた。毎日美味しいものをたくさん食べているのか、みんな体格は良さそうだったが、皮膚には無数のシワがあった。薄くなった白髪をていねいに整えた老人ばかりだった。
 老齢に至った人間の考えることはみんな同じだった。
 大将殿はコメット社の重役たちが月面の裏病院で遺伝子調整手術を受けられるよう手配した。手術代も大将殿が支払うことになった。ただしコメット社がハーフィ・ベリチッカの正体を暴露した場合、大将殿の部下がコメットの本社ビルを爆破するとの条件を付けた。
 この見返りに私たちが得たものは8隻のC型巡洋艦と19人の兵器開発チームだった。
 ただもらったのは良かったのだが当時の私たちにはそれらを運ぶような人員がいなかった。巡洋艦はいわずもがな、兵器開発チームをニイタカ山に移すためには、高度な研究設備をあらかじめ用意しておかねばならなかった。
 巡洋艦隊はコメット社の地下倉庫で預かってもらい、兵器開発チームはコメット社の研究所で仕事をすることになった。
 委細はともかく、こちらが出した資金量に対して、巡洋艦8隻と技術者19人というのはあまりにボッタクリだった。
 だが大将殿は満足そうにしていた。
「これであいつらは我輩たちの仲間だ。セルロンの企業が反政府勢力と契約を結んだわけだ。もしこのことが世間に漏れたとしたらどうなる。コメット社はセルロン国民からそっぽを向けられてしまうことだろう。そうなればあいつらは終わりだ」
 コメット社の重役たちは会社の運命と若さへの執着を天秤にかけて、後者を選んだ。
 おそらく彼らとしても色々と考えた末の決心だったのだろう。
 セルロンからの帰路、バスを取り次いでやってきたドップラー州の外れあたりにニイタカ山の全景が眺められる名勝地があった。
 ブレタリアン・アッパーヒル。
 打ち捨てられた城壁が物悲しさを醸し出していた。小高い丘をぐるりと囲むレンガの壁にはところどころ穴が開いていた。遠くの城跡には尖塔のようなものも見えた。
 夕焼けに照らされたニイタカ山の姿はなかなかに絶景だった。これらの絶妙な対比にはどこか考えさせられるものがあった。
 私が物思いにふけっていると、大将殿が後ろから抱きついてきた。
「やはり中尉は抱きつきやすい大きさでよろしいな」
「お止めください大将殿、よろしくありません」
「まあまあ、たまにはふれあいを持つことも良いだろうに」
 私は必死になって抵抗したが、耳元で小さな声が聞こえたことに気づいてからはおとなしく抱かれたままでいることにした。
 これは密談だ。小さな声で話しかけられたら小さな声で応答するのが礼儀だ。
「どういった用件でございますか、大将殿」
「ここは中世のブレタリア王国が滅びの日を迎えた場所だ。旧暦728年、タルマン共和国軍との決戦に敗れたブレタリア王家はこの丘に立てこもった。当時のここはドップラー城と呼ばれていた」
「そのようなことは小声で話すまでもございません、お放しください」
「では本題と参ろう。中尉はショート・チゴという者を知っているか」
「存じております。あのノーカトの実弟です」
「そうか。だったら話が早い。我輩はあの男をエード教の総本山において重用してきた。若いながらもなかなか見どころのある男でな。何より知恵者なのだ。将来的には艦隊司令官あたりを任せようかと考えていた。ところがあの男が最近、妙なことを口走るようになった」
「妙なこと……でありますか」
「以前からハーフィ様をお慕いしておりました。自分はハーフィ様の正体を知っています。いろいろなことを言われたが、一番驚いたのは兄のノーカトを殺したのは自分ですなどと言いよった時だ。これはいったいどういうことだ中尉。ノーカトは拳銃自殺したのではなかったのか?」
 言葉が出なかった。
 大将殿の両手を振りほどくことができなった。彼の顔を見ることができなかった。当時の私にはそんな勇気はなかった。
 ノーカト・チゴを殺したのは誰なのか。
 その頃の私はあまり深く考えていなかった。ノーカト・チゴは拳銃を持ったまま死んでいたのだから、拳銃自殺で間違いないと思い込んでいた。
 ところがここにきてノーカトを殺したと主張する人物が現れた。
 ショート・チゴ。
 チゴ家の人間でありノーカトの弟だった男。
「もちろん中尉やモデジュ少尉たちに犯罪捜査の知識がないことはわかっている。あの時指紋を取っていれば、もっとちゃんと調べておけばなどと言うつもりはない。問題は犯人を知ってしまった我輩だ。我輩はいったいどうすればいい。ショート・チゴを褒めてやるべきなのか。あの男は私が喜ぶと思ってノーカトを殺したそうだ!」
 大将殿は語気を強めた。
 まるで自分の大切なものを壊されたかのような口ぶりだった。物事の本質はそうでなかったはずなのに、大将殿はそのことに気づこうともしなかった。
 大将殿のしなやかさに満ちた両腕を振りほどいて、私は束縛を脱した。
「いっそのこと殺してやったらどうですか」
 私は意を決して振り返った。
 逆光が大将殿の身体を黒く染め上げていた。
 それこそ表情などまるでわからないくらい、暗くなっていた。
「ショート・チゴを殺せというのか、中尉」
「それが大将殿のご意向ならば」
「理由はどうする。モデジュたちにどう説明する」
 あの者に正体がバレてしまった。それだけでも立派な理由となりましょう?
 どうしてそんなに焦ってらっしゃるのです。冷静に考えてくださいませ。
 単純な話ではございませんか。
 思ったことの全てを吐き出してしまうほど、私は間抜けではなかった。
 あくまで大将殿の秘書官である私にとって出すぎた真似は慎むべきものだった。
 だからこそ諭すような言葉を口にした。
 涼しさの混じった北風が、丘の上の城壁をするすると通り抜けていった。
 ブレタリアン・アッパーヒルは350年前の史跡だ。丘の上に築かれた巨城は総構えをもってタルマンの大軍を迎え撃った。結果は歴史教科書の語るとおり、王家の降伏によってブレタリア王国は滅亡した。一方で攻め手のタルマン共和国軍も大きな損害を受けた。彼らはブレタリアを武力で抑えつけようと考えていたが、肝心の兵力が損耗したためそれを達成することができなかった。タルマン共和国はブレタリアと合邦してタルブタ共和国を造り出したが、ブレタリア国民がそれを喜ぶはずもなく長期間にわたって紛争の時代が続いた。
 私たちがやろうとしていたのはこの血塗られた歴史の再現だった。
 ドストル難民を永遠の苦しみの中に閉じ込める。帝国再興の芽を潰したドストル難民への復讐を成し遂げる。
 その後に残るものはいったい何なのか。
 シャルシンドが泣いていた。ベビーカーに乗せられて、ぐっすりと眠っていたはずの赤ん坊は、しきりに抱擁を求めていた。
「とりあえずショートの件は結論を先送りしよう。我輩としても無駄な人死には避けたい」
 大将殿は愛娘を抱き上げた。母親に抱き寄せられたシャルシンドはぷくぷくと肉づきの良い笑みを見せていた。
 ドップラー州からニイタカ山までは路線バスが運行されていた。舗装されていない道路をゆっくり進んでいく中型バスからはニイタカ山の夜景が見えた。
 たくさんの生活の灯があった。クワッド連邦信託統治領・南部イエメン州から運ばれてきた電気を使ってドストル難民たちは生活していた。
 目の前の現実として、生活する人々の痕跡を見つけると、私たちがやろうとしていることの暴力性が増長されたような気分になってしまう。
 当時の私はあの光景から目をそらした。
 目線を移した先には赤ん坊に乳をやる大将殿がいた。
「どうした中尉。別に見世物でもないだろう。それよりも今は休んでくれ。我輩たちには明日がある」
 大将殿は静かに笑った。
 ここまで来てしまっているのに今さら躊躇してどうするんだ。
 窓の外には総本山の寺院群があった。その近くには長らくお世話になっている事務所のビルも見えた。


 4 ファーストコンタクト

 コメット社から購入した巡洋艦をニイタカ山に持ってくるためには、大型船を収容できる巨大な掘りドックが必要だった。また巡洋艦の存在をセルロン政府軍に知られるわけにはいかなかったので、掘りドックは地下に建設するのが望ましいと考えられた。
 大将殿はこの地下ドック計画をより大規模に仕上げた。すなわちニイタカ山の地下に巨大な「要塞」を築く計画が立てられた。
 広大なニイタカ山をくりぬくかのような地下の大要塞。セルロン軍に戦争を仕掛ける際には巨大な後方基地としての役割を期待できた。セルロン軍は要塞の存在を恐れて大勢力による総攻撃をかけてくるだろう。それこそが私たちの狙う点だった。
 問題はこのような大要塞を建設する理由であった。要塞の建設工事は多数の労働者を必要としていた。これはドストル難民の浮浪者で十分に補えるとしても、彼らが要塞の存在を外部に漏らさないという確証はどこにもなかった。
「でしたら、排水施設と説明するのはどうでしょう」
 私たちに救いの手を差し伸べてきたのは、ノーカトを殺した男ことショート・チゴだった。
 大将殿は優秀な官吏であったショートを仲間内に入れることにした。
 いずれ殺すことになるだろうが今のところは利用させてもらおうじゃないか。大将殿の説明は簡潔なものだった。
 本来部外者であったショートは事務所にも出入りするようになった。
 大将殿が認めるだけあって、ショート・チゴは確かに優秀な人材だった。
 ニイタカ山の地下要塞を築くにあたって総指揮を任されたのはショートだった。よそ者の私たちと比べて、彼はニイタカ山の事情に詳しかった。
 ショートはムーニスタンの建設会社に「排水施設を模した大要塞」の設計を依頼した。情報封殺には大将殿の金塊が活用された。大将殿の資金はそのほとんどが月面の秘密基地に保管されていたため、取引相手がムーニスタンの会社であることは都合が良かった。
 ショートは要塞の設計について色々と注文を付けた。
 できるだけ簡単に作れるものが良い。ニイタカ山の建設業者でも作ることができそうなレベルであって、かつ強度に優れていて軍事施設として申し分のないものが良い。
 無理難題としか思えない注文だったがムーニスタンの建設会社はこれを快諾した。
 気になった私が、どうしてそうなったのかショートに聞いてみたところ、彼はこのようなことを口にした。
「ムーニスタンは慢性的に不景気だから、これだけの大工事はほとんど無いんだよ。そこにふって湧いたかのようなドル箱のお仕事が舞い込んで来たとなれば、しかも金払いの良いお客さんだとしたら、連中だってもう食いつくしかないだろ」
 得意げな笑みを見せたショートだったが、私としては対等な口ぶりで話されたことがひどく不愉快だった。
 建設工事はとんとん拍子に進んでいった。ドストル難民たちはこの世紀の大工事に次々と馳せ参じた。そして多額の賃金を手に入れていった。
 工事の難しいところはムーニスタンの建設会社が担当した。ドストルの建設業者は彼らの下働きだった。意外にも彼らから不満の声は出なかった。気難しいはずの大工職人たちは月面の最新建築技術を夢中になって眺めていた。
 ニイタカ山から掘りだされた土砂は、レンガとなって一般住民の需要に応えた他、特火点や土塁などの建設にも利用された。
 またショートはクワッド連邦との間に食料品の購入ルートを築いた。作業員に渡される弁当にはクワッド領南部産の食料品が使用された。これは将来の戦争計画を見越した上での方針だった。仮にセルロン政府軍が北から兵糧攻めを仕掛けてきても、南のクワッドから食糧を搬入できれば干殺しにされる心配はなくなる。
 まるで無駄のない鮮やかな計画進行に私たちは驚いた。新参者を敵対視していた老兵たちも仕事の出来るショートのことを評価するようになった。
 ニイタカ大要塞は完成までに1年半の月日を費やした。
 その間に私たちは様々な施策を行った。
 チャプチップス・メージの警察学校は『エード騎士修道会』と呼ばれる事実上の士官学校となった。士官学校とは軍隊の根幹を担う優秀な人材を育て上げる、特別な学校のことだ。
 騎士修道会を卒業した生徒たちはドストル修道会の『エード騎士団創設準備室』に集められた。彼らはそこからセルロンにある民間の船舶学校に留学した。いくら巡洋艦が何隻かあっても動かす人員がいなければただの張り子の虎にすぎない。私たちのC型巡洋艦を本物の猛獣に仕上げるためには、高度な操船技術を身につけた人材が不可欠だった。
 ニイタカ山のふもとに秘密の兵器工場が建設されたのもこの頃だった。
 大将殿はコメット社の火器開発室に簡単な構造の自動小銃を設計するよう依頼していた。コメット社はこれに応じて、既存のコメットライフルを参考にしつつ、ER26と呼ばれる新型小銃を作り出した。
 秘密工場ではこの新型小銃と弾薬が生産された。拳銃や手榴弾などの雑多な火器はセルロン市内の武器店で容易に入手できたため、あえてこれらを造り出す必要はなかった。個人用の対戦車ミサイルや対艦砲のような大きな兵器はクワッド連邦の業者から密輸入した。
 手に入れた武器や兵器はニイタカ大要塞の地下倉庫に隠された。要塞の建設工事に従事していた難民たちが地下まで迷い込んで来ると、老兵たちは総力を挙げてこれを追い払った。
 大要塞が完成する頃には大将殿の娘もすっかり大きくなっていた。2歳になったシャルシンドはワガママを言うようになったり、口にする単語の数が増えてきたりと、順調な成長を見せてくれていた。
 シャルシンドのオムツ卒業にはショート・チゴが深く関わった。
 大将殿に良いところを見せようと躍起になったショートだったが、生来の潔癖症が災いしてなかなか上手くいかなかった。
「てめえ畜生、そういう頑固なところが兄さんにそっくりだよ!」
 すっかり汚れてしまった両手を必死になって洗っていたショートの顔つきは、普段のすました表情からは想像できないものだった。
 小さな子供の存在は場の雰囲気を豊かにさせた。時にはふんわりとした空気が事務所の中を流れることもあったが、その裏で私たちの破滅的な計画は着実に進んでいた。
 18ヶ月の年月を費やしてニイタカ大要塞は完成した。
 地下の艦船用ドックにはコメット社のドップラー造船所から飛んできたC型巡洋艦が横たわった。貨物船に偽装してやってきた8隻の巡洋艦を動かしていたのはコメット社の社員たちだったが、艦橋にはエード騎士修道会の卒業生たちが同席しており、コメット社の操船技術を必死になって学んでいたらしい。
 ニイタカ大要塞は多数の対艦砲によって守られていた。普段は地下に収納されている対艦砲だが、戦時においては無類の強さを発揮すると言われた。
 要塞をまともに運営するための電力はクワッド連邦から購入した。クワッド領南部地方の発電施設から送られてくる豊富な電力が東西20キロに及ぶ広大な地下要塞を支えた。この電力を利用して要塞の中には移動用の地下鉄まで設けられていた。
 比類なき大要塞を手に入れた大将殿はさっそく行動を起こそうとした。ドストル難民から志願兵を募り、ぶっきらぼうな彼らを一人前の兵士に鍛え上げようとした。
 ところが切羽詰まった事情によって、この計画は先送りとなってしまった。
 大要塞の完成から半年後。
 ニイタカ山にセルロン政府軍がやってきた。

 当時のニイタカ山はあくまで見捨てられた土地だった。治安状況はいくらか回復していたものの、長らく染みついていたイメージの悪さは否めないところがあり、東西ニイタカ両州はセルロンの住民から「この世の汚物の掃き溜め」と呼ばれていた。
 そんな場所にわざわざやってきたセルロン軍の目的は明らかだと思われた。
「大将殿。セルロン軍は私たちの要塞を破壊するのではありませんか」
「それは違うな中尉。我輩の考えでは彼らに攻撃の意志はない。仮にあったとしてもそれは他方向に向けられている。例えば……東だな」
 大将殿は事務所の壁に張られた世界地図を指差した。
 大将殿が見ていたのは中部地方の東海岸だった。東海岸といえばセルロンから分離独立したハンクマン革命政府が支配している地域だ。
「つまりニイタカ山にやってきたセルロン軍はそのまま東に向かってハンクマンを攻めようとしているのですね」
 私は思ったことをそのまま口にした。
 ところが大将殿は「違う」と言った。
「このタラコ・ソースが支配しているニイタカ山にやってきたのは宇宙軍の連中だ。セルロン宇宙軍といえば機動艦隊。素早い動きで有利な陣形を作りだすのが仕事だ。おそらくは地上軍と連携して、ハンクマン革命軍を包囲掃討する一大作戦でも敢行する気なのだろう。それに間者からの情報ではニイタカ山に展開しているセルロン軍の戦力はわずかに1個戦隊だと言うじゃないか。たった8隻そこらの巡洋艦ではハンクマンは落とせない。それくらいはクチバーの奴にもわかっていることだろうよ……」
 窓から来る風を受けて、大将殿の髪がわずかに揺れていた。わざわざ自らの名前まで持ちだして、ひたすらに語り上げた戦術論。大将殿は「ふう」と息を吐いた。ああ懐かしきかな大戦略。
 大将殿の推理は当たっていた。
 ある日、私は大将殿に連れられて、ニイタカ山の中腹に設けられたセルロン軍の駐屯地を訪れた。これはエード教総本山近くの運動場を我が物顔で占拠していたセルロン宇宙軍の軍艦を追い払うための行動だった。
 本来ならそれくらいはどうでもいいことだったのだが、大将殿はこれを人気取りに利用しようと考えた。セルロン軍を追い払えばドストル難民たちの忠誠心はさらに高まるだろう。突然やってきたセルロン軍に難民たちは戸惑っていたため、ここは支配者として筋を通すべきだとも言っていた。
 セルロン軍の部隊長とはすでに話をつけていた。相手側も地元の有力者から協力を得たいと考えていたらしい。
 いくつかの折衝を経て、ようやく部隊長と面会することになった。
 S型巡洋艦『プリオン』の司令官室で待っていたのは、顔なじみの元帝国軍人だった。
「お待ちしておりました。どうぞこちらにお掛けください。すぐに飲み物を用意させます」
 緊張しているのか部隊長は顔を赤らめていた。彼は自らの白髪をポリポリといじりながら、大将殿の立ち姿を見つめていた。
 しばらくして若い女性士官が飲み物の詰まったワゴンと共に部屋の中に入ってきた。彼女は私たちに「紅茶にいたしますか」と尋ねてきたが、大将殿はこれを断った。私もそれに習って断ることにした。結果、部隊長だけが紅茶と甘酒をブレンドしたよくわからないものを美味しそうに飲むことになった。
 トラク・トラギン中将。帝国時代は下士官だった。ドストル攻防戦の際、恐怖のあまり失禁したことで有名な男だ。年齢は私とあまり変わりないはずなので、少なく見積もっても90歳は超えているはずだった。ところが彼の容貌はせいぜい初老の老人といったところであり、身体のほうもまだまだ衰えていないようだった。
 まさかこの男も遺伝子調整手術を受けたのだろうか。そうなるとあれだけの大金をどこから用意したのだろうか。私の身体を疑念が走った。
 私はトラギンの身体を注意深く観察した。背骨は曲がっておらずシワの数も少ない。老兵たちの姿を思い浮かべるとその差は歴然としていた。
「そちらのお嬢さんはどうしてそう、僕の身体を睨んでらっしゃるので……?」
「こらナルナ。トラギン中将閣下に失礼でしょう!」
 大将殿は私のことを表向き叱って見せたが、その裏では私と同じことを考えていたようだった。
「すみません中将閣下。部下が失礼をいたしまして……それにしてもお若いですね」
 ニッコリと笑みを浮かべる大将殿。チャプチップス氏の愛娘、チョイスマリー・メージ直伝の営業スマイルだった。緊張していた様子のトラギンの顔はよりいっそう赤みを増した。
 この調子なら色々と喋ってくれそうだ。私は顔に出さないよう注意しつつ、陰でほくそ笑んだ。
 結論から言うと、トラギンは遺伝子調整手術を受けていなかった。帝国時代に帝国宇宙軍が開発した特殊な生命維持装置を活用することで老化を抑制、さらに若さを保っているとのことだった。そんな大昔のものが未だに稼働しているというのも奇妙な話だったが、トラギンの上司がエンドラ・プック元帥だとわかるとその話にも信憑性が出てきた。
 エンドラ・プック元帥。帝国の前身である中部連邦、さらにはその前身であるタルブタ共和国――の前身であるタルマン共和国軍の時代から艦隊司令官を務めてきた「人間文化遺産」である。もはや立つことも動かすことも困難な身体を大きな生命維持装置で支えており、言葉は悪いが「とっとと殺してやれよ」と言いたくなる人物だ。
 いかなる苦境においても勝つための戦略を練っていると言われるプック元帥は、人間というより便利な戦術コンピューターであった。そこに人間としての尊厳はないと思われるが一方で本人はまだまだ生き続けたいと考えているらしく、最近はもっぱら西部の音楽グループが出すアルバムを楽しみにしていると新聞には書かれていた。
 そんな機械みたいな人間の部下なのだから、当然上司と同じような人生を求めているのだろう。帝国宇宙軍プック艦隊の構成員はプックの薫陶を受けた者が大多数を占めていた。おそらくセルロン宇宙軍においてもそれは変わっていないはずだった。
 トラギン中将と大将殿はしばらくの間、他愛のない話をした。
 相手の出方を探りつつ、相手の機嫌を損ねないような内容の無い話をしていた。
 やがて大将殿が勝負に出た。
 セルロン軍がニイタカ山にやってきた目的について、大将殿は例の推理を披露して見せた。
『トラギンの部隊は巨大な包囲部隊の一部に過ぎないのではないか』
『中部の東域でハンクマン革命軍の包囲掃討を狙う大きな作戦が行われているのではないか』
 大将殿の推理を聞いたトラギンはひどく驚いた様子だった。彼はおもむろに胸元の第2級国防勲章をいじくることで表向きの平静を装っていたものの、内心の動揺は推して知るべきものがあった。
「な……なるほど。さすがは才媛と名高いハーフィさん。名推理です。良いでしょう。どうせ作戦はもう決行されています。僕があなたにこれを言ったところで結果は変わりません。あなたの仰る通り、我々がここに来た理由は、ハンクマン革命軍の主力部隊を包囲掃討するためです。ゼブラ作戦はきっと完遂されます。一方で僕はニイタカ山への威圧行為も任されています。最近不審な動きが多いそうですから。いくら対外戦争中で国内に目が回らないからといって、あんまり目立つような無茶はしないでくださいよ」
 トラギンの言葉を聞いて、大将殿は喜んだ。
 まだまだ我輩の戦術眼は衰えていないぞという意志がしびれるように伝わってきた。
 一方で私はセルロン政府軍が私たちの動きを少なからず把握していることに危機感を覚えていた。情報が諜報部だけでなくトラギンのような実戦部隊の長にまで伝達されていることにも焦りを感じた。
 エード教総本山の中にスパイでもいるのだろうか。ニイタカ山のどこかに諜報員が潜伏しているのだろうか。疑心暗鬼になりそうな心を両手で締めつけた。
 その後トラギンが作戦の概要図を見せてくれたので、私も疑うことを止めてそれに目を向けることにした。
 とんでもない数の部隊がハンクマン革命軍を包囲していた。東から進軍してくる革命軍の主力部隊を囲い込み、身動きが取れなくなったところで首都ハンクマンを襲撃する。さらには革命軍の主力部隊を分断して各個撃破する。
 もしこれが成功していたら、ハンクマン革命政府の命運は決まったものとなっていただろう。
 ところが完璧な作戦ほど上手く決まらないもので、革命軍の主力は進軍を止めて中部東海岸のナンブ市に退避してしまった。包囲しようとしていたセルロン軍の待機部隊は少なからぬ損害を受けてしまい、宇宙軍第4戦隊などは壊滅状態に陥った。
 セルロン政府のハーバシティ・クチバー首相はこの作戦を「成功した」と発表した。
 事務所でテレビを見ていた私は、思わず酢豚を吹き出してしまった。老兵たちも同じような具合で、大将殿だけがじっくりとテレビの画面を見つめていた。
 クチバー首相曰く「包囲掃討には失敗したが革命軍は追撃を受けてボロボロである」とのことだった。
 驚くべきことにその言葉にウソは無かった。後に大将殿がトラギンに手紙を送って真相を尋ねてみたところ、追撃作戦に参加したらしいトラギンの第5戦隊は逃走する革命軍を相手にほぼ完勝したとのことだった。
 作戦目的を達成することはできなかったが相手に大きな損害を与えることには成功した。勝ったとも負けたとも判断しがたい微妙な戦果だった。
 こんな何ともいえない戦いをセルロン軍は2年ほど続けてきたのだった。
 ゼブラ作戦は双頭戦争と呼ばれる大きな戦いの一局面に過ぎない。セルロン政府は東のハンクマンを攻め立てる一方で、西から雪崩のごとく押し寄せてくる正木藩兵を抑え込むのに必死だった。東西からの圧迫を前にセルロン政府は疲弊していた。
 このような大規模な戦争が行われていたからこそ、私たちは影でこそこそとニイタカ山に大要塞を築くことができたのだと思われた。
 セルロン政府は大要塞の情報をある程度入手していたようだが対外戦争に全力を尽くさねばならない以上、私たちを攻撃するような余裕はなかった。
 大将殿の予想ではこの双頭戦争はあと1年で終わるとのことだった。
 事務所の台所で得意の回鍋肉を炒めながら、大将殿は自らの予想を語った。
「ちょっと聞いてくれるか中尉。我輩はセルロンが負けると見ている。とはいえセルロン政府が滅びることはないだろう。ハンクマンにも正木藩兵にもセルロン全土を抑えるだけの力はない。まず国力が違いすぎる。セルロンの不運は1度に2つの敵を相手にしたことだ。かつての我らが帝国軍と同じだ。もっともセルロンはまだ滅びないだろう。領土を切り離して停戦に持ち込むはずだ。だいたいセルロンはセルロン市とドップラー市だけで十分にやっていける国だろう。他の地域はみんな砂漠、それくらいは他国にくれてやっても何の問題もないはずだ。おっといかん焦げるからゴマ油をくれ中尉! ゴマ油だゴマ油を寄こせ!」
 ついつい語りすぎた大将殿は自慢の回鍋肉を焦がしてしまった。仕方がないのでもう一度作り直すことになり、失敗作は私の一存により総本山で働いていたショート・チゴの元に送り届けられた。
 私たちは大将殿が予想した1年間で戦争の準備をすることになった。セルロン軍が私たちの動きをどこまで把握しているのかわからなかったが、彼らの目がハンクマンや正木藩兵に向けられているうちに戦争の準備をしておく必要があった。
 この1年で計画の全てが決まる。私たちは気合を入れた。


 5 建軍計画

 トラギン率いる第5戦隊がニイタカ山を去ってから2週間が経った頃、かねてから病床に伏せっていたチャプチップス氏はメージ家の家督を愛娘のチョイスマリーに譲ると宣言した。
 私はチョイスマリーとそれなりに仲が良かったため、この慶事を素直に喜んだ。大将殿も気難しい老人よりはチョイスマリーのほうが扱いやすいと考えていたらしく、彼女にお祝いの花束を贈呈していた。ところが当のチョイスマリーはあまり乗り気でないようだった。
 どうして家督を継ぎたくないのか、当時の私はチョイスマリーに聞いてみたことがある。
 すると次のような言葉が返ってきた。
「いやだってさ。家督を継ぐってことは当主になるってことでしょ。そうなるとあたしはニイタカ山の支配者になっちゃうわけよね。いやいやいや。そんなもんになっちゃったら、その辺で立ちションなんか出来なくなるじゃない。ナルナちゃんは耐えられる? あたしは耐えられない」
 名家の箱入り娘がそんな下品な言葉を使ってはいけません。私はそう言いたくなるのを必死でこらえた。
 結局、家督相続の話は本人の反対によって立ち消えとなったが、チョイスマリーはチャプチップス氏の名代としてメージ家の仕事を実質的に取り仕切ることになった。こうなるともはや家督を継いだのと同じだった。親の仕事を無理やり押し付けられた彼女は不満そうにしていた。
 大将殿はチャプチップス氏の突然の引退宣言を訝しげな目で見ていたが、あまり深入りはしなかった。
 トラギンが去ってからもニイタカ山にはセルロン軍の駐在官が残っていた。私たちは彼らの目をごまかしながら。来るべき戦争に向けて戦時動員計画を実行する必要があった。
 大将殿は最初にトラギンの来襲でお蔵入りとなっていたドストル難民の徴兵計画を復活させた。ショート・チゴの提言により、難民たちは「避難訓練」の名目で集められることになった。
 ニイタカ山の山頂にある聖ムーンライト教会に集められた30人の難民たち。彼らには簡単な試験を受けてもらった。試験の内容は学力を測るものよりエード教への忠誠心を試すようなものが多かった。
 この試験に合格した難民だけが大要塞の中で軍事教練を受けることになった。
「どうですハーフィ様。この方式ならば忠誠心を持った強い軍隊を作ることができますし、さらには外部への情報漏洩を防ぐこともできます。我ながら最高のアイデアを生み出したと自負しておりますよ! ええ!」
「よくやってくれたショート。さすがは我輩の義弟だ」
 大将殿に褒められたショートは鼻高々だった。
 私は何ともいえない微妙な気分に襲われたが、あまり気にしないように努めた。
 ショートが集めたドストル難民たちを実際に指導するのは老兵たちの仕事だった。実戦経験豊富な彼らは仮面で顔を隠しながら難民たちを鍛えた。素顔を隠した理由はいわずもがな、かつて嵐のごとくエード教の重鎮たちを殺し回った彼らは当然のように敵視されていたためである。集めた難民たちの中に彼らの顔を知る者がいた場合、混乱は避けられないと考えられた。仮面はそのための処置だった。
 老兵たちは難民たちから仮面教官として恐れられた。素顔が見えないぶん不気味だったらしい。
 大将殿は兵士育成計画をどんどん拡充させていった。聖ムーンライト教会には毎週のようにドストル難民が集められた。軍事教練を受ける難民の数は雪だるま式に膨らんでいった。
 こうなると6人の老兵ではとうてい手に負えなくなってきた。大将殿は事実上の士官学校であったエード騎士修道会の卒業生たちを教官に任命することでこの人材不足を乗り切った。1人あたり30人程度のクラスを受け持つことになった卒業生たちは、慣れない指導に試行錯誤しながらも人を動かすことに慣れていった。
 軍事教練はとにかく実戦的であることが望まれた。帝国軍の新兵指導要領を元に、儀礼部分を徹底的に排除した訓練計画が立てられた。これは軍事教練を12ヶ月という短期間で終わらせるための苦肉の策でもあった。
 難民たちは厳しい指導を受けていく中で肉体的に育っていった。見た目だけなら歴戦の兵士と言われても疑わないくらいのものがあった。軍隊の設立はまだ行われていなかったが彼らには特注の制服が与えられた。
 6ヶ月の基礎訓練を終えた新兵たちは2つの組織に分けられた。
 1つは地上部隊。小銃や対艦砲でニイタカ山を守備する兵士たちである。
 もう1つは艦船部隊。この部隊の兵士にはコメット社から購入したC型巡洋艦に乗り込んでもらった。
 いわば実戦部隊のようなものに配属された新兵たちは、老兵たちや卒業生たちの下で様々な戦闘技術を身につけていった。
 時にはコメット社の技術者やクワッドの軍人を呼びつけて、C型巡洋艦の試験飛行や対艦砲の試射を行うこともあった。セルロン軍に怪しまれるとまずいため、これらの訓練は大要塞の中で行われた。試射については要塞を大きく壊すわけにはいかなかったので空包で我慢してもらった。
 これらの訓練が行われている様子を大将殿はよく眺めに行っていた。秘書官である私もそれに付き従った。120名の新兵たちからなる中隊が、4列縦隊を組んで要塞の中をランニングしていた時などは、懐かしさのあまり思わず大将殿に抱きついてしまったこともあった。帝国軍という組織自体にはあまり愛着のない私だったが、若き日を過ごした士官学校時代の雰囲気をそこはかとなく感じとってしまうことがあり、それが私の涙を誘ったのだった。
 一方で大将殿は複雑そうな顔をしていた。
 当時の私には彼がどうしてそのような顔をしているのか、わからなかった。

 新兵の多くは熱心なエード教徒だったため厳しい訓練にもよく耐えていた。
 一方で少なくない数の新兵たちが大要塞からの脱走を図っていた。深夜中に兵舎を抜け出した彼らは、一心不乱に地下訓練場から逃げ出そうとした。ところが逃げ出そうにも地下訓練場には出入口が2つしかなく、しかも電子的な錠前が掛けられていた。すなわち中央管制室のコンピューターを操作しない限り、2つの出入口が開放されることはなかった。要するに個人でどうにかできる代物ではなかったのだ。
 相次ぐ脱走を受けて大将殿は思想教育の授業を行うようになった。
 3000人ほどの新兵たちがニイタカ大要塞の大劇場に集められた。押し寄せる人波、いや実際には押し寄せてなどいなかったのだが、さすがに6000個もの目玉に見つめられてしまうと心の底から怯えたような感情が湧き起こってきた。
 顔の紅潮と胸の高鳴りを抑えつつ、私は舞台の右端に設けられた司会台からマイクを通じて新兵たちに話しかけた。
「みなさんおはようございます。ドストル修道会のナルナ・タスです。今日は教練の前にちょっとしたお話があります。私からではなく壇上にいらっしゃるハーフィ司教からのお話です。しっかりと聞いてくださいね」
「はい。御紹介に預かりましたハーフィ・ベリチッカです。ありがとうねナルナさん。みなさんおはようございます。朝早くから集まっていただきまして、誠に嬉しく思います」
 大将殿も舞台の上から新兵たちに語りかける。
 老兵たちの操るスポットライトが修道服のなだらかな起伏を照らし出していた。黒衣の下に隠された実り豊かな体躯は、見る者を虜にしてしまう。出産経験などまるで感じられない。大将殿の醸し出す色香は修道服ぐらいで隠し切れるものではない。大将殿の身体はそういう風に出来ている。
 生粋の女性であるチョイスマリーの助言も相まって、大将殿は嫌みのない可憐さを手にしていた。経験と研鑽を重ねたそれは、より洗練されたものとなっていった。
 舞台袖の司会台から壇上の大将殿を眺める。私の隣にはモデジュ少尉もいた。彼は複雑そうな顔で大将殿の講演に耳を傾けていた。
 私たちが企画した思想教育はたった1つの単純な思想を元に形成されていた。
 ニイタカ山のドストル難民たちを戦争に連れていくための一番手っ取り早い理由付け、彼らを永遠の憎悪の中に閉じ込めるという目的を達成するためには最も有効だと思われる洗脳と扇動の方向性。
 ドストル難民たちに帝国を恨ませる。
「皆さんはエード教の戦士です。エード教とニイタカ山を守る屈強な戦士です。わたしもまたそうです。このハーフィ・ベリチッカが皆さんを大要塞に集めたのは稀有なるエード教を守るためです。そしてわたしには夢があります。セルロン政府とハンクマン革命政府を影で操る旧帝国勢力を捕らえて、中部地方にエード教の王道楽土を築くことです」
 大将殿は力強く訴えた。
 観衆の新兵たちはざわついていた。彼らは自分たちのことをニイタカ山の治安維持要員だと捉えていた。もしくは東西ニイタカ州の自治を守るための示威要員だと認識していた。これはショートや老兵たちが募集の時にそういう口ぶりで彼らを集めたことが原因だった。
 新兵たちが混乱する中、大将殿は壇上で講演を続けた。
 セルロン政府がエード教を踏みつぶそうとするのなら、などという全く根拠のない話から、建国以来戦争ばかりしているセルロン政府軍を影で操っているのは帝国軍であるとするクソったれた陰謀論まで、ありとあらゆる『薄っぺらい話』を壇上に積み上げていった。そして多方面の話題から少しずつ確実に、ゆっくりと熟成するかのようなゆるやかさをもって『帝国軍は悪の組織である』という思想を新兵たちに認識させていった。
 ――エード教は悪を打ち破る力を持っていて、私たちこそがその尖兵である。
「皆さんの訓練が終わる頃、わたしは皆さんをエード騎士団と名付けたいと考えています。すでに設立済みのエード騎士修道会を母体とするエード教の騎士団です。八百万の神々の総体意思を受け継ぐ、現世の西征陸軍とでも申しましょうか。もっともあれほどの高尚なものではありませんが……わたしはただ、相次ぐ覇権戦争に苦しむセルロンやハンクマンの人たちに救いの手を差し伸べたい、ドストル修道会がドストルから落ち延びてきた難民たちを助けたように、エード教自身もまた人々を救うべきだと、そう考えています」
 大将殿はさりげなくセルロン政府の戦争を覇権戦争だと決めつけた。国家の覇権を賭けたくだらない戦争であると新兵たちを諭した。そして自分たちがこれから遂行する戦争は正義の戦争なのだと、暗に知らしめた。
「だから、わたしは皆さんに謝りたいと思います。本当の理由を隠していてごめんなさい……そしてお願いします。わたしを手伝ってください。司教だとか重鎮だとか言われてもわたしは所詮ただの女です。1人では何もできません。しかしここにいる皆さんが共に戦ってくださるのなら、きっとわたしたちは中部に住む全ての人々を救うことができます。きっとです。約束します」
 心細そうな声をひねり出し、頭を下げ、頭巾を取り、また頭を下げて、最後には大義を信じるように叫ぶ。
 大将殿はショートの書いた台本を演じきった。新兵たちは自分たちの宗教指導者が頭を下げたことに衝撃を受けたようだった。
 このような授業が月に1度は行われた。さすがに2度目以降は感情を揺さぶるような発言を差し控えてもらったが、壇上に立った大将殿はひたすら王道楽土について説いていた。
 提示された理想的な未来がちょっとした努力でやってくる。そういう文句に人は弱い。新兵たちの多くは来るべき救済の時を待ちわびるようになった。粗暴な行いが目立っていたとある新兵もすっかり真面目になってしまった。
 中にはいつまで経っても言うことを聞かず兵舎からの脱走を繰り返す者もいたが、やがて姿を見なくなった。老兵たちは逃げ出したと説明していたが、おそらくは彼らの自動小銃が火を噴いたのだろう。
 明確な意志を持った軍隊は手強い。そんなモデジュ少尉の言葉通り新兵たちはどんどん強くなっていった。
 チャプチップス氏の民兵隊ぐらいなら巡洋艦を使わずとも制圧できるのではないか。
 当時の新兵たちにはそう思わせるほどの迫力があった。
 彼らは大将殿の提唱する「王道楽土」の建設を目指して日々努力していた。一方で、大要塞から逃げようとすると最悪の場合仮面をかぶった老兵たちに殺されてしまうかもしれない。だったらいっそのこと頑張ってみようじゃないの。そんな半ばヤケクソとでも言うべき思考が彼らの頭の中を席巻しているようにも見えた。
 ニイタカ大要塞の地下練兵場は発足してからの1年間で9000人もの兵士を生み出した。エード騎士修道会の卒業生340人を合わせても私たちの総兵力は約9340人。セルロン政府軍の総兵力80万とは比べるまでもない数だったが、大将殿はこれだけの兵力でも十分戦争ができると踏んでいた。
「要するにセルロンが我輩たちの存在を恐れる程度の戦力があればいいわけだ。あいつらが本気を出してくれないとニイタカ山は燃え尽きてくれない。1万人の兵士と8隻の巡洋艦。これだけあれば大丈夫だ。セルロン軍は全力で我々エード騎士団を叩いてくれるだろう」
 事務所のローテーブルに大きな地図が広げられていた。帝国時代の中部地図だった。
 大将殿は紅茶を嗜みながら机上演習に興じていた。段ボールの切れ端で作ったコマにはそれぞれ簡単な説明文が記されており、またセルロン軍のコマは三角形、エード騎士団のコマは四角形と、所属勢力が一目でわかるように工夫が凝らされていた。
 地図の上は三角形のコマでいっぱいになっていた。
「どうだナルナ中尉。見てばかりいないで我輩の相手をしてくれないか」
「いえ。私は見ているだけで十分です」
「なかなか気分がいいものだぞ、総大将というのは。あくまで架空の話ではあるが我輩はセルロン政府軍の総司令官だ。こうやってトラギンの部隊をニイタカ山にぶつけることもできる」
 大将殿は持っていたコマをニイタカ山の近く、ドップラーあたりに置いた。コマには端正な字で『宇宙軍第5戦隊』と書かれていた。その下には『わりと強い』との文字もあった。
 地図の上でトラギンの部隊と対峙していたのは『エード騎士団第1艦隊(仮)』だった。戦力評価は『それなり』。
「ふふふ。まるで子供の遊びみたいだろう。将棋にも通じるところがあるからな。もっとも昔の我輩はこれ以上の兵力を指揮していた。こんなどころじゃなかった。そうだ中尉にこれをやろう。中尉の好きなところに置いてみるといい」
「わかりました」
 私は四角形のコマを受け取った。当時の大将殿はよほど対戦相手が欲しかったと見える。
 渡されたコマには『エード騎士団第2艦隊(仮)』と記されていた。私は地図の上をよくよく観察した。本拠地のニイタカ山はエード騎士団の歩兵部隊と対艦砲部隊が守っている。ここは彼らに任せて大丈夫だろう。
 目の前で大将殿が微笑んでいた。綺麗な方だ。身をゆだねている紅色のソファと、ブロンドの髪が微妙に交錯していてよく映えている。私服の胸元には4列36連にもなる略綬が添えられていた。一介の中尉に過ぎない私には略綬のどれがどういう勲章を表しているのかよくわからなかったが、帝国時代の重臣たちが付けていたものと同じ構成だった。
 ちなみに32個のバッヂをわざわざ私服に縫い付けたかというとそうではない。あれはリボンラックと呼ばれるハリガネで1列ずつまとめられており、取り付け取り外しは容易なのだ。
 私は『エード騎士団第2艦隊(仮)』のコマをトラギンの部隊『宇宙軍第5戦隊』の背後に置いた。トラギンの部隊は前後をエード艦隊に塞がれてしまった。いわゆる挟み撃ちだ。2つの艦隊に挟まれてしまえば長くはもたないだろう。トラギンの狼狽ぶりが目に浮かんだ。
 ところが大将殿は私がコマを置いた途端、ニヤリと顔を緩ませて、右手に持っていた6枚のコマを主戦場の近辺にばら撒いた。
「中尉はマヌケだな。あーうむ。んんっと。我はセルロン軍の偉大なる将軍。セルロン宇宙軍の第1戦隊および第2から第4、第6と第7、合わせて6個戦隊からなる任務艦隊、栄光あるエンドラ・プック元帥大将殿の御命令を受けて、愚劣なトラク・トラギン中将率いる第5戦隊を御助けに参りましたぞよ!」
 大将殿の言葉を借りさせてもらえば、まさにそんなような具合だった。
 トラギンの部隊を包囲していたエード騎士団の艦隊は、セルロン宇宙軍の全戦力によって逆包囲されてしまった。2枚のコマを6枚のコマが囲んでいた。こうなっては勝てるはずもない。
「つまりはこういうことだ。いくら我輩たちが努力しようが結果は変わらない。だから暇だったのだよ。勝ち目がある戦いならば頭を働かせて色々と考えるが、これではやる気が起きない。もっとも宇宙軍の連中には宇宙空間の治安を守るという重大な使命があるから、こんなにわらわらとやってくることはないだろうがな」
 ばら撒かれたコマが大将殿の手元に戻された。もうちょっと考えてみろ。大将殿は得意げに笑っていた。
 私は『エード騎士団第2艦隊(仮)』のコマを拾い上げて、セルロン政府の首都であるセルロン市の前に置いた。どこに置いてもいいのなら敵国の首都を狙ってみるのが定石だろう。
 対する大将殿は、ここでも宇宙軍のコマを主戦場にばら撒いた。さらには首都にセルロン地上軍の防衛艦隊を積み上げた。
 本当に勝ち目のない戦争なんだなあと感心した反面、ちょっとぐらい手加減してくれても良いのになあと思った覚えがある。


 6 ときめいて羽ばたいて

 およそ1年かけて1万人の軍勢を作りだした私たちは、ドストル難民たちから追加の兵員募集をかけつつ練兵事業を縮小させた。
 手の空いた老兵たちには兵士たちの個人情報を調べてもらった。端的に強いか弱いか、リーダーシップを発揮できるかできないか。調査内容はただそれだけだった。
 大将殿はこれらの調査で得られた情報を元に階級章を発行した。階級といっても軍隊式のものではなく『従士』『准騎士』『正騎士』『聖騎士』といった騎士団らしい独自の階級が設定されていた。これはショートの献策によるものだった。
 ドストル難民は過去の経験から国家権力や軍隊組織を毛嫌いしている。混乱させないためにも軍隊式の階級は避けた方がいい。大将殿はそんなショートの意見を取り入れた。それがあの4段階式の階級だった。
 1万人程度の小規模な軍隊だったためそれほど階級の数がいらないと言うのもあったが個人的には馴染めなかった。ちなみにエード騎士団の名称もショートが考え出したものだ。ドストル軍やエード軍などの案もあったのだが、階級と同様の理由でエード騎士団となった。士官学校であるエード騎士修道会と似たような名前になってしまったが、大将殿の命令で決まった名前なので仕方がなかった。
 騎士修道会を卒業した生徒たち、いわゆる卒業生たちにはさっそく『准騎士』の位が与えられた。これは正規軍で言うところの士官にあたる階級だった。地下練兵場で鍛えられた新兵たちは『従士』の位に任ぜられた。こちらは一番の下っ端である。
 一部の優秀な新兵には、いきなり『准騎士』の位が与えられることもあった。また騎士修道会の卒業生で特に優秀だった者にも特別に『正騎士』の階級がもたらされた。大将殿は老兵たちが集めた情報を元にこれらの施策を行っていたが、それとは別に個人的に目を付けていた者にも高い階級を与えていたようだった。
 1人の『准騎士』と40人の『従士』からなる部隊は小隊と呼ばれた。大将殿はこの小隊を基軸にたくさんの部隊を編成した。ただし巡洋艦に乗り込む艦隊勤務の兵士はこの小隊には参加せず、もっぱら『正騎士』たる艦長の下でごく自然な人間関係を構築していった。
 エード騎士団はまだ正式な設立にこそ至っていなかったが、組織としてはすでに完成しつつあった。
 あとはセルロンとハンクマンの戦争が終わる時を待つばかりだった。トラギンの第5戦隊がニイタカ山を去った頃、大将殿は「この戦争はあと1年ほど続くだろう」と予想したが残念ながらはずれてしまった。あれから1年半が過ぎようとしていたが、セルロン軍とハンクマン軍はペルシャ湾の港湾都市・タルン市でにらみあいを続けるばかりで戦争が終わる気配は一向に見えなかった。
 騎士団員の中には、今こそ好機、戦争で疲れている両軍を一刀両断して王道楽土を築きましょうなどと言い出す者もいたが、そんなことしたら万が一にも勝ってしまうかもしれないため大将殿はこの意見を退けた。
 私たちの目標は「あくまで壮絶に負けること」だった。
 これは大将殿とその部下たち、帝国軍の階級を持つ者とショート・チゴのみが知る「最上級の秘密」だった。
 私たちは秘密が漏れないよう細心の注意を払った。秘密を知らない者は事務所に入れないようにしていた。そもそも私たちは事務所の場所を巧妙に隠していた。大将殿を信奉する一部のドストル難民が押し寄せてくることを予防するためだ。メディアに登場する大将殿はいつもエード教の総本山寺院にいた。難民たちはそれを信じてハーフィ・ベリチッカは総本山にいるものだと思い込んでいた。ハーフィに会わせろ、直談判したいなどと申し出てくるちょっぴり短気な連中もたいていは総本山にやってきていた。彼らがいくら叫ぼうともその声は大将殿に届くことはなかった。もっとも事務所は総本山の近くにあったため、実際のところは声の端くれ程度なら聞こえてくることもあったのだが、大将殿がそんなものを聞き入れるはずがなかった。
 いろいろと努力して守ってきたこれらの秘密だったが、漏れてしまう時には漏れてしまうものだった。私たちの正体を本来部外者であるはずのショートが知ってしまったように、情報というものは必ずどこかから漏れ出してしまうのだ。

 ある日のことだった。
 私はシャルシンドを連れて大要塞の中を散歩していた。3歳の彼女は乳児期を経て立派な幼児となっていた。手をつないで一緒に歩くことは私の仕事の1つであり、楽しみの1つでもあった。
 いくつもの階層がミルフィーユのように連なっている大要塞は迷路の様相を呈していたが、道筋に慣れていた私たちは迷うことなくいつもの道をのんびりと歩いていた。
 誰もいない通路をゆっくり歩いていると、見慣れた十字路に出た。ここを左に曲がれば9号エレベーターだ。
 私とシャルシンドはいつもの道をいつも通り歩いた。
 十字路を左に曲がると、そこにはセルロン軍人がいた。
 おそらくは潜入ミッションだったのだろう。セルロン軍人は壁際をじわりじわりと移動していた。
 はてさてどうしたものか。私の手元には拳銃が1丁あるのみだった。モデジュ少尉が誕生日プレゼントにくれたガーターベルト型のホルスター、よく映画などで女性諜報員が太ももに固定しているアレをこの日の私はたまたま携帯していた。どうしてそんなものを着けていたのかと言えば、特に理由はなくただ着てみようかと思っただけだった。
 普段の私は修道服のポケットに小さな拳銃を入れていたが、この日はそのガーターベルトのおかげでわりと大きめの拳銃を仕込むことができた。帝国東域砲兵工廠・ボタキ23自動拳銃。帝国軍時代からの愛銃だった。
 私は愛銃を手に取った。安全装置を外していつでも撃てるようにしておく。
 そそくさと通路を歩いているセルロン軍人がこちらに気づいている確率はほとんどゼロに等しいと思われた。この距離なら頭だって狙える。問題はシャルシンドだった。まだ幼い彼女に人が死ぬ様子は見せたくなかった。
 生け捕りにして大将殿のところまで引っ張って行くべきか。
 私は考えた。相手から銃を奪うにはどうすればいい。あのセルロン軍人はえらく重武装だ。黒光りする短機関銃を大事そうに抱えている他、リュックサックがずいぶんと膨らんで見える。中身は何だろう。爆弾で要塞を吹っ飛ばそうとしているのだろうか。それとも重要な書類や情報端末をリュックサックに詰め込んでいらっしゃるのか。
 どちらにしろ生身で対抗できる相手ではなかった。罠を仕掛けて陥れることも考えたがおそらく特殊部隊所属であろう彼にそんなものが通用するのだろうか。やはりここから頭の中に鉛玉を送りつけてやるべきなのか。
「ナルナちゃん、あの人は?」
 足元にいたシャルシンドが喋りかけてきた。いけない。見つかる。私は愛銃をガーターベルトのホルスターに戻した。
 セルロン軍人は私たちに気づいたようだった。ゆっくりと壁際を這っていたはずの彼は、ふとした瞬間に想像を絶する速度でこちらに銃口を向けてきた。反射的に私は両手を挙げた。シャルシンドは何が起きたのかよくわかっていないようだった。
「なんだ、ただの修道女か。安心しな。絶対に撃たねえよ」
 ゴーグルとマスクを外したセルロン軍人は何故か握手を求めてきた。私が手を挙げたまま動かないでいると、彼はくくくともったいぶったような笑みを漏らした。
「別に手を下げたからって撃たねえッスよ。そっちのお子さんも。わざわざこんなところまで人殺しを楽しみに来たわけじゃねえんだから。あと銃弾がすこぶるもったいない」
 これだけ撃たないと言うのなら信用してやってもいいかもしれない。彼はいつでも私たちを撃ち殺すことができた。なのにそれをしなかったのはその意志が無かったからだろう。
 短機関銃の銃口は相変わらずこちらをにらんでいたが、私は勇気を出してミリシドに話しかけてみた。
「弾があまり無いのですか。背中にたくさん詰め込んでおられるようですけど、それだけあれば十分なのではございませんか」
「ハハハ。あんた何も分かってないな。浮世を離れた修道女さんらしいや。これは爆弾だよ」
 やはり爆弾だったか。しかしセルロン軍はどういう教育を施してこんな特殊部隊員を生成しているんだ。敵の前で武器についてぺらぺらと喋るような奴がいるものか。当時の私はいい知れぬ義憤に駆られた。自分とは何の関係もないはずのセルロン政府軍の方針にひたすらケチがつけたくなった。
 セルロン軍人はミリシド・フルトラップと名乗った。階級は少尉らしい。潜入捜査中の特殊部隊員が現地の人間に自分の素姓を話すというのも変な話だが、彼はそういう男だった。
「くくく。もしかしたらご存じないかもしれないが、俺の上司はケルトレーキ・コッバ少将だ。政府軍特殊作戦軍の司令官殿。数々の特務作戦をこなしてきたセルロンの英雄。個人的には宇宙軍のプック提督より先を読む力があると思うね。あんな人はめったにいない。そんな少将殿の命令を受けてここまで来たのが俺だ」
 ミリシドは感情豊かな男だった。子供の頃から何かあるたびにお母さんに報告していたような、そんな匂いのする男だった。いわゆる教えたがりという奴だ。ますます特殊部隊向きとは思えなかったが、それよりも気になったのはコッバという名前だった。
 コッバ。コッバ。
 ああ、あいつだ。
 カーライル・コッバ上等兵。私の同僚。大将殿の部下の1人。老兵たちの中で最も階級の低い男。
 そういえばカーライルには息子がいると聞いていた。コッバなんて姓の人間は少ない。そしてカーライルは息子のことをケルトと呼んでいた。
 なるほどあいつの息子はセルロン軍の司令官になっていたのか。これは後で言ってやったほうが良さそうだ。
 思わぬ繋がりに喜んでしまった私は、状況が逼迫していることをまるで忘れてしまっていた。
 これはいけない。このままでは私たちは捕虜にされてしまう。それは困る。
 まずはこの男を倒さねばならない。どうする。やはり殺すしかないか。
「どうしたんだ修道女さん。そんな目でにらまないでくれよ。あんたはただの修道女なんだ。この要塞を作り上げた一派とは無関係の普通の人だ。わかっているんだぜ。そういえばさっき綺麗な右脚を見せてくれたな、あんたにそんなもんいるのか?」
 私はホルスターから愛銃を引き抜いた。あまり戦いが得意ではない私だったが、眉間に筒先を当てられた相手は必ず武器を捨てるぐらいの知識はあった。
 ミリシドの手からこぼれ落ちた、セルロン製の短機関銃が廊下を跳ねる。加工樹脂特有の安っぽい音がした。私は勝利を確信した。
 こんな絶体絶命の状況下においてもミリシドはへらへらと笑っていた。
「修道女さん、あんた俺の言葉で動揺しただろ。話術には自信があるんでね。よくわかるさ。そしてその動き。古臭い拳銃。今どきそんな銃を持っている奴はそうそういないぜ。23型のボタキとかいつの銃だよ。尻尾を出しちまったな、修道女さん。俺はわかっちまったぜ。へへへ。あんた、タラコ・ソースだろ」
「違います」
 そう言ってみてから、私はぶわっと鳥肌が立つのを感じた。
 こいつ、どこからその情報を手に入れた。ニイタカ山の修道女の中にタラコ・ソースが紛れこんでいることをどうやって知った。いったいどこから私たちの秘密は漏れた。大将殿とその部下たちしか知らないはずの「最上級の秘密」を漏らしたのは誰だ?
 私は足元の少女に目をやった。シャルシンドは口が達者だ。ミリシドの言ったことを理解してしまっているかもしれない。どうしたんです。キョトンとした目でこちらを見つめているのはどうしてなんです。どうして私の顔を見ている。
 これ以上、シャルシンドにはいらないことを知ってもらいたくない。
 愛銃の引き金を引いた私は、血しぶきが空を舞うことを覚悟した。幼い子供に無残な光景を見せたくなかったので、射殺の覚悟を決めた私の右脚はシャルシンドの腹を思いっきり蹴飛ばしていた。あっちに飛んでくれシャルシンド。そして私が人を殺すところを見ないでいてくれ。
 しかし肝心の弾丸は発射されなかった。それもそのはず、間抜けな私は弾倉を入れていなかったのだ。道理でいつもより重量が無いはずだった。
「もしかして弾が入ってないのか。じゃあやっぱりあんたは素人だ。何の関係もない修道女さん。ニイタカ山は治安が悪いから、身を守るために骨董屋で銃を買ったんだろ。だったら良いんだ。ちょっとヒモでくくらせてもらうから、じっとしててくれよ。人殺しは良くないからな」
 ミリシドは私の手から愛銃を取り上げた。長年使い続けてきた愛銃が地面を転がっていく。私は健気にも素手で立ち向かったが、鍛え上げられた特殊部隊員に徒手格闘で勝てるはずなどなかった。
 この男、間抜けそうでなかなかやるじゃないか。愛銃と同じような具合で地面に転がされた私は、両手をヒモで固定されてしまい、さらには天井近くを通るパイプにヒモをくくりつけられてしまった。ヒモの長さには余裕があったので吊るされるようなことは無かったのものの、身体の自由は奪われた。
「なかなか便利なヒモだろ。サナン技研製のキープワイヤーだ。人を縛るためだけに開発されたワイヤーだから強靭性は抜群。旅行カバンに付ける防犯用の奴と同等の強さはあるだろうね。だから諦めてゆっくりしててくれよ……そういえばさっきの子供は?」
「蹴飛ばしてやりましたよ。どこに行ったんでしょうね」
 自分の間抜けさにショックを受けていた私は、なげやりに答えた。
「おいおい誰かから預かってる子供じゃねえのかよ。修道院の保育園の子だろ。いや待てよ、エード教は結婚とか出産とかをやたらと奨励していたな。産めよ育てよ地に満たせよとか聞いたことあるぜ。もしかしてあの子、あんたの子供なのか?」
「あれはタラコ・ソースの娘ですよ。シャルシンド・チゴです」
「嘘だろおい、ちょっとあの子追いかけてくる!」
 あの時のミリシドの嬉しそうな顔が忘れられない。おそらくは彼らにとって最大の敵であるはずの大将殿の子供を誘拐して、それをネタに大将殿をゆすろうと考えていたのだろうが、残念ながらその思惑は失敗に終わった。
 背後から忍び寄る人影にミリシドは気付くことができなかった。無邪気な笑顔を振りまいていた彼はいきなり後頭部をスコップのようなもので殴られてしまい、何も言うことなくそのまま地面に倒れ込んだ。
「大丈夫か中尉!」
 目の前にスコップを持った修道女がいた。彼のブロンドの髪はところどころ汗で濡れていた。修道服もどことなく水気を帯びていた。ここまで走ってきたのか、はたまたさっきまでシャワーでも浴びていたのか。どちらにしろ私の心はいっぱいになった。
 大将殿の隣にはシャルシンドもいた。彼女が大将殿を呼んできてくれたのだ。
「我輩の娘を蹴飛ばしてくれたそうだな中尉。さっきまで大泣きしていたぞ。怪我してなかったから良いものの、以後慎むようにしてくれたまえ。どのような理由があろうが無かろうが、シャルシンドを傷つけるような真似は許さんからな。まあ無事そうで何よりだ。それでこの者は何だ。どう見てもセルロン軍の戦闘服にしか見えないが、やはりそうなのか」
 スコップの一撃をまともに喰らってしまい、完全に気絶していたミリシドの寝姿を大将殿は興味深そうに眺めていた。シャルシンドも一緒になってミリシドの制服をいじくっていた。子供が親の真似をする姿はいつの時代も可愛らしい。
 大将殿はミリシドのガンベルトから彼の自動拳銃を奪い取った。コメット・ボタキ89。私の愛銃ボタキ23の改良型だ。なるほど、道理で私の銃をすぐにボタキだと見抜いたわけだ。当時の私は少しだけ興奮した。
 ボタキ拳銃を愛用している人間を業界ではボタカーと言うのだが、まさかセルロン軍にもボタカーがいるとは思わなかった。シーマ皇帝に低性能のレッテルを貼られてしまい、軍用拳銃として採用されることなく民間で投げ売りされてしまった悲運の拳銃。しかし私たちのようなボタカーはボタキ拳銃の性能を信じている。信じているからこそ大事にしている。この日の私はこれといった意志もなくガーターベルト式のホルスターを身につけていたが、もしかすると身体が勝手にボタキを求めていたのかもしれない。合点がいった。あの日、あんな恥ずかしいものをわざわざ身につけた理由がわかった。良かった良かった。
「ボタキか。中尉はこれが好きだったな。戦利品にくれてやろうか」
「いえ。ボタカーは他人のボタキを奪いません。彼のものは彼のものです」
「それならまあいいが……他に銃はないのか。中尉の両手を縛っているロープを吹き飛ばそうと思うのだが、失礼を承知で言わせてもらう。ボタキでは不安だ」
「むしろボタキだからこその重要任務ですよ。ぜひ大将殿も味わってみてください。さあさあどうぞ。撃ってみてください」
 私の提案を大将殿は飲まなかった。大将殿はスコップでヒモを叩き切った。晴れて自由の身となった私は、シャルシンドに蹴り飛ばしてしまった件を謝りつつ、ミリシド・フルトラップの素性について大将殿に説明した。
 特殊作戦軍。噂には聞いていた、セルロン軍の特殊作戦部隊。
 彼らはどこからともなく大要塞に入り込んできた。数少ない出入口は老兵たちの監視下にあり、鋼鉄製のドアで守られた城門はそうそう突破できるものではなかった。それに突破された時点で誰かが侵入者の存在を確認していたはずだった。いったいどうやって大要塞の中に入ってきたのか。まずはそれが謎だった。
 またミリシドは私たちの正体を知っていた。少なくとも私たちを帝国軍の残党だと認識していた。そうでなければタラコ・ソースなんて名前は出てこない。どこからそんな情報を入手したのか。これについてはすぐに情報源がわかった。
 ミリシドのリュックサックには私たちの機密資料が大量に詰め込まれていた。帝国軍の新兵指導要領の原本や領収書の類、はたまた老兵の日記帳など、盗まれていたものは多岐にわたった。ミリシドはこれらの資料から私たちの正体を割り出していた。幸いにして私たちの最終目標などは書類化されていない『頭の中の情報』だったため盗まれずに済んでいた。
 ミリシドは特殊部隊の隊員らしく高性能な短波無線機を持っていた。彼がこれを用いて遠くのセルロン軍司令部に様々な情報を伝えた可能性は否定できなかったが、大将殿はあまり気にしていないようだった。
「もし仮にケルトレーキ少将とやらが我々の正体を知ったとしても、さらにはセルロン軍参謀本部にまでその情報が回っていたとしても、それを有効活用する手立ては今のところ無いだろう。セルロン軍が公の場で我輩の正体を暴いたところで聞き入れる者などいるはずもない。ハーフィ・ベリチッカとタラコ・ソースでは年齢もイメージも違いすぎる。誰がそんなことを信じるものか。我々が注力すべきはこれ以上の侵入を阻止することのみだ」
 大将殿はシャルシンドの身体に傷薬を塗りながら、そんなことを言った。
 老兵たちは侵入者の存在に驚いていた。完全に封鎖された出入口、電子的な監視網、大要塞の防御装置はどれをとっても一級品だった。それを突破して中まで侵入した者がいたわけだが、実際のところ単に盲点を突かれただけだった。
 ミリシドはニイタカ山をスコップで掘り抜いていた。山の斜面から穴を掘り、地中奥深くにある大要塞までたどり着く。こんな原始的な方法で彼は大要塞潜入を成し遂げた。彼のトンネルがいつ頃完成したかは定かでなかったが、大将殿や老兵たちは彼の健闘を「一級品の潜入工作」だとして褒め称えた。私もとりあえず拍手しておいた。
 捕虜となったミリシドには地下奥深くに独居房が与えられた。騎士団員たちがミリシドから妙なことを吹きこまれないよう、独居房の警備は老兵たちが行うことになった。
 老兵たちはミリシドから有益な情報を引きずりだそうとしていたが、相手が特殊部隊員なのもあってなかなか上手くいかなかったようだ。
 大将殿はこれ以上の侵入を防ぐため、ニイタカ山のありとあらゆる場所に監視カメラを取り付けた。さらに大要塞の内部を騎士団員たちに巡回させることで、侵入者をすぐに逮捕できる環境を整えた。大要塞の深部、すなわち私たちの本拠地である総長室近辺の警備は今まで通り老兵たちが行った。
 ミリシドの潜入は結果的にニイタカ山の警備体制をより良いものに変えたのだった。
 なお、これは全く蛇足な話となってしまうが、自由の身になった後、通路に落ちていた愛銃を、修道服をまくってガーターベルトのホルスターに戻したところ、たまたま私のことを見ていたらしい大将殿は実に何とも言えない顔をしていた。

 私たちが双頭戦争の終結を知ったのは、ミリシドがやってきてからちょうど1ヶ月が経とうとしていた頃だった。
 中部西域、セルロン市から200キロほどの距離にあるタルンの地において、セルロン政府のハーバシティ・クチバー首相は戦死した。
 なぜ一国の宰相が戦場に出ていたのか当時はさっぱりわからなかったが、聞くところによるとセルロン政府軍の新造艦・F型巡洋戦艦「フランクロイツ」の公試運転をわざわざタルン上空で行ったらしく、クチバー首相はこれに乗り込んでいたそうだ。
 もしかすると首相は総大将自らが戦場に出ることで兵士たちの士気を上げようとしたのかもしれない。タルン市を囲んでの長期間のにらみ合いにセルロン兵は疲れていたとされている。しかし世の中そうそう上手くはいかないもので、待ち伏せていたハンクマン王国軍の遊撃部隊によってフランクロイツは撃沈されてしまった。上空5000メートル地点を浮かんでいたフランクロイツから放り出されたクチバー首相や船員たちの行方は全くわかっておらず、セルロンのテレビ局では実は生きているのではないかとの説に基づいた検証番組が盛んに制作された。
 戦死したクチバーに代わってセルロン政府の指導者となったのは副首相のトンボ・テルーだった。主戦派だったクチバーと違い、元々戦争に懐疑的だったらしいテルーはさっそく講和条約の締結に乗り出した。
 ところがハンクマン王国軍は講和を望んでいなかった。そもそも双頭戦争はセルロンがハンクマンを攻め滅ぼそうとして始まった戦争だったが、戦局はハンクマン側に流れており、王国軍首脳部はこのまま一気にセルロン市まで進軍してしまおうと考えていた。
 戦争を止めたいセルロン政府と、戦争を続けたいハンクマン王国の和平交渉は困難を極めた。最終的にセルロン政府は自国領土の3割をハンクマン側に譲渡することになった。中部地方の支配者を自任していたセルロン政府にとって、これは屈辱だった。
 約3年間ほど続いた双頭戦争はセルロン政府の敗北という形で終わりを迎えた。
 もっとも正木藩兵との戦いはまだ続いていた。セルロン軍はハンクマン方面の兵力を西部との国境地帯に回すことで、正木藩兵の総攻撃を防いでみせた。単独での戦争は困難だと考えた正木藩は、セルロン政府との間に和睦を結んだ。これは領土の割譲を伴わない平等な平和条約だった。ハンクマンには敗れたセルロン軍だったが、こちらの方面では負けていなかったようだ。
 かくして戦争は終わった。セルロン政府は領土を構成していた12州のうち、3つの州を失ったが、それらのほとんどは何もない砂漠だった。セルロン市からドップラー市に至るまでのメガロポリス地帯は健在であり、セルロン政府は相変わらず超大国であり続けた。
 セルロンの住民たちは久しぶりに訪れた平和をじっくりと味わった。領土割譲に踏み切ったテルー政権を弱腰だとして非難する声も多く見られたが、セルロンやドップラーの空港では戦地から戻ってきた兵士たちが家族と抱き合っていた。
 幸せそうな彼らに戦争を仕掛けるのは忍びなかったが、私たちの計画を遂行するためには彼らの力が必要だった。1万人の兵士と8隻の巡洋艦を打ち破ってもらい、ニイタカ山を火の海にしてもらう。大将殿や老兵たちが望む未来を作りだすことができるのは間違いなくセルロン政府軍だけだった。
「なるほどねえ。あんたらは中部帝国の残党で、自分たちの国を滅ぼしたドストル難民が憎くて仕方がない。そこで俺たちセルロンの偉大なる兵士たちを利用して、ドストル難民をこの世から消し去ってしまおうと考えているわけだ。えらく大がかりな計画ですなあ。あんたも苦労が絶えないだろ、修道女さん」
 ニイタカ山の地下独居房で、ミリシド・フルトラップは美味しくなさそうな昼飯をほおばりながらニコニコと笑っていた。
 私がいわゆる『最上級の秘密』をミリシドに打ち明けたのには理由があった。本来は誰にも教えてはいけないはずの私たちの真の目的について、この男がどれほど知っているのかを確認するためだった。それはそのままセルロン政府の状況理解度を表してくれるはずだった。全ての情報はこの男から漏れた。当時の私たちはそういう認識を持っていた。
 ちなみにミリシドが口にした「中部帝国」とは現在のセルロンで使われている便宜上の名称であり、本来は単に帝国と呼ばれていたはずのあの国家に中部という地名を付けただけの歴史学用語である。これはミリシドのような若い世代の人間はともかくとして中高年の帝国を知っている世代にとってはまるで馴染みのない言葉だった。もちろん私もこの言葉には違和感をもった。帝国は帝国であり、あくまで帝国だった。
 ミリシドは何が面白いのかひたすら歯間にすきま風を通して楽しそうに笑っていたが、具体的にはシッシッシと笑っていたが、私は気にすることなく『秘密』の説明を続けようとした。
「つまり、私たちが騎士団を創設したのはセルロン軍に戦う気を出してもらうためで……」
「いろいろ話してくれるのは良いんだけどさあ。もうちょっと楽しい話題にしてくれよ」
 ミリシドが文句を言ってきた。
「それはちょっと難しいですね。こちらも命令なものでして」
「そんなこと言わずにさあ。修道女さんの笑った顔を見せてくれよ」
「あなたは捕虜なんですから私の言うことを聞いてもらえませんかね?」
「……全くダメな人だな。話を聞きだすつもりなら、まずは相手と仲良くならないと。そういうもんだろ?」
 この男、わかっていたのか。だからあんなに笑っていたのか。
 ミリシドに説明の意図を見抜かれてしまった私は、ちょっとばかり自信を喪失してしまった。がっくりと肩を落とし、部屋を出て行こうとした。おそらく60歳は年下であろうミリシドに話術で敗れてしまったのだ。そうなってしまうのも仕方がなかった。
 そんな私をミリシドは呼び止めた。
「まあ待ちなって修道女さん。あんたが知りたがってたことは俺の口からちゃんと教えてやるよ。俺はその目的とやらを知らなかった。コッバ少将にはエード教の上層部に帝国の関係者がいるってことぐらいしか伝えてない。それくらいしか確定的な情報は無かったんだ。あとはタラコ・ソースの名前ぐらいだ。誓っても良い。これだけだ。あんたもボタキの愛好家ならわかるだろ。ボタカーは嘘をつかない。それは何故か?」
「……ボタキ拳銃がカタログスペックに嘘をつかないから」
「そうともさ。やっぱり昔からある言葉なんだな、これって」
 ミリシドは嬉しそうな顔をしていた。
 この男とは仲良くなれそうだ。何となくそんな気がした。
 もっとも相手はセルロンの特殊部隊員であり、檻の中にいるとはいえ油断しないよう努めた。愛銃のボタキ23を見せびらかした時も、決して相手の近くにそれを持って行くことはしなかった。お酒を持ってきてやった時にも相手以上に飲まないよう気をつけた。ミリシドからは「聖職者が昼間から飲んで良いのか」と言われたが「神無月だから関係ない」と答えておいた。ちなみに当時は3月だった。
 3月。大将殿はかねてより計画していたエード騎士団の結団式を行った。式典は総本山の大講堂で行われたが、他にも難民たちへのお披露目としてパレードなどが敢行された。煌びやかな礼服に身を包んだ騎士団員たちは8列縦隊を編成し、意気揚々と表通りを練り歩いた。
 1万人もの大軍勢を先頭に立って率いたのは大将殿とショート・チゴ、そしてチョイスマリー・メージだった。私たちとはそれなりに関わってきたチョイスマリーだったが、まさか私たちが軍隊を作っていたとは夢にも思わなかったらしく、もちろん私たちが隠していたためだが、前日にパレードの話を伝えた時には、彼女は性質の悪いジョークだと勘違いしていた。
 そんな彼女も当日にはエード騎士団の存在を視覚的に知ることとなり、大将殿やショートの横で、緊張した面持ちのままパレードを先導した。
「どういうことなのどうなってるの……そもそもあの場に私は必要だったの?」
 ドストル難民たちの歓喜の声を浴びながら、パレードの終着点だった大要塞の中央入り口に足を踏み入れたチョイスマリーは、そこで待機していた私を見つけると、疲れきった様子でこちらに抱きついてきた。私よりも彼女のほうが一回りほど身体が大きかったため、抱きつくというよりは『へたりこむようにして腰にすがりついてきた』といったほうが正しいのかもしれないが、そんなことよりもショートが若干羨ましそうな顔でこちらを見ていたことのほうが気になった。
「必要だったというよりもあなたがいないと成り立たなかったのよ、チョイスマリーさん」
 大将殿がそんなことを言いながら近づいてきた。式典の日だというのにいつもと変わらない黒の修道服だった。もちろんこれには理由があった。
「ああいう軍隊みたいなものをドストルの人たちは嫌がるでしょう。だからこそ、わたしたちのような文民が彼らを率いることで、エード騎士団は怖くないものだとわかってもらいたかったの」
「そしてエード騎士団を率いる者が我々のような重鎮衆ならば、騎士団がエード教のものだと証明できる。ハーフィ様とこのショートだけではチゴ家の私兵だと思われかねないからな。そこでお前の存在が必要だったというわけだ、チョイスマリー・メージ」
「ショートのくせに偉そうに言わないでよ。クズのくせに。でもわかりましたハーフィさん。ちょっと辛かったところもありましたけど、そういう理由ならわかります。いつもの服を着るように言われたのも、みんなを怖がらせないためだったんですね」
 チョイスマリーがショートのことをクズ呼ばわりしたのには驚いたが、おおまかにはショートの言うとおりだった。
 大将殿もチョイスマリーもショートも、そして私もまた、いつもの修道服で式典に参加した。騎士団員たちが着ていた豪華な礼服と比べたら、それこそみすぼらしい服装だった。
 軍隊は作ったけど私たちは変わっていない。だから今まで通り、安心して従っていてください。大将殿はその意志を「いつもの服」で表した。もちろん変わるも何も、私たちはもとより難民たちの考える理想像とは程遠いところにいたわけだが、とにかく彼らの反権力的な志向を刺激しないためにもこのような演出は必要だと考えられた。
 騎士団員の中には「C型巡洋艦を飛ばしてパレードと同時に観艦式も行いましょう」などと言いだす者もいたが、難民たちが怖がってしまう可能性が大きかったため大将殿はこの意見をさりげなく却下した。
 みずぼらしい服装による演出の賜物か、はたまた大将殿が結団の式典で口にした「エード騎士団は皆さんの味方です」との発言を真に受けたのか、ドストル難民たちはパレードの行われる表通りの沿道に集まり、騎士団員たちの不揃いな行進を歓喜の声で迎えてくれた。先頭を歩く大将殿やチョイスマリーには一段と大きな声援が浴びせられた。チョイスマリーが疲れていたのもこの声援があったからなのだろう。彼女は親しい者には大言壮語を振りまくが、それ以外の者たちには顔を真っ赤にするばかりで何も言えないのだ。私も初めて会った時には会話に苦労した覚えがある。確かドストル修道会で働き始めた頃の話だったか。
 結団式を経て、エード騎士団はようやく正式な発足を迎えた。
 ずっと大要塞の中に閉じ込められていた騎士団員たちは久しぶりの外を大いに楽しんでいた。どこの店に行っても礼服姿の男女ばかりで、彼らは気の合う仲間と共に酒を飲み、良い物を食べていた。1年にも及ぶ軟禁生活によって彼らの財布はかなり温まっていたらしく、知人や友人に食事を奢ったり、はたまた道を歩いていた私を呼び止めて晩ごはんを御馳走したりしてくれた。別にそれを期待して街を歩いていたわけではない。
 セルロンのテレビ局や新聞社、通信社は結団式の様子を詳しく報じていた。彼らはショートが式典の中で「エード騎士団の力をもってこの世に王道楽土を築く」と宣言したことをふざけた妄想、もしくはニイタカ山の治安を改善させて経済発展に持っていくという意味ではないかと論じていた。
 セルロン政府のトンボ・テルー首相は定例会見でエード騎士団を厳しく批判した。クチバーの死によって第5代首相となったテルーは、かつてドストル難民を移民船団に詰め込んで冥王星まで送りつけた右派の出身であり、彼が先生と呼び親しんでいたフォ・ルセ元首相はセルロン政界でも屈指のドストル嫌いとされていた。
 そういった経歴もあり、テルーは私たちとしては敵にしやすい人物だった。大将殿の命令を受けた老兵たちはさっそく騎士団の会報にテルーについての情報を載せていた。
 大要塞から出ることができた騎士団員の中には召集がかかっても家から出てこない者もいたが、仮面を付けた老兵たちが会報を届けに行くと、もう2度と遅刻したり命令を無視したりしなくなった。彼らがどういう手法を使ったのかは定かではないが、やはり教官というのはいつまで経っても怖い存在のようだった。

 結団式が行われた際、大将殿は月面から同志たちを呼び寄せていた。志を同じくする者、ジャムル中佐率いる6人の帝国兵である。月面の秘密基地において帝国の遺産を管理していた彼らは久しぶりの地上に興味津々の様子だった。事務所で取っていた新聞を読み漁り、おかしな事件を見つけてはみんなでゲラゲラと笑いこけていた。101歳のジャムル中佐を筆頭とする戦友たちの元気そうな姿に、私は少しばかり安堵した。
 大将殿がジャムル中佐たちを地上に呼びつけた理由はただ1つ、来るべき復讐の時に向けて、作戦の成功を祈願するためだった。
 ニイタカ山が火の海になることを祈りつつ、みんなで美味しい料理を食べながら楽しい夜を過ごそう。一通りパーティの準備を手伝わされたショート・チゴは夕方頃には自宅へと送還され、事務所に残ったのはかつてシーマ皇帝の下で働いた15名の帝国軍人のみとなった。
 パーティに参加した15名の名前を階級順に挙げてみる。
 タラコ・ソース大将。
 ジャムル・インキュー中佐。
 ナルナ・タス主計中尉。私だ。
 モデジュ・ギブエン少尉。
 ダンプ・カーゴン准尉。
 フェンス・クラッチ曹長。
 クスラ・デフォーク曹長。
 レキシン・ホッド軍曹。
 ロベリ・レンチ軍曹。
 フォベロ・カシュ軍曹。
 オルブ・ドニー伍長。
 ホルバスク・メリーズ伍長。
 アスクム・トラギ伍長。
 オスプリント・リム兵長。
 カーライル・コッバ上等兵。
 狭苦しい事務所の中にこれだけの人数が入っていた。炊事場から大将殿の私室に至るまで、ありとあらゆる場所が老兵たちの憩いの場となった。直参組と月面組の2つに分かれていた帝国軍の残党は、久しぶりの大集合を心の底から喜んでいた。思い出話が咲き乱れ、握手と抱擁が繰り返される事務所の様子は、まるで観光地のホテルで行われる戦友会の会場のようであった。
 炊事場で格闘する大将殿がどうにかしてひねり出した創作料理の数々は老兵たちから高い評価を受けた。足腰のままならないジャムル中佐や一部の老兵たちには座ったままでいてもらい、若い身体を持てあましていた私が彼らのところまで料理を持っていった。上官であるジャムル中佐はともかくとして、年下の部下たちに料理を運んでやるのはちょっとばかり癪なことではあったものの、まともに歩くこともできない人間の姿を見てしまうと、そんな文句は口が裂けても言えなかった。
 食事時が過ぎ、治療薬を飲むらしいジャムル中佐のために水を用意したところで、調理を終えた大将殿がパンと手を叩いた。
 たとえ年月が経っていても、たとえ相手が若い女性の姿をしていても、何十年も仕えてきた上官の機微にはどうしても敏感になってしまうものらしい。楽しそうに笑っていた老兵たちはすぐに会話を止めた。
 大将殿は調理時に使っていたエプロンを放り投げ、代わりにロッカーから将官用の青軍服を持ってきた。私服の上からそれを羽織り、さらには三方三角とも称される帝国の紋章を象った花形帽章付きの軍帽をかぶって見せた。その姿はさながら「軍人の娘が父親の軍服を勝手に着てみました」とでもいうべき有様であり、お世辞にも似合っているとは言い難かった。あれだけ帝国軍を愛していた大将殿が、ニイタカ山においてはほとんど青軍服を着用することなく生活していたのはこのあたりが原因なのかもしれない。
 いつもブロンドのふわふわした髪をはためかせながら、地図の上のコマを動かしたりショートに命令したりしている大将殿の姿を私たちは見慣れていたが、久しぶりに地上にやってきたジャムル中佐たち月面組としては上官のそのような姿は正視に堪えるものではなかったらしく、彼らはゴムヒモで髪の毛をしばっていた大将殿から目をそらしていた。
 そんな部下たちの様子に気付かぬ大将殿ではなく、彼はちょっとばかり寂しそうな顔をしていた。
 大将殿はもう一度手を叩いた。こっちを見ろという合図であった。
「諸君らの気持ちはわかる。我輩とて望んでこのような姿になったわけではない。それに目を床の方にそらしたところで、聞こえてくる声はこの身体のものなのだから、それならば現実を直視したほうが精神的にも健康というものだろう。耳をふさぐような真似をした者が我輩の部下にいるとも思えないからな。さて……ジャムル中佐には例のものを用意してもらおうか」
 大将殿の言葉に反応して、今まであまり良い顔をしていなかったジャムル中佐はその白い眉毛をピクリと動かした。中佐が親指をパチンと鳴らすと、近くで待機していた老兵の1人が奥の部屋からアタッシュケースを持ってきた。
 ジャムル中佐は渋い声色の持ち主だ。彼の声を聞いていると胸の奥がときめくような、そんな感覚に襲われる。これは昔から変わらないことで、身体が若い女性に変わったからではない。同性愛の趣味は無いつもりだが、少なくとも中佐の声がとても素晴らしいのは紛れもない事実だ。
 そしてこの日もまた、私は中佐の声色に酔いしれることになる。
「すまんなメリーズ。歩けなくなってずいぶん経つがお前たちに迷惑をかけるのは耐えがたいものがあるよ。さて大将殿、こちらにございますのが件の遺産でございます。アタッシュケースの中身は前にお伝えした通りです。許可さえいただければ開封いたしますが、いかがいたしますか」
「開けてくれジャムル中佐。できれば中身をみんなに見せてやれ」
 大将殿の言葉にジャムル中佐はひっそりとうなずいた。
 アタッシュケースは3重の鍵で厳重に管理されておりそのうちの1つは中佐の指紋認証だった。これなら盗まれても中身が奪われる心配はないだろう。もっともケース自体はわりと普通のものだったため何かしらの術で破壊されそうではあった。
 きっちりと手順を踏んで慎重に開封されたアタッシュケースの中身は、ただの金塊だった。
 老兵たちはどよめいた。無理もない話だった。
 私たちが予想していた中身はいわゆる紙切れというやつであり、月面の資金管理会社にこれだけの額を預けていますと書かれているはずの保証書だった。まさかあのような小さなアタッシュケースの中に現物が入っているとは夢にも思わず、また遺産の額は莫大でありケースの中に閉じ込められるようなものではないと考えていた。
 ところが現実は非情だった。私たちに残されていたのはケース1つぶんの金塊だけだった。かつて帝国の国家予算3年分に相当すると言われた金銀財宝の山が、たったそれだけしか残っていなかった。
 これでは何もできない。美味しいものをたくさん食べて一生豪遊するくらいならどうということはないが、新たな事業を立ち上げるにはあまりにも脆弱な資金量だった。
 月面基地において資金管理を任されていたカーゴン准尉は金欠の理由を次の3つだとした。
「えーと申し上げます。1つにニイタカ大要塞の建設費用。2つ目は大要塞の維持費です。とにかくこの2つがお金を喰いました。3つ目はコメット社に支払った資金。重役たちを若返らせてやったのもあって、これまた巨額を要しました。その他、我々に収入がほとんど無いのも遠因となっております」
 カーゴン准尉は老眼鏡をいじくりつつ報告書を読み上げた。
 報告を聞いていた大将殿の様子は余裕そのものだった。おそらく大将殿は資金難について事前に聞かされていたのだろう。自分たちにはお金がない。それをわかった上でジャムル中佐たちを地上に呼び寄せたのだろう。
 部下たちに組織の内実を暴くことがどれだけの危険性を秘めているのか。当時の私は計り知れない不安に飲み込まれそうになった。それは老兵たちやジャムル中佐たちも同じようだった。彼らもまたわかりやすく汗をかいていた。
 私を含めて14人の帝国軍人が不安そうな顔で大将殿を見つめていた。
「ふふふ。そうとも。たったこれだけなのだ。資金にしてもそうだ。人材もそうだ。ちゃんと自分の目で見なければ危機感なんて一向に湧いてこない。我輩たちは1ダースほどの敗残兵。我輩たちに残されたのはアタッシュケース1梱の金塊。栄光あるシーマ皇帝陛下の帝国もここまで落ちぶれてしまったか。そう考えると諸君らも悲しくなってこないか?」
 大将殿は事務机付属の安っぽい椅子に座っていた。前後を逆さにした妙な座り方だった。背もたれを両腕で抱きしめるようにして、しなやかな両脚を背もたれの背骨部分に絡ませるようにして、ただただ慈しみの目を持って私たちを眺めていた。
 気づいていたようで気づけなかった帝国の落日。
 私たちが努力して手に入れたのはエード教の地位であり、エード教の領土であり、エード教の兵士だった。
 そこに帝国は無かった。
 大将殿は椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がった。狭苦しい事務所の中を甲高い金属音が飛び跳ねた。
「さあ皇帝陛下の忠臣諸君。待ちに待った戦いの時だ。出来るだけ多くを巻き込んで、凄絶に負けよう。ドストル難民を永遠の禍根の中に閉じ込めてやろう。忘れられつつある我らが帝国を彼らの恨みの中に刻み込もう。彼らは永遠に帝国を憎しみ続ける。そうすることで我々の歴史はずっとずっと語り継がれる。生きるも死ぬもあったものか。後世の人間によって書き換えられた歴史に価値などあるものか。帝国は本来の形を保ったまま意思の中に残るのだ。我輩たちの輪郭は『恨み』というドス黒いインクに囲まれて……残っていくのだ!」
 ジャムル中佐が敬礼していた。
 モデジュ少尉も敬礼していた。
 その他の准士官・下士官たちや兵卒に至るまで、みんなが敬礼していた。フェンス、ホッド、レンチ、ドニー、カーライル、月面の連中、みんなみんなが老体にムチを打って教本通りの綺麗な敬礼を大将殿に捧げていた。
 私は大将殿の意図を理解した。大将殿は本来隠しておくべき組織の弱点をあえて末端の兵士たちにまで教えることで、組織の求心力を維持しようとしていたのだ。
 帝国の遺産が枯渇したということは、それを管理する部署が必要なくなったということだ。月面にわざわざ基地を構える必要はなく、秘密基地は売り払ってジャムル中佐たちには地上で働いてもらいたい。しかし彼らは大将殿の変わり果てた姿をあまり良く思っていない。長らく大将殿に仕えてきた連中とはいえ、もしかすると裏切ってしまうかもしれない。少なくともやる気は失われてしまうだろう。それらを防ぐためにはどうすればいいか。
 さすがは大将殿といったところだった。長年の経験から人心掌握もお手の物なのだろう。
 だが当時の私には疑問に思うところがあった。老化で忘れっぽくなった老兵たちと違って、私の身体は若々しく記憶も鮮明だった。
 おかしい。絶対におかしい。真意を問いたださなければならない。
 たとえ相手が上官であろうとも、おかしいことはおかしい。
 トイレに向かった大将殿の後を追いかける。
「どうした中尉。連れションとは殊勝なことだな」
「大将殿はいったい何を考えておられるのです」
「わかりきったことだろう。部下たちをまとめるのは指揮官の仕事だ」
「そちらではありません。そっちではないんです」
 いったいどう言えばいいのか。私は迷った。
 どうにも言葉が出なかった。どういう風に言えば良いのかまるでわからなかった。適当な表現が浮かばず、私の頭は混乱するばかりだった。
「何が言いたいのかわからないが、まあ待っておいてやろう」
 大将殿はそう言い残して個室の中に入ろうとした。私はそれを食い止めた。彼の右手をひっぱり、彼の行動を邪魔した。
 考えはまだまとまっていなかったが、こうなったら言いたいことを口にするしかない。
 少しばかりズレてしまっていた修道服の頭巾をかぶり直し、私は声を張り上げた。
「失礼を承知で言わせてください。先ほどの大将殿のお言葉を聞いて、疑問に思うことがありました。ソース大将殿、私たちの目的はドストル難民に対する復讐だったはずです。ところがさっきのお話ではまるで難民を利用して自分たちの存在を後世に仕えることが主目的であったかのようでした。そのようなことでは無かったはずです。生きるとか死ぬとか、そんなことは認識の外だったはずです。自分の知らないところで何かしらの決定があったのでしたら、ぜひとも教えてください」
「なるほどそういうことか。ふむ。そうだな中尉。我輩たちがあと何年生きられるか考えてみたまえ。ほら、洗面台の鏡に映る自分の姿を良く見てみるがいい」
 私はトイレの鏡に目を向けた。映っていたのは2人の若い女性だった。大将殿は私服、私は修道服を着ていた。
 大将殿は話を続ける。
「この身体とその身体なら少なくとも80年は生きられるだろう。事故死したり病気に罹らない限りはまず大丈夫だ。しかしながら他の連中はどうだ。もう何年持つかわからないような者ばかりだろう。かといって遺伝子調整手術を受けさせられるほどの資金力はすでに失われている。我輩はあの者たちの死を止めることができないのだ。本来は最年長であるはずの我輩が生きていられて、彼らが死を迎えてしまうのは明らかにおかしい。そして申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいになってしまい、ついあのようなことを言ってしまった。彼らがまんざらでもない顔をしていたのが救いといえばそうだ。しかし中尉は不服だったようだな」
 大将殿のしなやかな右手が私の頭まで伸びてきた。頭巾の上から頭を撫でられた私は、大将殿の穏やかな顔つきに対してどうにもならない憤りを感じた。
 そもそも大将殿の答えは答えになっていなかった。私の質問が悪かったのもあるが、微妙に的を外していた。
 私が聞きたかったのはそちらではない。
 そちらではなかった。
 あなたはこの作戦が終わった後も生きるつもりなのですか。
 老兵たちが死んだ後も、この世に身を置いたままでいるつもりなのですか。
 聞きたくてたまらなかった。
 しかし私にそれらを尋ねたり叱責したり詰問したりする権利はなかった。
 なぜなら私もまた若い女性の姿でこの世を生きているからだ。
 自らもまた、これから長生きできるであろう身体を持っているというのに、それを断罪しようなど、ちゃんちゃらおかしい。
 とりあえず矛はしまっておくことにした。
 だが私の心に不満が生まれたのは事実だった。不満というより「もやもや」といったほうが良いのかもしれない。
 言葉になる疑念からそうでない疑念まで、私の心の中はそのような「もやもや」でいっぱいになった。考えれば考えるほど答えは出ず、形のない魔物によって心臓を抑えつけられているような気分になった。
 やがてそれらは苛立ちへと姿を変えて、私の意志を蝕むようになった。


 7 クロス&モノローグ

 これといってやることの無かったある日、モデジュ少尉から頼まれていたサラダ油や日本酒などの調味料を事務所近くのスーパーマーケットまで買いに歩いていた私は、市街地の背後にそびえる緑豊かなニイタカ山から飛び立ったのであろう巡洋艦隊が空高くまで進んでいく様子にちょっとしたむなしさを感じていた。
 もう神無月は過ぎたんじゃないのか修道女さん。俺が捕まってからもう1ヶ月は経ってるぞ。そもそもまだ春だろ。神無月って秋あたりじゃなかったか。まったくどうしたんだ。ヤケ酒みたいな飲み方は楽しくないんだよ。やめてくれ。
 ミリシドが私の手から酒瓶を奪った時には、そのまま殴り殺されるんじゃないかと不安になったが彼はそんなことはしなかった。命の危機を感じて正気に戻った私は、酒の力で苛立ちを消し去ろうとしていた自分の姿勢に腹が立ってしまい、ミリシドに差し入れの雑誌を渡してから独房を去った。
 そもそも何故あそこの部屋で酒盛りを繰り返していたのか。あの頃は自分でもよくわからなかった。
 ビニール袋を携えて事務所まで戻ってくると、ショートが美味しそうに冷やし中華を食べていた。
 開戦前夜。
 大将殿は持てる艦隊戦力を2個戦隊に分割した。すなわち4隻のC型巡洋艦からなる戦隊が2つほど編成された。第1戦隊の司令には老兵たちの中から仮面2号聖騎士ことフェンス曹長が選ばれた。なおフェンスだけに限らず老兵たちはみんな聖騎士の階級を与えられていた。
 第2戦隊の司令にはエード騎士修道会を首席で卒業したアルト・ザクセン聖騎士が就任した。こちらは大将殿がよく目をかけていた若者で、実際に会って喋ってみると何を言っているのかさっぱりわからなかったが、立てる作戦は奇抜にもほどがあるという、とにかくわけのわからない女だった。
 大将殿曰く「アルトは喋るのが下手くそだが手紙を書くのは上手だ。記憶力も良いものを持っている。読んだ本の内容は全て覚えているそうだ。それに趣味は読書。真面目だろう。愛読書は時刻表とダイヤグラムらしい」とのことだったが、それを聞いた私はますますアルト聖騎士の能力について疑問を持つことになった。セルロン軍に本気を出してもらうためにはこちらも少しばかりは勝たねばならないと言うのに、こんな奴が司令で大丈夫なのだろうか。ただアルトは見た目だけならメガネをかけた理知的な女性だったため、個人的な目の保養には役立った。
 大将殿はこれら2人の戦隊司令を束ねる役職として艦隊司令官を設置した。この役職にはショート・チゴが充てられた。彼は就任する際、ハーフィ様のためなら死ねますなどと口走ったが、大将殿は負けるのが目的なのだから死ななくていいと彼をなだめた。
 それから数日後の冷やし中華である。事務所のソファに座ってのんびりとテレビを見ていたショートに対して、私は「艦隊司令官がこんなところに居てもいいのか」と尋ねた。
 ショートの答えは次のような具合だった。
「自分はその役職の他にもたくさんの仕事を任されているんだよ。いつもハーフィさんの側にいるだけでお金がもらえるどこかの誰かさんとは違うんだ。個人的にはそっちの仕事のほうが羨ましいが、まあこうやって褒美をもらえるんだからやりがいはあるさ」
 いつもながら偉そうな奴だった。色々と鬱憤の溜まっていた当時の私はショートから冷やし中華を奪ってやろうと考えた。ところがそれを察知したらしいショートは、市街地を駆け抜けるイタチのごとき素早さで冷やし中華を食べ終わってしまった。
 しばしの睨みあいの末、モデジュ少尉に「子供じゃないんですから」と諭されてしまった私たちは、少尉の作ってくれたヤキヤキという小麦粉菓子を食べることで彼我の戦いの歴史に終止符を打った。
 ヤキヤキとはモデジュ少尉の生まれた東中浜州あたりでよく作られている郷土料理で、材料は小麦粉と卵と砂糖のみという大変素朴な菓子である。材料が混ぜ込まれた生地を油の敷かれたフライパンに流し込み、中火で焼き上げる。フライパンは四角形のものが良いと言われているそうだ。そうして焼き上げられたヤキヤキはやわらかくて薄っぺらい、独特の触感が特徴的なお菓子であり、小腹の空いた昼過ぎにはピッタリの軽食なのであった。
 私たちがヤキヤキに舌鼓を打っていると、ヤキヤキの匂いに誘われたのか奥の部屋から大将殿とシャルシンドがやってきた。シャルシンドはさっそくショートからヤキヤキの切れ端を奪っていた。大将殿も大皿から1枚ほどくすねていた。
「さっきの冷やし中華、とっても美味しゅうございました。ハーフィ様の料理はいつもながら最高です」
「ああそうか。美味しかったのなら何よりだ。それで仕事のほうはどうなっている、ショート」
「艦隊司令官のことでしたら老兵の方々に任せてますよ。わかっております。要は名義貸しでしょう。ハーフィ様はエード教の重鎮であるこのショート・チゴに司令官を任せることで、エード騎士団が実質的にもエード教の軍隊であるとアピールしたいのでしょう。それに自分も優秀とはいえさすがに軍隊の指揮までは手が回りませんからね」
「ふふふ。そこまでわかっているとは、さすがはチゴ家の者だな」
 大将殿は物分かりの良い青年に対して軽く微笑んで見せた。まともに受け取ったショート・チゴはその流麗な顔立ちが台無しになるほど顔をほころばせた。
「あは、あはは、あははははは!」
 まるでアイドルの投げキッスを受け取った乙女であるかのように、真っ赤な座布団をソファに投げつけて喜びを表現していたショートだったが、巻き上がったほこりをシャルシンドが吸い込んでしまい、彼女が咳をするようになると慌てて冷蔵庫からお茶を取り出していた。
 平和だった。
 シャルシンドが美味しそうに麦茶を飲んでいる姿を私以外のみんなが見守っていた。
 いつもなら私もコップを用意したり、お菓子を持ってきてやるなりでシャルシンドの世話をしていたところだったが、その日の私にはそれをするだけの余裕がなかった。
 修道服の頭巾を取り、事務所の窓から外を見ると、遠くの空は光と光がぶつかりあったような「きらめき」が包み込んでいた。
 愛用の双眼鏡で「きらめき」の中心を眺めてみると、そこには予想通りエード騎士団のC型巡洋艦があった。きらめきは戦場であり、C型巡洋艦が放った多種多様な攻撃兵器が火花を散らし、光を巻き起こすことで戦場はきらめきに満ちていたのだった。
 どうして私たちはここにいるのだろう。待ちに待った最終戦争が始まったはずなのに、私は相変わらず黒い修道服を着ていて、いつものようにニイタカの土臭い空気を吸っていた。
 遠くの空ではフェンス曹長や騎士団員たちがセルロン軍と戦っているというのに、私たちは何もできずにいる。ニイタカ山のふもとから戦場を見守ることしか許されないでいる。
 それらの他にも言葉にならない不満ともやもやを抱え込んでいた私は、すっかりふてくされてしまっていたが、シャルシンドが心配そうな顔でこちらにヤキヤキを持ってきてくれたので機嫌を直すことにした。

 エード騎士団とセルロン政府軍が戦争を始めたのは4月13日のことだ。3月に行われた結団式から1ヶ月が経ち、エード教に対して非難声明を繰り返していたにも関わらず全く反応が無いことに怒ったセルロン政府は、ついに開戦を決意したのだった。
 先手を取ったセルロン軍はドップラーにいた第3軍と呼ばれる地上部隊をニイタカ山に送り込んだ。第3軍は歩兵部隊が中心のやわらかい連中だったが、その兵力は5万人を超えており、また自走対艦砲などの対艦兵器を多数保有していた。彼らは去る双頭戦争においても各地を転戦したという強者揃いの軍隊だった。
 大将殿から作戦指揮を任されていた老兵たちは、これらを打倒すべく巡洋艦部隊を出動させた。これがエード騎士団の初陣となった。
 初めて体験する実戦に騎士団員たちは戸惑っていたそうだが、そこは経験豊富な老兵たちが上手く補助してやったようだ。
 これはミリシドから聞いた話になるが、セルロン軍はエード騎士団の艦隊戦力について「持っていても2隻程度、せいぜい旧式艦レベル」だと予想していたらしい。ところが実際はそれどころの戦力ではなかった。
 相手の指揮官もまさか自軍でも運用されている現役の巡洋艦が相手になるとは思っていなかったのだろう。フェンス率いる第1戦隊の登場に驚いたセルロン第3軍はほとんど戦うことなく敗走してしまった。
 こうしてエード騎士団は初陣を勝利で飾ったのだった。
 フェンスたちがほとんど無傷で勝利したことにニイタカ山のドストル難民たちは大いに沸き立った。彼らはセルロン第3軍の撤退を神の御加護だとした。八百万の神々が総体意志をもってエード騎士団を守った。エード騎士団とニイタカ山の未来は明るい。荒唐無稽な主張ではあったが難民たちの支持を得られたのは僥倖だった。なぜなら信頼していた者に裏切られることほど絶望をかきたてる事象はないからだ。老兵たちはいつか訪れるであろう敗北の時を予想して、ほくそ笑んでいた。
 序盤から何ともいえない敗北を喫してしまったセルロン軍の反応は様々だった。
 あれを負けというのはおかしい、まだ戦いは始まったばかりだ。セルロン軍の報道官はそのような趣旨の言葉を盛んに口にしていたが、そんな報道官を押しのけて勝手に記者会見を始めたシリスト・ベルムーキ少将とかいう軍人は全く別の主張を繰り出し始めた
「良いですか皆さん。得体のしれないエード騎士団は非常に強大な戦力を持っています。それこそ我々の領土を全て覆い尽くしてしまえるほどの大戦力です。そんな彼らを一方的に始末する用意を我が軍は怠っています。我が軍は急いで私のミサイル師団に命令を下すべきです!」
 すなわち、彼はエード騎士団の強さと恐ろしさをかなり誇張して伝えた上で、今こそ自身の率いる戦略ミサイル師団の出番であると主張したのだ。
「ニイタカ山なんか私のミサイルで穴だらけにしてやります!」
 ベルムーキ少将は血気盛んな人物だった。彼はさっそく参謀本部の許可を取り、巡航ミサイル・モスキートバスターの発射準備を始めたそうだ。ところが報道官に暴力を振るい、公的な記者会見を勝手に乗っ取ったことが問題になったらしく、次の日には師団長を更迭されていた。
 後任の戦略ミサイル師団長の名前はあまり覚えていないが、彼もまたミサイルでニイタカ山を滅ぼそうと企んでいた。もっとも彼の場合は、どちらかというと地下にあるニイタカ大要塞を破壊しようと考えていたようだった。彼が用意したのはTNT爆薬を満載した大量破壊兵器のモスキートバスターではなく、ヴィンセントと呼ばれる地上発射型対艦ミサイルだった。貫通力に優れるヴィンセントは地下施設すらも簡単に破壊できると言われていた。
 ところがセルロン軍参謀本部はヴィンセントの発射許可を出さなかった。理由はわからなかったがこのことは新聞などでも大きく報道された。やがてセルロン政府のトンボ・テルー首相が直々に特例発射許可を下すと、参謀本部もしぶしぶながらそれを追認した。
 このような経緯を経てついに活動を開始したセルロンの戦略ミサイル師団だったが、発射した600本のヴィンセントのうちニイタカ山に着弾したのはわずかに1本だけだった。他のミサイルは全てエード騎士団の巡洋艦部隊によって迎撃されてしまった。また着弾した1発も大要塞には当たっておらず、弾頭がニイタカ山の土の中を掘り進んだだけだった。
 飛んできたミサイルから発射地点を割り出した大将殿は、ただちにアルト・ザクセンの第2戦隊を当地に急行させた。あわよくば戦略ミサイル師団を全滅させてしまおうとの魂胆だったが、師団の所在地はセルロン本国の奥のほうであり、アルトの巡洋艦部隊の前には多数のセルロン軍防衛艦隊が立ちふさがった。
 アルトは敵艦隊を突破して本丸の戦略ミサイル師団をやっつけてしまおうと考えていたようだが、たかだか4隻の巡洋艦にそのようなウルトラCがこなせるとはとうてい思えず、老兵たちは彼女にニイタカ山まで撤退するよう命じた。アルトは愛用の時刻表にかじりつきながら悔し涙を流していたが、序盤戦から貴重な戦力を失うわけにはいかなかった。
 虎の子の戦略ミサイル師団がまるで役に立たず、またミサイルの弾道から発射地点を読まれてしまいエード騎士団艦隊の本国突入を招いてしまったセルロン政府軍の失態ぶりに対して、テルー首相は激怒した。
 テルー首相は自身の支持者たちを呼び寄せた特別記者会見において、あと4ヶ月でニイタカ山を火の海にすると高らかに宣言した。そして彼はセルロン軍の参謀本部にエード騎士団を過小評価せず全力で叩きつぶすよう命じた。
 首相の命令を受けた参謀本部はセルロン軍で最も強力な部隊を使うことにした。
 セルロン宇宙軍。51隻の主力艦と多数の補助艦艇からなるセルロン軍の宇宙艦隊である。中西部に宇宙艦隊を持つ国は数あれど、セルロンほどの大艦隊を有している国家は他になかった。双頭戦争の際にはハンクマン王国軍の遊撃艦隊がそれなりに活躍したと言われているが、それとて正面からの戦闘ではなくゲリラ攻撃による戦果であった。
 セルロンに忍ばせていた間者から宇宙軍の出撃を知らされた大将殿は、ニイタカ大要塞の総長室に老兵たちを呼びつけた。ジャムル中佐たち月面組はハンクマンでエード債を売りまくっていたため、総長室にやってきたのはいつもの6人だけだった。具体的にはモデジュ少尉率いる直参組だけだった。
 大将殿は総長室の円卓に老兵たちを座らせた。木製の古びた円卓はクワッドの古物商からわざわざ買い取ったものだった。延々と立ち話を聞かされてあの者たちの足腰が悪くなったらどうする。そんな大将殿なりの心遣いだった。
 総長室には他にもプロジェクターのようなものがあって、これはホログラム映像を写し出すことができた。大将殿はそんな便利なプロジェクターの右側に立っていた。
「皇帝陛下の忠臣諸君。プックの奴がついに動き出した。今までは地上軍の雑魚どもが相手だったがこれからはそうはいかない。地上軍の拠点防衛艦隊に配備されているA型護衛駆逐艦は旧式艦を改装しただけのゴミのような代物だった。だからこそエード騎士団の艦隊でも抵抗できた。あいつらもこちらの巡洋艦を怖がってて、なかなか攻めてこなかった。ところが宇宙軍の持っている艦艇はどんなものだ。答えてみろナルナ中尉」
「S型巡洋艦とC型巡洋艦、あとはP型駆逐艦です」
「その通り。どれもこれも最新鋭の機動艦艇だ。C型については我輩たちも同じものを持っているのだから対抗できなくもないだろうが、S型巡洋艦はそれよりもはるかに高性能だと聞いている。そんな物騒な敵艦が合わせて51隻も存在するのだ。さらに言わせてもらえばP型駆逐艦に至っては正確な数さえ不明瞭だ。とんでもない数がいるのは間違いないだろう。だが諸君。恐れることはない。なぜなら我輩たちの目的は終始一貫して敗北するところにある。燃え盛るニイタカ山を眺めながらシャンパンでも飲もう。展望台は艦橋が良いだろうから、騎士団の艦船をどれかもらっておく必要があるな。最終日はみんなで巡洋艦に乗って、ニイタカ山とドストルの最期を楽しむとしよう」
 大将殿はマイクをシャンパングラスに見立てて遊んでいた。その様子に、老兵たちからも小さな笑みがこぼれた。
 それにしても、大将殿の提案はやけに具体的だった。街が燃えて人が死んで、文化が燃えていく様子を眺めながらお酒を飲むなど、下劣にもほどがある行為だが、今までそれを目指して頑張ってきた以上、避けることのできない、ある種の儀式なのかもしれない。そして私もまたそれに参加することになるのだろう。当時の私は、大将殿のくすぐるような笑い声を聞きながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
 いくらか笑い合った後、大将殿はパンと手を叩いた。
 すると、老兵たちの笑い声がピタリと止んだ。まるで条件反射のようだった。
「よろしい。ではこちらを見てもらおうか」
 大将殿はプロジェクターを起動させた。円卓の中心に粒子状のホログラムが形成される。そこに描かれていたのはニイタカ山を中心とした中部地方の地図だった。
「わざわざ騎士団の艦隊士官に頼んで、ホログラムモデルを作ってもらったものだ。彼らにも宇宙軍の到来は伝えてあるからな。それで宇宙軍迎撃作戦の概要だが、敵の先鋒を務めるのは例の第5戦隊だ。テレビのニュースでセルロンの参謀総長が説明していたからこれは確実だ。つまり相手は失禁で有名なあのトラク・トラギン伍長。今は中将にまで出世しているが、そうそう頭の良い奴ではない。まずはこいつを撃退して、宇宙軍の本気を見せてもらうとしよう。たかだか1個戦隊でニイタカ山を消し飛ばせるとは思えないからな。もっとたくさんの部隊に来てもらいたい」
 8隻の巡洋艦とそれに付き従う30隻以上の駆逐艦がホログラムの中を動き回っていた。大将殿は老兵たちにこれらの敵を撃退するよう命じた。確実にニイタカ山を焼いてもらうためにはもっとたくさんの戦力が必要だ。だからこそ先鋒を打ち崩して本隊のご登場を願おうじゃないか。筋の通った主張ではあったが、個人的にはどこか別の意図があるようにも思えた。
 よくよく考えてみるとずいぶん遠回りしてきた気がする。全ては大将殿の思し召しなのだから強く否定するつもりはないのだが、単にニイタカ山を燃やしつくすだけなら帝国の資金の一部を切り崩してとんでもない大きさの燃料気化爆弾を作りだせばそれで良かったはずだ。もちろん大将殿や老兵たちはドストル難民たちに復讐がしたいのであり、皆殺しを狙っているわけではないとわかっている。難民たちに帝国の意志を押し付けて、彼らの憎しみを買いたいのだとわかっている。だがそれにしても、もっとやりやすいやり方があったのではないか。近道は無かったのか。
 信じていたエード教に裏切られる。ドストル難民たちは自分たちの胸の奥深くまで刻まれた、宗教に由来する考え方や文化にまで裏切られたような気分になるだろう。それがどれほどの絶望と苦悩を生み出すのか、古今の例を考えれば想像するに堪えない。彼らは自分たちを騙していたハーフィ・ベリチッカという偶像とそれを作り出した帝国軍を恨むだろう。大将殿たちはそれをキャッキャウフフと喜んで、ニイタカ山が燃え上がる様子を眺めながら果実酒でも飲み回すのだろう。確かに効果的な作戦だ。しかしあまりにも回りくどい。
 色々と考えてみると、私たちのやっていることはただ規模が大きいだけの嫌がらせでしかないような気がしてきた。これといった大義もなく、いったい私たちは何をやっているんだろう。
 もちろん当時の私は、そんなつまらない考えを持っていなかった。
 大将殿への不信感を募らせつつも私は立派に働いていた。ショートが言うところのただ傍についているだけの仕事だが、荷物持ちをしたり探し物をしたりと細かいところで汗をかいた。1人で眠れないシャルシンドを寝かしつけるのも私の仕事だった。
 セルロン軍が夜中にミサイルを飛ばしてきて、エード騎士団の巡洋艦部隊がそれを迎撃すると、当たり前だが物凄い轟音が周囲に鳴り響いた。平衡感覚を狂わせるほどの爆音にシャルシンドは布団の中で身をよじらせて怖がっていた。今思えば、安心できるような言葉をかけてやるべきだったのかもしれないが、当時の私には何の言葉も浮かばなかった。ただ彼女の肩を抱いてやることしかできなかった。
「ナルナ中尉殿、今のミサイルは何だと思いますか?」
 ある時、そんなことを口にしながら仮眠室の扉を開ける者がいた。
 カーライル・コッバ上等兵。
 彼はモグモグと牛の内臓を噛みながら、ポータブル型の無線機を耳に当てていた。
「どういう意味だ、カーライル。質問の意図がわからないぞ」
「今のミサイルは『シーヴィンセント』だそうですよ。セルロンの艦載用ミサイルです」
「艦載ミサイルが飛んできたってことは、来たのか!」
「ええそうです。ついに宇宙軍のお出ましです。あいつらすごいですよ。このニイタカ山の南にあるクワッド連邦共和国の植民地に無断で侵入して、緊急出撃してきたクワッド南部艦隊をあっという間に蹴散らしてから、こっちに来たみたいですから。トラギン伍長の第5戦隊だけが来るってのは嘘。あいつらは自分たちの参謀本部にまで嘘をついて、参謀総長に嘘の会見をやらせて、俺たちが油断したところを全力で叩きに来たわけです。獅子はどんな相手にも全力で立ち向かうんですかねえ。エンドラ・プックの恐ろしさと言いますか、呆れてものも言えませんよ」
 そのわりにはよく喋るじゃないか。そんなツッコミは心の中で封印した。
 シャルシンドをカーライルに任せて、私はパジャマを着たまま大要塞の外に出た。帝国軍管理領域から抜け出して、第28給湯室の角を右に曲がり、最寄りのエレベーターに乗り込んで最上階行きのボタンを連打すると、たどり着いた先は聖ムーンライト教会の地下室だった。
 かつてこの場所に爆弾を仕掛けて人を殺したことがあった。苦い思い出を拭い去りつつ、騎士団員採用試験の際に使われたと思われる木製の机を蹴飛ばしつつ、修復された階段を登って、大将殿とノーカトが結婚式を行った中央講堂を走り抜けて、廊下を突き進んで、チャプチップス氏を買収しようとした時に案内された執務室の横から正門をくぐり抜けて、私はようやく夜空と対面することができた。
 聖ムーンライト教会はニイタカ山の山頂にある。正確には山頂の1つと言ったほうが良いのかもしれない。大きな土の塊が横たわっているような山なので、いったいどこが山頂なのかよくわかっていないらしい。
 眼下にはニイタカの街があった。空襲警報がけたたましく鳴り響いていた。ところどころで火災も起きていた。しかしモスキートバスターで狙い撃ちされたような大爆発は起きていなかった。
 上空をいくつもの線条が飛び回っていた。きらめきだ。夜空を明るく照らすきらめきは星々の瞬きを封じこめて、独善的な光をぽろぽろとばら撒いていた。
 S型巡洋艦とC型巡洋艦に見た目の違いはほとんどない。どちらも旧時代の潜水艦を空に浮かべたような葉巻型の巡洋艦だ。普段はまるで本物の葉巻が浮いているかのようなシンプルな形状をしているのだが、戦闘時には主砲やミサイル発射機が艦体からせり上がり、四方八方に射角を有する全方位攻撃艦艇となる。敵艦の攻撃に対しては防御火器で対抗したり、ガードボットと呼ばれる無人の体当たりロボットを使って防いだりする。敵弾や敵ミサイルがそれらの防衛網を突破してきた場合には、主砲やミサイルを艦体の中に引っ込めることで致命傷を防ぐことができる。巡洋艦の外殻は頑丈なのでそうそう破壊されない。そのため艦隊戦はわりと時間がかかる。
 カーライルから奪ってきた無線機に耳を当てると、聞こえてくる内容から察するにどうやらセルロン宇宙軍は撤退を始めているようだった。おそらくプック提督は最初の一撃でエード騎士団を粉砕するつもりだったのだろう。それが上手くいかなかったので一時的に撤退する。作戦としては定石だった。
 セルロン宇宙軍はエード騎士団の追撃をかわしながら鮮やかに飛び去っていった。
 やがて東から日が昇り、朝を迎えた時、大要塞の上空には8隻のC型巡洋艦の姿があった。艦橋に掲げられたドストル修道会の黒色四方剣旗は朝焼けに染まり、頬を紅潮させた乗組員たちは甲板に繰り出してやたらと騒いでいた。
 開戦から3ヶ月、エード騎士団はまだ一度も負けていなかった。


 8 赤い花

 中部最強と謳われたセルロン宇宙軍の奇襲攻撃を見事に退けてみせたエード騎士団だったが、所有する8隻のC型巡洋艦はどれもこれも傷だらけになってしまっており、しばらく戦えそうになかった。
 ニイタカの街も火災によっていくらか焼けてしまっていた。ニイタカ山には消防組織が存在しなかったため、ドストル難民たちは消火に手間取っていた。大将殿は火災現場に騎士団員を1個中隊ほど派遣しつつ、被災した難民たちに対して見舞金の支払いと騎士団消防部隊の設立を約束した。
 セルロン宇宙軍はニイタカ山から中部西域のタルン市あたりまで撤退していた。タルン空港に降り立った彼らを待っていたのは、数人の報道関係者と参謀本部直属の憲兵隊だった。
 セルロンに潜り込んでいる間者からの情報によると、当時エンドラ・プック提督とその部下たちはセルロン軍参謀本部から吊るし上げを喰らっていたそうだ。宇宙軍の度重なる独断専行、特にクワッド連邦の艦隊を蹴散らしたことについてはほとんど尋問に近いような話し合いが行われていたとのことだった。
 もっともクワッド連邦は20年前の平和条約において、ニイタカ山の南にあるクワッド領南部植民地には軍隊を置きませんと宣言しており、この件に関してはクワッド連邦政府としてもあまり大きな口で相手を非難できないようだった。
 ちなみにプック提督は身長160センチ、生命維持装置を含めた全長が3メートルの大男である。移動は常に巡洋艦、地上に降りる時は軍用車で引っ張ってもらう。彼が地上を進む様子はさながら「だんじり」のようであり、年に1度、セルロン政府首相のところへ新年の挨拶に訪れる際には、セルロン国際空港から首相官邸までの道路が封鎖される。プック提督は沿道からの声援にニコニコと笑顔を振りまきながら、セルロンの市街地をのろのろと進んでいく。これがセルロン四季風物詩の1つ「新年の元帥だんじり」である。
 そんな新年の恒例行事がなぜか7月に行われてしまっていたセルロンでは、今までほとんど負けなしと言われてきた宇宙軍の敗退を契機として、猛烈な反軍運動が巻き起こっていた。
 今まで初代、3代、4代と軍人出身の首相が多かったこともあり、また数々の戦争を経て軍人の地位が高かったことも要因となって、セルロンでは政府軍を悪くいってはいけないという暗黙の了解が存在していたらしい。
 ところがハンクマン王国に領土を奪われてしまい、精鋭無比といわれたセルロン宇宙軍が地方の宗教団体に退けられてしまったことから、セルロン軍は市民から敗北者と罵られるようになってしまっていた。
 セルロン軍人の地位は地に堕ちてしまい、中部地方において理想の家庭の一例とされてきた「父親は艦隊勤務の軍人・母親は専業主婦・息子は士官候補生」といった伝統的な構図もまた崩れ去った。
 軍人を親に持つ少年たちは、ずっと強い男だと信じてきた父親たちの情けない姿に幻滅してしまった。少年たちは非行に走るようになった。その先に待っていたのは治安の悪化であった(情報源:セルロン国営放送)。
 いくつか具体的な例を挙げてみたが、これらの事実が示すように当時のセルロンの政治状況・社会状況は非常に混乱していた。
 騎士団員たちはこれを好機とみていた。セルロン政府が機能不全に陥っているうちに手持ちのC型巡洋艦を修理してしまおう。コメット社から造船技師たちを呼び寄せて、あっという間に戦力を回復させたら、サナン技研から新しい機動艦艇(S型巡洋艦)を購入して戦力の増強を図りつつ、今度はこっちからセルロン宇宙軍に殴りこみをかけてやろう。
 彼らは第2戦隊司令のアルト・ザクセン聖騎士を代表に立てて、大将殿に直談判を行った。復讐作戦の都合上、あまり宇宙軍に打撃を与えたくない大将殿はこれを退けようとしたが、お気に入りの部下であるアルトからのお願いを上手く断れなかったのか、修理の件と新しい艦船の購入については許可を与えた。
 もっとも当時の私たちには巡洋艦を購入できるだけのお金がなかった。
 そこで大将殿は一計を案じた。
 ある日のことだ。コメット社のホムラク・ロッソ常務取締役を大要塞の総長室まで招きいれた大将殿は、ホムラク常務に最新鋭のS型巡洋艦を譲ってもらえないかと頼み込んだ。
 しかしホムラク常務はあまり良い顔をしていなかった。
 なぜならS型巡洋艦はコメット社が建造したものではなく、もう1つの大企業サナン技研の新型艦だったからである。他社の商品が欲しいと言われて嬉しそうな顔をする者などいるはずがなかった。
 そのようなことは大将殿も知っていた。私の予想が正しければ、知っていたからこそあえて依頼したのではないだろうか。
「なるほど。でしたら常務、F型巡洋戦艦を譲っていただけませんか?」
「えっ……F型ですか。確かに1番艦のフランクロイツがあんな形で沈んでしまったので2番艦をセルロン軍に買ってもらえず、我々としても扱いには困っていたところですが……無理です」
「どうしてでしょう常務。我々は一心同体、あなたを若返らせてやったのは誰なんです?」
「わかっています。わかってはおりますが、F型を譲渡すれば私たちコメット社の内通がバレてしまいます。あれは我が社のオリジナルですからね。我セルロン軍の情報を渡すこともできなくなりますよ。ハーフィ様はそれで良いのですか」
「ホムラク常務も帝国出身ならば我輩のことはソース大将と呼んでいただきたいものですね。それにC型巡洋艦だってあなたたちのオリジナルなのでしょう。あれはあっさりと売ってくれたではありませんか」
「C型巡洋艦は世界中で使われていますから、どこで手に入れたかなんてわからないのですよ。しかしF型は違う。あれはダメです。売ることはできません」
「こちらからコメット社による内通の情報をセルロン軍の情報部に渡したとしてもダメですか」
「くぅ……そんなことを言ったら、我々だってあなたがたの正体を……」
「小学校のお友達にあなたの正体が90過ぎのおじいさんだってバラしちゃってもいいのですよ?」
「それだけはやめてえええええ!!」
 ホムラク・ロッソ。女子児童に姿を変えて、大会社の経営者でありながら戸籍を偽って公立小学校に通っている、いわゆるところの変態だった。
 大将殿は泣きじゃくる女の子の頭をポンポンと撫でた。ホムラク常務はまんざらでもなさそうな顔をしていたが、結局押し切られるような形でF型巡洋戦艦を私たちのところに引き渡すことになり、帰る頃にはまた泣きだしそうな表情になっていた。
 それから数日経って、セルロンの公衆電話から大要塞の総長室に電話がかかってきた。かけてきたのは予想通りホムラク常務だった。
 後に常務本人から聞いた話になるが、コメット社の取締役会において、どうにかしてF型巡洋戦艦の譲渡を阻止できないか話し合われていたらしく、困り果てた取締役会は、当事者のホムラク常務が誠意をもって責任を取ることで事態を収束させようとしていたそうだ。
 その日、たまたま電話番だった私は、ホムラク常務が泣き叫ぶ様を延々と聞かされる羽目になり、かといって無下にもできないぶん扱いに困ってしまった。
 何より私の一存でどうにかできる話ではなかったため、担当者がいないのでまた今度かけてくださいと言おうとしたところで、私の頭の中に名案が浮かんだ。
「そういえばホムラクさん、コメット社のドックにはS型巡洋艦は無いのですか?」
「えっ……いやあるにはあるんだけどね。サナンの技術を解析するために偽名で購入したものが1隻ほど。でもそれがどうしたの?」
「そいつを私たちに渡してしまえば、サナン技研がセルロンを裏切ったみたいな感じになりませんかね。どうしてエード騎士団がサナンのS型を使ってるんだ、まさかサナンが裏切ったのか、みたいな」
「あんた天才だな!」
 ホムラク常務は無邪気に喜んだ。
 あまり考えないようにはしていたのだが、成熟期とも言える20歳前後ならともかく、さすがに9歳そこらにまで若返ってしまうと脳味噌も成長途上の状態にまで戻ってしまうのではないだろうか。ホムラク常務の精神年齢が微妙に気になった。彼らが遺伝子調整手術を受けたのは3年前なので常務は最低でも6歳児あたりまで年齢退行したことになる。そこから3年ほどすくすくと育つことであの女子児童の姿になっていたのだろう。調整手術は遺伝子を若返らせるだけで、ずっと若いままにしておくものではないのだ。当時のちょうど4歳になったばかりのシャルシンドを考えると、はたして幼児化したホムラク常務は自分自身を保っていられたのだろうか。
 6歳児の頭の中に大人を入れておくことができるのだろうか。
 何はともあれ、私たちは新たな戦力としてS型巡洋艦を手に入れた。
 ほとんど恐喝して奪ったようなものだったが、資金難に苦しむ私たちには仕方のないことだった。そもそも大将殿は最初からこうなることを見越した上でF型巡洋戦艦の無償譲渡などという無茶をふっかけていたような気がしてならない。そうなると自分自身の手柄だと思っていた私の姿はひどく滑稽に映ってしまうわけだが、今思えば過ぎたことだ。忘れてしまうのがちょうど良い。
 コメット社から送られてきたS型巡洋艦には貨物船の偽装が施されていた。葉巻型の巡洋艦にラッピングフィルムを張り付けたもので、遠くから見るとよくある貨物船だと勘違いさせることができた。1年半くらい前にC型巡洋艦を回航してきた時には適当なダンボール箱や壊れた冷蔵庫で偽装していたというのに、技術の進歩はすごいもんだなあと驚いた覚えがある。
 大将殿はS型巡洋艦から剥がしたラッピングフィルムを大要塞の倉庫で保存しておくよう命じた。
「このフィルムはのちのちニイタカ山から抜け出す時に使うとしよう。我輩たちはこのS型巡洋艦の艦橋に登って、そこから山が燃える様子を眺めるというわけだ。つまりこの艦はエード騎士団ではなく我輩たちのものだ。そうなると名前を付けてやる必要があるな。中尉に決めさせてやろうか」
「いえ。自分には良い名前が浮かびません」
「そうか。だったらそうだな。インペリアルというのはどうだ」
「インペリアル……帝国ですか」
「そのままの命名ではあるが悪くはないだろう。帝国式の艦船接頭辞を付ければHMSインペリアルとなる。HMSの意味はわかるかね」
「皇帝陛下の艦船でしたか」
「そうとも。今は亡きシーマ皇帝陛下の艦船だ」
 大将殿はどこか誇らしげな顔をしていた。帝国の落日を少しでも食い止めることができて嬉しかったのだろうか。

 S型巡洋艦インペリアル。
 大きさや見た目は前級であるC型巡洋艦のそれを踏襲していたが、中身は全くの別物だった。
 主砲やミサイル発射機の進化ぶりもさることながら、それらの武器兵装は強力な電子戦兵装に守られた電子制御装置により高度に制御されていた。
 コメット社の造船技師の話では、船を動かすだけなら1人でもできるとのことだった。これで「ニイタカから逃げ出そうにもエード騎士団の艦隊士官がみんな死んじゃったから船が動かせない」なんて情けない最期を迎えてしまう可能性はなくなった。
 そのような理由もあって、私たちはインペリアルを戦場に出さないつもりでいた。せいぜいセルロン軍のミサイルを撃ち落とすぐらいの活動に留めておき、基本的には自分たちの手元に残しておくことにしていた。
 ところがこの方針に騎士団員たちが噛みついてきた。
 彼らは前回と同じくアルト・ザクセンを代表に立てて、大将殿やショートに新型巡洋艦の積極的な運用を求めてきた。大将殿はニイタカ山を守るためには仕方がないとしてこれを退けようとしたが、騎士団員の1人が目の前で拳銃自殺しようとしたため、仕方なく彼らの意見を受け入れることになった。
 これに味をしめた騎士団員たちは、前に却下されたことのある殴り込み作戦の実行許可をもらおうと、自らのこめかみにサナンPPKの銃口を当てながら作戦会議室に入ってくる愚行を犯した。これには大将殿も我慢できなかった。老兵たちもまた我慢の限界を迎えていた。
 モデジュ少尉がポケットからワズビー拳銃を取り出すと、他の老兵たちもそれに続いた。老兵たちから銃口を向けられた騎士団員たちは顔を青くして手持ちの拳銃を放棄した。
 そんな騎士団員たちの後ろでアルト・ザクセンが大将殿にぺこぺこと頭を下げていたのが印象的だった。今さら取り繕ったところでどうにかなる話でもないだろうに、彼女の浅知恵がことさら気に障った。
 血気盛んな老兵たちが作戦会議室から騎士団員たちを追い出すと、大将殿はポケットから愛銃のテリカP2を取り出して、安全装置を外してから、ドアに向けて幾度となく引き金を引いて引いて引きまくった。作戦会議室のドアは木製だったので弾丸は貫通して廊下のほうに飛んでいった。
 部屋から出たばかりの騎士団員たちは背中から飛んできた拳銃弾に悲鳴を上げていたが、そのまま走り去っていったことから察するにケガをした者はいないようだった。
「あの程度で怯えているようでは、まともな用兵などできないだろうな。それにしても最近の騎士団員たちの増長ぶりはどうしたものか……」
 大将殿はため息をついた。トリガーガードに人差し指を入れて、それをくるくると振りまわす姿はさながら西部劇の主人公のようだった。
 しかし安全装置が外れているはずの自動拳銃をそのように扱われてしまっては、近くにいる私たちからしてみれば危なっかしくて仕方がないわけで、大将殿が手慰みを止めるまで、私は生きた心地がしなかった。
 しばらく心ここにあらずといった様子で、ぶつぶつと拳銃をいじくりながら思考にふけっていた大将殿だったが、老兵の1人が給湯室からコーヒーを持ってくると黙ってそれに口をつけた。
「ふむふむ。美味いコーヒーだ。そうだな。みんな、こういうのはどうだ。さっきの騎士団員たちは出撃命令を欲しがっていたわけだが、これをあえて許可してやろうじゃないか。彼らがセルロン宇宙軍と戦いたいと言うのなら、思う存分戦わせてやればいい。我輩たちの目的はドストルに出血を強いること。彼らの戦いを止めてやる必要は全くない。彼らには勇ましく散ってもらおう。それにそろそろエード騎士団には負けてもらうべきだろう。相次ぐ敗北にセルロンはすっかり覇気を失ってしまっている。セルロンを発奮させるためにもあの者どもには犠牲になってもらおう」
 大将殿は不敵に笑っていた。
 殴り込み作戦とはタルン市の郊外に展開しているセルロン宇宙軍を強襲する作戦であり、ただそれだけの作戦だった。中身についてはあまり考えられておらず、エンドラ・プック不在のうちに宇宙軍をやっつけてしまおうという極めて安易な発想の元で作成されていた。
 大将殿は、この無謀な作戦をあえて許可することで、一部の好戦的な騎士団員たちを始末してしまおうと考えていた。非情なやり方ではあったが、私は心の底にちょっとした興奮を覚えてしまっていた。彼らが死んだところで何も面白くないはずなのに、鏡に映る私の頬はどことなく上気していた。
 殴り込み作戦を推進していたのは、主に第2戦隊所属の正騎士や准騎士たちだった。彼らはエード騎士修道会で専門的な教育を受けた高級将校であり、それゆえ自分たちの能力に絶対の自信を持っていた。だからこそ、あのような不遜な真似をした。
 艦隊司令官のショートから出撃命令を受け取った彼らは、さっそく4隻のC型巡洋艦を引き連れてタルンへと向かった。
『ダメです、4番艦はもはや行動不能!』
『3番艦、大破!』
『こちら第2戦隊の2番艦、ニイタカ山の本部、後は頼みました!』
『1番艦、退避!』
 殴り込み作戦は見事に失敗した。
 エード騎士団第2戦隊はセルロン宇宙軍の迎撃を受けて壊滅した。唯一生き残った旗艦だけがニイタカ山まで戻ってきたが、その旗艦とて、もはや軍艦の形はしていなかった。
 ボロボロになった葉巻型の巡洋艦から兵士たちは降りてきた。どいつもこいつも暗い顔をしていた。中には怪我をしている者もいた。身体を欠損させてしまった者もいた。死んでしまった者もいた。
「は、ハーフィ様に、ほ……報告します」
 第2戦隊司令、アルト・ザクセンは足腰をぶるぶると震わせながら、地下の掘りドックまで見舞いにやってきた大将殿に戦果報告を行った。
 戦果、セルロン軍の小型艦1隻を撃沈。
 被害、巡洋艦3隻を喪失。巡洋艦1隻大破。兵員死傷者多数。
 あまりにも一方的な敗北だった。
 殴り込み作戦の失敗により、エード騎士団は保有する艦隊戦力の約半分を失った。開戦以来、常勝を貫いてきたエード騎士団にとって、これは初めての敗北だった。
 騎士団員たちはわかりやすく戦意を喪失させた。
 戦友たちの死。常勝神話の崩壊。自軍艦隊戦力の半減。
 目の前に戦傷者がいるという事実が、ことさら彼らの心を傷つけた。
 それまでの戦いでは、ニイタカ山の地下に広がる大要塞や、C型巡洋艦の堅牢な装甲が騎士団員たちの命を守ってくれていた。
 もちろん怪我人や死者が出なかったわけではないが、それでも被害は少なかった。
 ところがこの殴り込み作戦では、堅牢だったはずの巡洋艦の装甲をセルロン軍の対艦ミサイルが突き破ってしまった。装甲を撃ち抜いたミサイルは巡洋艦の内部構造をえぐりとった。身を削られた騎士団員たちに生き残る術はなかった。
 ニイタカ山に招聘されていたコメット社の整備員たちは、激戦の中を生き残った第2戦隊の旗艦を隅々まで調べて、本社のほうに送り届けていた。
 彼らがまとめた報告書によると、アルト・ザクセンの乗っていた戦隊旗艦は46発ものシーヴィンセント対艦ミサイルを受け止めていたらしい。貫通力の高いミサイルをまともに喰らっていたアルトの艦は、内部を含めて穴だらけになっていた。その姿はまるで古錆びたオカリナのようだった。
 大将殿はそんな状況でよく帰ってこられたものだ、と笑った。
「ふふふ。アルトの奴には悪運でもあったのかもしれないな。あの状態でよくもまあ飛んでいられたものだ。何にせよ、他の艦に乗っていた生意気な騎士団員たちはみんな戦死したと見ていいだろう。セルロン軍も久しぶりの勝利に気勢を上げているはずだ。まさに一石二鳥。物事は我輩の思った通りに進んでくれている。あとはこのニイタカ山にセルロン軍を誘引するだけだ」
「ねえねえ、お母さんは喜んでるの?」
「そうねえ。いいえ、そんなことはないわ、シャルシンド。人がたくさん死ぬのは悲しいことでしょう」
「ねえお母さん、死ぬってなあに?」
「ふふふ。ごめんね。わたしも体験したことがないから、わからない」
 母と娘はつたないながらも仲良く談笑していた。
 古今東西の昔から、親子の語らいに水を差すのは野暮というものだ。
 私は黙って総長室から抜け出した。向かう先は地下の独房だった。
 当時の私は、チョイスマリーから美味しい芋焼酎をもらっていたので、それをミリシドと2人で飲みほしてやるつもりだった。
 もらった芋焼酎は、さすがにチャプチップス・コレクションの一部なだけあって、絶品というべき代物だった。メージ家の貯蔵庫から勝手に盗んだチョイスマリーが、チャプチップス氏にやたらめったら怒られたというのもよくわかる話だった。私ならあんなものを盗んだ奴を許すはずがない。
 しかし美味しすぎるお酒とはやっかいなもので、スイッチの入った私はその後も色々な酒を飲み続けてしまい、気づいた頃には独房の中で眠ってしまっていた。
 あの時は酷い目にあった。二日酔いどころのものではなかった。四六時中吐いていた。
 ただ、それらの苦しみを差し引いても、あの芋焼酎は絶品中の絶品だったので、総合的には良い思い出と認識することができるはずだ。


 9 帝国の逆襲

 タルン近郊に来襲したエード騎士団の突撃艦隊を壊滅させ、彼らの殴り込み作戦を失敗に終わらせたセルロン政府軍は、自分たちの戦果を広く国民にアピールすることにした。
 多くのセルロン市民は久しぶりの大勝利に酔いしれた。
 セルロンを覆っていた厭戦気分は一気に吹き飛んだ。
 その結果、活発だった反戦運動は軒並み中止に追い込まれた。
 首相官邸を囲んでいた反戦デモ隊はどこかに消えてしまい、代わって政府軍主導の「ニイタカ山をとっととやっつけろキャンペーン」のデモ隊が官邸前広場を占拠した。
「ナルナ中尉、このキャンペーンはどういう目的で動いているのかね。昔は大衆運動などなかったから、我輩にはいまいちよくわからんのだ」
「さっきショートから聞いたところによりますと、どうもニイタカ山のエード騎士団をやっつけてしまって、セルロンに平和を取り戻すとか、そういうのが目標みたいですね」
「なるほど、趣向を変えた平和運動というわけか。合点がいった。それで話を聞かせてくれたショートの奴はもうどこかに行ってしまったのか?」
「行ってしまったというか、電話で聞きました」
「そうか……まあ仕方あるまい。あの者は忙しいからな」
「大将殿はショートに用事でもあったのですか?」
「そうではない。たまには昼飯でも作ってやって、あの者の忠心を買っておく必要があるだろう。我輩たちがこうやってテレビを見ながらのんびりできるのも、ショートがニイタカ山の民政局長をやってくれているからだ。セルロンとの戦争に注力する以上、そうせざるを得なかったこともあるが、何より楽でいいじゃないか。その対価が手料理なら、それこそ価値ある買い物だとは思わないか、ナルナ中尉」
「費用対効果は悪くないと思います」
 そうだった。ショートのコストパフォーマンスは決して悪くなかった。
 たかだか不定期の手料理を報酬にいただくぐらいで、対価としていくつもの事業を成功させてくれているのだ。ショートの大将殿、いやハーフィ・ベリチッカに対する思慕の心は間違いなく本物だろう。
 ちなみに大将殿はショートに騎士団員としての給与を支払っていない。理由は知らない。しかしそれでもショートは大将殿のために身を粉にして働いていた。
 あまり気は合わないが、ショートのそういう誠実なところは素直に尊敬できた。
 極めて有能な人物で、容姿も決して悪くないはずなのに、大将殿のようなこの世に2人といないような稀有な女性と出会ってしまったことが、彼の人生を大きく狂わせてしまったのだろう。
 かつてショートはノーカトを射殺することで大将殿の心を手に入れようとした。現在の彼の奴隷のような待遇は、人殺しの罪に対する神様からの天罰なのかもしれない。
「しかしまあ、このハーフィ・ベリチッカのように、気もないのに思わせぶりな行動をとり、かつ告白の返事すらしない女となると、若い頃の我輩ならすでに我慢ならずに銃殺していただろうな」
「私もきっとそうしてますよ」
「ふふふ。それはないな。中尉に我輩が撃てるとは思えない」
 大将殿はソファの膨らみに身を委ねながら、楽しそうに笑っていた。
――天罰か。
 帝国復興の旗印の下でたくさんの人命を奪ってきた私たちは、いったいどんな天罰を受けることになるのだろう。

 ニイタカ山をとっととやっつけろキャンペーンはセルロン市民の反戦感情を急速に和らげていった。
 国内世論の転向に伴い、それまで反戦的だった報道機関は一転して戦争報道を繰り返すようになった。彼らの書く記事の中には信憑性の薄いものもあった。しかしそれでも問題は無かったのだろう。セルロン国民が求める記事を書くのが新聞社の仕事だ。どれだけ薄っぺらい記事でも国民は喜んでくれるのだ。新聞を買ってくれたのだ。
 当時、エード騎士団が保有する巡洋艦はわずかに5隻だったが、セルロンの報道機関は正確な数を認識できておらず、かつて宇宙軍が辛酸を舐めさせられたこともあって、騎士団の戦力はセルロン側に過大評価される傾向にあった。
 当時のセルロンの新聞にはエード騎士団の艦隊戦力の予想配置図が掲載されていた。ニイタカ山に陣取る騎士団がどこに艦隊を置いているのか、新聞社が勝手に予想したものだ。
 私はそれを見て驚いた。
 紙面の上のエード艦隊は5個戦隊の大所帯だった。
 新聞社は解説文の中で「彼らはハーフィを偶像として尊重しており、彼女のいる総本山周辺に戦力を集中させるだろう」と予想していた。
 実際はそうではなかった。フェンスに代わって第1戦隊を任されることになったアルト・ザクセンは守備艦隊をニイタカ山の北方に置いていた。
 これは彼女が大将殿の命令に従った結果だった。私たちは彼女の艦隊がセルロン宇宙軍と戦っている間に、インペリアルに乗ってニイタカ山から離脱するつもりだった。
 アルトは殴り込み作戦で多くの部下を死なせたことに責任を感じていた。
 彼女は大将殿から第1戦隊司令の任を言い渡された際、滂沱の涙を流した。
「この私に反撃の機会を与えてくださったハーフィ様を全身全霊をもってまさに教義のいう西征陸軍のように溌剌かつ勇猛果敢な戦闘によってお守りさせていただきます。逼迫した状況下であの戦いで死んだ者たちへの弔い合戦をさせていただける喜びが私の身体を突き抜けています。こんなに嬉しいことは今までありませんでした」
 常に半歩先を行くような独特の喋り方で一通りの謝辞を述べたアルト・ザクセンは、数名の幕僚たちを引き連れて総長室から掘りドックに向かった。
 その背中は間違いなく死地に赴く武者のものだった。
 彼女たちが出ていってから、大将殿はしばらく考え事をしていた。
 お気に入りの部下を決戦場に送りこんだことを後悔していたのか、はたまた私には思いもよらない全く別のことを考えていたのか。
 どちらも定かではなかったが、大将殿が机の上に広げていた1枚のコピー用紙のことを思い出せば、ある程度の確証が得られるだろう。
「中尉も見てみるといい。これがあの小娘の成績表だ」
「成績表といいますと士官学校の成績ですか」
「あの者は世間的には首席で卒業したことになっている。しかしそれは本当のことではないのだ。あれは私がアルト・ザクセンをエード騎士団の指揮官に据えるためにでっち上げた完全なる嘘だ」
 私は大将殿から渡されたコピー用紙に目をやった。
 そこにはアヒルの行列が並んでいた。5段階の1・3・4・5のどれでもない数字がそこかしこに展示されていた。それぞれにはタイトルが付けられていて、例外的に忠誠心だけが「5」の評価だった。
「本人も自分の成績がそこまで高くないことを自覚していたのだろう。周囲から首席卒業だとチヤホヤされていた中で、あの者は一生懸命に勉強していた。我輩があの者を選んだのは出来が悪かったからだ。得意分野もこれといってない凡人であり、かつエード教に対する忠誠心を持っていた。言うことを聞かせやすいタイプというわけだ。ところがあの者には類まれなる向上心があった。それは全ての分野に発揮されるわけではなく自分の嗜好に見合うものだけに働くものだった。例えば時刻表。大好きなダイヤグラムを常に身近に感じていたいからこそ、ああやっていつも携帯している。そういった好きなものに対する異様なほどの執着心と興味と研究の指向があの者を変えた。それはいったい何だと思うかね、ナルナ中尉」
「正直、測りかねます」
「組織を動かす喜びだよ。あの者は電車のダイヤにしてもそうだが大きなものを動かすことに特段の好奇心を持っている。そしてそれに応じた知識を貪欲に求めている。あの者の母親によると、アルトはセルロンから大量の書物を買いつけていたらしい。近代戦の知識から歴史、組織論から人心掌握術までありとあらゆる本を読んでいたとのことだ。もっとも知識だけあっても実行に移せるとは限らなかったようだがな。殴り込み作戦の時も急進派の部下を抑えきれなかっただろう。4隻の巡洋艦を犠牲にしたわりには戦果も芳しくなかった。だが次の戦いは違うはずだ。第1戦隊は指揮系統がハッキリしている。生意気な騎士団員はすでに前任のフェンス曹長によって矯正されているだろう。アルトはようやく自由に動かせる手足を得たのだ。最新の知識を持った指揮官であり、失敗を経験した人間であるアルトはきっと大戦果を挙げるだろう。それこそ死に花を咲かせるかのように。我輩はあの者がエンドラ・プックにどう立ち向かうのか楽しみでならないよ。もちろん最後には負けてもらわなくてはならないが、まあプロレスを見るような楽しみといったものだな」
「プロレスですか」
「そうとも。外野から見る凄絶な殺し合いだよ」
 いつになく長々と語る大将殿に、私は既視感を覚えた。
 かつてどこかで見たような、聞いたような、経験したような気がした。
 英語で言うところのデジャブ、その正体を短時間で突き止めた私は、何故だかよくわからなかったが、少しだけ安心してしまった。
「大将殿はアルトに昔の自分を重ねてらっしゃるのですね」
「昔の自分とは何のことだ?」
「私が生まれる前の話をよく聞かせてくださったではありませんか。特に妊娠中は幾度となく聞かせていただきましたよ。中部連邦末期の新暦2年。連邦軍の士官学校を83位で卒業した大将殿は、配属された艦隊で……」
 語れば長くなる話だ。
 こうして思い出すだけでも骨が折れる。
 中部連邦軍の艦隊士官だった大将殿はあまり有能な人間ではなかった。どうにもならないほど口下手で頭の回転も悪かったらしい。
 しかし知識欲だけはアルトと同じく貪欲だった。
 やがて連邦が崩壊して帝国が誕生すると、連邦末期の争乱で士官不足に陥っていた帝国軍は大将殿を大抜擢した。小さな駆逐艦を任された大将殿はそこからメキメキと頭角を現し、45歳の若さで1個艦隊を任されるほどになった。その後も最前線で戦い続け、65歳になったあたりで帝国軍本部に転出。軍政官の最上位である国防長官として働いていたところで帝国の崩壊を迎えた。
 あの時、一介の中尉だった私は、帝国の国防長官に命を救われたのだ。
 奇跡的な巡り合わせだったと言ってもいいだろう。
「なるほど。確かに昔の我輩と重ねてしまう部分はあるかもしれないな」
「申し訳ございません大将殿。出過ぎたことを口にしました」
「構わんさ。道理であの者に感情移入してしまうはずだ。長年の疑問が解決したよ。ありがとう中尉。あとで回鍋肉でも作ってやろう」
「差し支えなければ杏仁豆腐が良いです」
「寒天がないから回鍋肉で勘弁してくれないか。豚肉ならある」
 大将殿は修道服の袖をめくり、後で幹部食堂に来るよう言い残して、総長室から出ていった。
 総本山の喫茶店でチョイスマリーと昼食を食べたばかりだった私は、大将殿が作る濃厚な中華料理を想像して自身の満腹具合を再確認した。
 
 当時のニイタカ山は一部の食料品が不足していた。
 原因はセルロン軍による東西ニイタカ両州に対する兵糧攻めだった。
 政府軍の首領であるモーリード参謀総長は、セルロンからニイタカ山に輸出される食料品を抑えることでエード騎士団から継戦能力を奪おうと考えていたようだ。
 彼はまず、第3軍と第16軍から抽出した任務部隊・約9万人の大兵力を用いて、大将殿が支配していた東西ニイタカ両州を包囲した。
 これによりニイタカ山に通じる全ての道路は、セルロン軍に封鎖された。
 主要な幹線道路には政府軍の検問所が設置された。
 セルロン軍の検問所には歩兵部隊と自走対艦砲が配備されていて、エード騎士団の攻撃に備えていた。
 この一連の作戦をセルロン軍の報道官は冬眠作戦と呼んだ。
 モーリード参謀総長はニイタカ山に流れ込む食料品を抑えることでエード騎士団を飢餓状態に追い込もうとしたようだが、少なくとも早期講和のための交渉材料として兵糧攻めを選択したことは確実だと思われるが、残念ながら状況は彼の思った通りには動かなかった。
 エード騎士団はクワッド連邦から輸入される大量の食料品により、食糧危機を回避することに成功していた。エード教の民政担当であるショート・チゴが過去に開拓していた輸入ルートが見事に威力を発揮する形となった。
 セルロン軍は東西ニイタカ両州とクワッド領の境界地域にも兵力を置いていたが、ショートが作った輸入ルートは大要塞を作る際ついでに掘削された秘密の地下道だったため、何も知らないセルロン軍はこれを捕捉することができなかった。
 ドストル難民たちが食べ物に困っていないことはセルロンのテレビでも盛んに報道されていた。
 一方で寒天や山芋など一部の食料品は市場から姿を消していた。大将殿が私の大好物である杏仁豆腐を作ることができなかったのも素材の寒天が不足していたからだ。ニイタカ山の支配者である大将殿でも、寒天のようなクワッドで生産していないものはなかなか入手できないようだった。
 ニイタカ山に食料品の備蓄庫を求めることはリモコンに冷蔵庫の代わりをしろと命令するようなものなので、もちろんそんなものは存在しなかった。
 兵糧攻めに失敗したセルロン軍は包囲部隊に配備されていた自走対艦砲でニイタカ山の市街地を砲撃してくるようになった。彼らの用いた榴弾によっていくつかの街路が破壊されたが、北方にいたアルト艦隊が砲弾の発射地点にピンポイントでシーヴィンセントを撃ちこむようになると、このような無差別砲撃はたちまち行われなくなった。
 セルロンの地上部隊はセルロン宇宙軍にアルト艦隊の排除を求めた。
『エード騎士団から艦隊戦力を奪ってしまえば、守護者を失ったニイタカ山は丸裸同然となり、砲撃やミサイル攻撃にも抵抗できず、ただただ蹂躙されるだけの土地と成り果てるだろう』
 これはセルロン政府軍のイトーチカ参謀次長がセルロンの有力紙『ありがとう湖南新聞』に寄稿したコラムの一文である。
 私たちにとってイトーチカの予想する未来は非常に都合の良いものだった。
 言うまでもなく私たちが願っていたのはニイタカ山の破壊的破滅だった。
 故に私たちはアルトの第1戦隊が壊滅する日を待ちわびた。
 しかしセルロン宇宙軍はなかなか現れなかった。
 ニイタカ山に近づこうとするセルロン軍の部隊を狙い撃ちしていたエード騎士団の艦隊は、セルロン軍にとっては邪魔者でしかないはずだった。
 ところが艦隊戦を行うべき宇宙軍はその仕事を放棄していた。
 理由は簡単だった。
 エンドラ・プックがニイタカ山侵攻作戦に難色を示していたのだ。
 いくら艦隊戦の神様とはいえ、所詮は一部隊の司令長官に過ぎないプックが事実上の上役である参謀本部に逆らうなど、軍隊組織の常識では有り得ないことだった。
 時代がどれほど移り変わろうとも、軍隊は上意下達型の組織だ。
 上官の命令は絶対なのだ。
 しかし、プックは言うことを聞いてくれない。
 プックの部下を切り崩そうにも、宇宙軍の戦隊司令たちはみんなプックの薫陶を受けた連中なので、なかなか上手くいかない。
 あと一歩が打ち出せない。
 歯痒い戦況だった。
 ニイタカ山のドストル難民たちはアルト艦隊の挙げた大戦果に喜んでいたが、セルロン軍の無差別砲撃によって市街地はいくらか破壊されてしまっており、また難民から多数の死傷者が出ていた。
 事務所の近くにあった商店街も大半が破壊されていた。
 事務所自体も爆風の影響で窓ガラスが割れてしまっていた。
 これから戦闘が激しくなるにつれて使えなくなるであろう事務所、ニイタカ山に来てからの私たちの思い出が詰まった事務所について、大将殿は私たちの秘密を守るために爆破すべきだと考えていた。
 事務所には様々な機密書類が保管されていた。帝国時代から引きついた遺産がごろごろと置かれていた。私たちにとっては普通のものでも他の人からしてみれば珍しいものと見られるかもしれない。意識していないだけで重大な証拠品と成り得るものがあるかもしれない。
 だったら爆破してしまえば良いじゃない。
 大将殿の理屈はもっともだった。
 しかし私はどうしても納得できなかった。
 理屈ではわかっていてもそれに応じることができなかった。
「強情はいかんぞ。強情は身を滅ぼす」
「しかし……」
「我輩だって少しは我慢しているんだ。中尉も我慢してくれ」
「いや、ですが……」
「中尉、少しは考えてみたまえ。我輩たちの計画ではニイタカ山は火の海になる予定なのだ。その時、事務所はどうなっている?」
 私はハッとした。
 そういえばそういう計画だった。
 感情ばかりが先走って、私は何も考えていなかった。
 私はしばらく何も言えなくなった。
 そんな私を大将殿は手馴れた手つきで抱き寄せた。
 突然のことに私はますます何も言えなくなる。
「中尉が復讐計画に乗り気でないことは知っていた。それでも文句を言わず健気に忠節を貫いてきてくれたことに、我輩は感謝しているよ。中尉が中尉でいてくれたからこそ、我輩は折れずにここまで来ることができた」
 包み込む両手の力がグッと強くなる。
 お互いの黒の修道服が混ざり合う。
 金色の毛先が鼻腔をくすぐる大要塞の夕刻、
「今までありがとう中尉。でもって、あと少しだけ、お願い」
 突然漏れてきた、ハーフィ・ベリチッカの甘い声。
 私は、何もかもを振り払って、泣き出したくなった。

 9月23日は毎年やってくる。
 だから個々の9月23日を区別するためには年号が必要となる。
 例えば、新暦10年。私が生まれた年だ。
 現代の中部地方には2つの暦がある。
 かつての暦である西暦を使っているのは北部地方ぐらいのもので、私たちの暮らしている中部や西部、それに月面では主に新暦が使用されている。
 そんな新暦と並んで現在でも使用されているのが帝国暦だ。
 かつての中部連邦が定めた新暦をシーマ皇帝は嫌がった。
 皇帝は時間さえ支配できる。
 商人出身でいわば成りあがり者だったシーマ皇帝は、自らの支配権を広く示すために新暦に代わる新しい暦を作った。
 それが帝国暦だった。
 私たちのような帝国出身者は基本的に帝国暦で物を考えてしまう。
 これは好き嫌いの問題ではなく慣れ親しみの問題だ。
 私の生年月日は帝国暦2年9月23日だったはずなのだ。
 しかしセルロン政府はシーマ皇帝から時間を取り戻すために暦を元に戻してしまった。人々もそれに倣って新暦を使うようになった。
 現在。新暦112年9月23日。
 セルロン宇宙軍の主力部隊はタルンを進発した。
 目的地は言わずもがな、ニイタカ山のエード教総本山。
 5個戦隊・総勢200隻からなる巨大艦隊を率いるのは百戦錬磨のエンドラ・プック元帥ではなく部下のトラク・トラギン中将だった。
 プックの命令拒否に業を煮やしたセルロン参謀本部は、プックが以前行ったクワッドに対する条約違反を持ち出して、彼を軍法会議に出頭させた。これによりプックは裁判が終わるまで拘置所から出られなくなった。
 トラギンは出撃できなくなった上司の代理を務めていたのだ。
 これらの機密情報は大将殿がセルロンに送り込んだスパイ、通称間者と呼ばれる人物によってもたらされた。
 間者からの報告はいつものように短波通信で入ってきた。あらかじめ取り決めた暗号表を元に情報を伝達する、古式ゆかしいやり方だった。
 さて、ひとまずセルロン側の司令官の紹介は終わった。
 次はそれに立ち向かうエード騎士団側の司令官について紹介しよう。
 アルト・ザクセン。
 エード騎士修道会を首席で卒業したことになっている「才媛」であり、聖騎士の階級を持つ数少ない騎士団員の1人である。
 大将殿が特別に目をかけている騎士団員で、私たちがニイタカ山からの脱出に使う予定のS型巡洋艦・インペリアルを除いた全ての軍艦の指揮を任されていた。
 もっとも全ての軍艦といったところで当時のエード騎士団に残っていたのは4隻のC型巡洋艦だけであり、トラギンの200隻の大艦隊を相手にするにはあまりにも数が少なすぎた。
 北からやってくるセルロン宇宙軍と南の地を守るエード騎士団。
 彼我の差は単純計算で50倍。
 200対4。
 そんな圧倒的な戦力差に気が緩んでいたのだろう。
 相手方・トラギン中将はニイタカ山にちょっとした映像データを送り込んできた。
「高度5000メートルのエード艦隊に告げる。我々はセルロン宇宙軍。僕は臨時司令長官を務めているトラギンだ。これからお前たちに6時間の猶予を与える。6時間以内に一発のミサイルも放つことなくこの空域から離れてくれたら、我々は君たちを攻撃しない。諸君らの勇気ある行動に期待する」
 映像データはニイタカ山の北方を守っていたアルト艦隊でも受信できたようだった。
 トラギンの挑発にアルトが返答した。
「高度3000メートルのセルロン艦隊に告げる。我々はエード騎士団。私は戦隊司令のアルトだ。我々は神々の総体意志に守られた、現代の西征陸軍である。返事についてだが、私のやっている戦いは中部地方に王道楽土を築くためのものだ。さらにはセルロン軍を操っている旧帝国軍の残党を一掃することで、ドストル難民に未来をもたらすことを願っている。故に我々は引かない。神々のご加護がある限り、我々に負けはないのだ!」
 アルトはそんな内容のテキストデータをセルロン艦隊に送り込んだ。
 トラギンに対抗して映像を使うつもりが何度撮り直しても上手く言えなかったらしく、仕方なく得意の文章にしたとのことだった。
 試合前のマイクパフォーマンスを滞りなく終わらせた両者は、さっそくミサイルの撃ち合いを開始した。
 先制攻撃を仕掛けてきたのはセルロン軍だった。
 前衛の2個戦隊がニイタカ山に向けて突進、アルト艦隊に大量のシーヴィンセントを浴びせながら左右に分かれてニイタカ山を目指した。
 対するエード騎士団はガードボットを惜しみなくつぎ込んでミサイルを迎撃した。ガードボットとは体当たりでミサイルを防ぐタイプの無人ロボット兵器だ。火星のクワッド連邦共和国が開発した最新鋭の迎撃兵器である。
 普段は艦内の荷物運びなどに活用されているが、いざという時には巡洋艦を守る盾となる。私たちが現役だった頃には無かった兵器なので、初めて実物を見た時には思わず心をときめかせてしまった。
 数に限りのあるガードボットを序盤から大量投入したアルトは、今度はそれらをセルロン艦隊に向けて移動させた。
 機動迎撃用の高速移動推進器が取り付けられていたガードボットは言うまでもなく空を飛ぶことができた。それもある程度の距離を移動することができた。理由は簡単だ。ミサイルを受ける前に自爆して、周囲のミサイルも同時に破壊してしまうのがガードボットの仕事だからだ。
 だから自爆するために燃料がたくさん積んである。アルトはそれを利用して、ガードボットをミサイルの代わりに仕立てたのだ。
「やってしまえ、お前たち」
 アルトは攻撃を浴びせてきた前衛艦隊にガードボットを突進させた。ミサイルを迎撃するガードボットはミサイルにぶち当たるために高速で俊敏に移動することができる。逆を言ってしまえば、高速で飛来するミサイルに当たることができるのだから、それを避けることなどは他愛のないことだった。
 セルロン軍の前衛艦隊は一生懸命に迎撃ミサイルを撃ってきた。しかしアルトのガードボットにはなかなか当たらなかった。主砲や副砲による砲撃によって数体のガードボットが破壊されたが、それでも十分な数のガードボットが生き残っていた。
 ガードボットの特攻。
 無人兵器の体当たりを特攻と言うのはおかしいような気もするが、私が大要塞の総長室で見た映像から受けた印象は、まさにそれであった。
 通常のミサイルよりも遥かに大きい物体がセルロン軍のS型巡洋艦にぶつかっていた。そして爆発した。ありえないほど大爆発していた。
 頑丈な巡洋艦はそんなくらいではびくともしない。
 しかしガードボットが両脇にシーヴィンセントを抱えていたとしたらどうだろう。貫通力の高いミサイルの直撃を喰らった巡洋艦はいくらか損傷してしまう。そこを他のガードボットが襲ってくる。
 同じところばかりを狙われた巡洋艦はやがて装甲に穴が空いてしまい、軟弱な内部ブロックは爆発の威力に耐えきれず、やがて巡洋艦は内側から大爆発を起こして爆沈する。
 巡洋艦の護衛に就いていた小型の駆逐艦も同じことだ。ガードボットによる最初の一撃でやられてしまうだけで、結果は巡洋艦と全く同じだった。
 ニイタカ山を目指していたセルロン前衛艦隊はアルトの攻撃により約3割の所属艦を失った。しかし残りの7割はアルト艦隊を左右から突破した。
 さらにはトラギンの本隊がアルト艦隊に向けて攻撃を始めていた。
 奇策をもって前衛艦隊に多大なダメージを与えたアルト艦隊だったが、さすがに突進してくる全ての艦艇を破壊することはできなかった。
 ミサイルが飛び交い、主砲が火を吹く。
 空にきらめきが生まれる。
 爆音がとどろく。
 ニイタカ山では大要塞から顔を出した対艦砲がセルロン艦隊の来襲を待ち構えていた。
 エード騎士団の歩兵部隊もセルロン地上軍の攻撃に備えていた。
 ニイタカ山のそこらじゅうに築かれたトーチカや防御設備に騎士団員たちが集められていた。彼らの銃口はまだ見ぬ敵兵に向けられていた。
 決戦はすでに始まっていた。

 総長室の椅子に座り、大将殿は電話をかけていた。
 相手はハンクマンにいるジャムル中佐だ。
「おお、ジャムルか。元気にしているか。ならいいんだ」
 ハンクマンの証券街でエード債と呼ばれる証券を売り歩いていた中佐たちは、セルロン軍がニイヤカ山を包囲してしまったため、大将殿の元に戻れないでいた。
「我輩はズルをしてしまったが、お前もそろそろ年齢が危ういだろう。この復讐計画が終わったら、どこか温泉にでも行こうか。そうだな、極東のジパング帝国はどうだ。あそこなら一緒に入れるところがあるはずだ。飯も美味いと聞いている」
 大将殿の笑顔がこぼれる。
 ジャムル中佐は部隊の中では最も大将殿に年齢が近い人物だ。すでに用を足さなくなった足腰を車椅子で補って、就寝時には酸素のパイプを鼻に繋げて、どうにかして生きている。
 昔はそうではなかった。中佐も若かった。元気に世界中を飛び回っていた。今とは違って情報収集のためだ。ジャムルといえばタラコ・ソースの新聞屋と言われた時代もあった。
 加えて、部隊の中には中佐よりも年長の将校が何人もいた。彼らは『帝国の再興』という夢を上官である大将殿に託して死んでいった。
 気づいた時にはジャムル中佐が一番の年長者になっていた。彼が死んだら、今度は私が一番の年長者だ。その次はモデジュ少尉、その次はカーゴン准尉……。
「他の者たちにもよろしく頼む。ではまた、ハンクマンで会おう」
 受話器を置いた大将殿は渋い顔をしていた。
「どうしてみんな死んでしまうんだ……」
 遠くからその様子を眺めていた私にも彼の苦しみようは伝わってきた。
 若返ってしまった私たちが、中年と呼ばれる年齢になった時、老兵たちは生きていない。薬品漬けになることでどうにか昔の体力を維持している彼らも死からは逃げられない。それこそ遺伝子調整手術でも受けない限り、彼らはいずれ死んでしまう。
 大将殿はハンカチで目元をぬぐった。
 そしていつものようにホログラム・プロジェクターを起動させた。
 あーそうだった。
 ここから先は思い出さない方が健康的だ。


 回想は終わり、時は動き出す。
 大要塞の片隅で、やってきたことを大まかに思い出してみると、わからなかったことが少しずつ明らかになっていった。
 新しくわかったことをパズルのピースのように扱って、それらを一生懸命に組み合わせてみれば、知識は大きな体系を形づくり、世の中の流れと人々の意志が手にとるように感じられた。
 概観が生まれた。
 生まれてしまった。
 雰囲気と命令に流され続けた日々はもう終わりなのかもしれない。
 これからどうやって動いていくか、慎重に考えていかねばならない。
 すでに目標は決まっている。
 私は、あの人を取り戻す。
 そのためなら私は命だって捨てられる。

 元より拾ったような命と身体だ。使い捨てるのも悪くない。
 そうとも、そうだとも。


 10 青の血統書

 まるで長い夢を見ていたようだ。
 仮眠室のベッドに寝そべりながら、私は思い出のページをめくっていた。
 脳細胞に刻まれた我が人生90年間の記憶の数々。
 本来なら老化と共に失われていくはずだった生々しい記憶たち。
 老兵たちはちゃんと覚えているのだろうか。あんなことやこんなことを。
 ベッドに横たわっていた上体をゆっくりと起こす。
 目に映るのは若々しい女性の肌だ。すでに見慣れた物となっている。
 薄暗い部屋の鏡にはボサボサの黒髪が映っていた。
 短く切った癖毛が長時間の寝床滞在によって化け物のように曲がりくねっていた。
 大将殿はいったい何を考えてこの遺伝子パターンを選んだのだろう。
 遺伝子調整手術を受けてから6年は経っているが、この癖毛には恨みこそあれ感謝したことは一度もない。顔立ちの見栄えも大将殿と比べたら格段に見劣りする。
 別に美人になりたかったわけではないが、せめて癖毛にはしないで欲しかった。おかげで髪を伸ばすことさえ適わない。
 パジャマを脱いでいつもの修道服に着替える。
 癖毛は黒頭巾でごまかす。
 隣のベッドでは大将殿の愛娘・シャルシンドがすやすやと寝息を立てていた。
 4歳になったシャルシンドは遅まきながらオムツから卒業を成し遂げており、以前のように熟睡中の私を叩き起こさなくなった。
 どことなく親離れを感じさせる年頃に私の胸中は複雑だ。
 交代で世話係を務めてきた老兵たちも寂しそうな顔をしていた。
 しかしながら年月は残酷だ。
 シャルシンドが4歳になったように、私の身体も手術から6年を経て少しばかり様変わりしていた。
 身長は相変わらず低いままで体格も小さいままだったが、少しだけ女性らしい体つきになった。あくまで少しだけだ。大将殿のあれと比べたら、いや比べること自体が不毛だ。
 元々18歳の身体を手に入れていたので、単純計算で今の私の身体は24歳に相当する。
 大人になったということだろうか。
 その分野に対する興味が昔と比べて段々薄れてきているので、身体の成長については嬉しいとも何とも思わないのだが、服のサイズが微妙に変わってしまうのは難点だった。
 幸いにしてモデジュ少尉からもらったガーターベルト式のホルスターは問題なく着用することができた。
 私は太もものホルスターに愛用のボタキ拳銃を入れた。
 長年の相棒はずっしりとした重みを感じさせてくれた。
 部屋の外から空襲警報が聞こえる。
 しばらく仮眠室にいたので詳しいことはわからないが、ちょっと前にモデジュ少尉からアルトの艦隊が突破されたとの話は聞いた。
 これから怒涛のようにセルロン軍が押し寄せてくることだろう。
 今日は金曜日だ。
 極東の古い伝承では決戦は金曜日に起きるものだとされている。
 だから今日は決戦だ。
 決戦の9月25日だ。
 色んなことに決着をつけるためにも、備えあれば憂いなし、武器はたくさん持っておくべきだろう。
 予備の弾倉をポケットの中に入れる。手榴弾も入れる。
 弾丸17発。手榴弾1つ。これだけあればどうにかなるはずだ。
 私は眠っているシャルシンドのおでこに軽くキスをして、仮眠室を後にした。

 大要塞の通路を騎士団員たちが忙しそうに走りまわっていた。
 彼らは両手いっぱいに自動小銃を抱えていた。大将殿がコメット社の研究チームに作らせた国産のER27小銃だ。
「ほらほら急ぐんだよ、先輩たちに渡せないだろ!」
「それはわかってますけど、こんなに持てませんよ!」
 どうやら倉庫の武器を最前線に持って行くのが彼らの仕事らしい。
 エード騎士団の総兵力は1万人。このうち7千人が地上部隊の所属だ。
 9万人のセルロン地上軍を迎撃するにはあまりにも少ない。
 堅牢な大要塞を持ってしても長時間の籠城は難しいだろう。
 私は大将殿に早めの避難を申し入れるつもりだ。
 今からでもインペリアルに乗り込んで逃げた方がいい。
 何となくそんな気がしていた。

 しばらく歩いていると、目の前によく知る人物が現れた。
 どうやら私が来るのを待っていたらしい。しきりにこちらに手を振っている。
「モデジュ少尉。戦況のほうはどうだ。脱出準備は?」
「いけませんよ、中尉殿。周りに騎士団員がいるじゃないですか」
 モデジュ少尉が小声で諭してきた。
 なるほど確かに周りには騎士団員がたくさんいる。
 通路で仮眠をとる者、怪我の応急処置を受ける者、武器や弾薬を運んでいる連中。
 どいつもこいつも疲れた顔をしていた。
「この調子なら私たちの話なんか聞いてないだろう、こいつら」
「ナルナ中尉は修道服だから目立つんですよ」
 ピエロみたいな仮面を付けている少尉には言われたくない。
 何はともあれ、細かいことで時間を浪費するわけにもいかないので私たちは場所を変えることにした。向かう先は一般の騎士団員が出入りできない帝国軍の管理地域、総長室の近辺だ。
「シャルシンドちゃんは寝てましたか、中尉殿」
「ぐっすり寝ていたよ。たまに砲撃の音でビクッとしてたけど」
「大将殿はシャルシンドちゃんをどうするつもりなんでしょうね」
「ニイタカから一緒に逃げ延びて普通に育てるんじゃないの?」
「そこから先の話です。自分はもう死んでいるかもしれませんが、そこから先……」
「シャルシンドが大人になってから、か」
 そんなことを話しているうちに私たちは総長室の近くまでたどり着いていた。
 このあたりなら誰も聞いていないだろう。
 モデジュ少尉は近くの木箱に腰を据えた。私も通路の壁面に体重を預ける。
 ピエロの仮面を放り投げ、小銃を地面に置き、胸ポケットからタバコを取りだした少尉の姿はとても89歳の老人には見えなかった。
 老兵未だ死なず。迷彩服に身を包んだ彼はまさしく老兵たちのリーダーだった。
「中尉殿。戦況を簡単に説明します」
「お願いする、少尉」
「全体的にエード騎士団は劣勢です。しかしセルロン軍も士気が低いようです」
「せっかく負けているのにセルロン軍がやる気を出してくれない……?」
「はい。圧倒的な戦力を持つはずのセルロン地上軍が全く攻めてきません。せいぜい州境あたりから砲撃してくる程度です。9万人もいればあっという間に片付くはずなのに、戦車の1台すらこちらに寄こしてきません」
「じゃあ、さっきの騎士団員たちが武器を運んでいたのは何なんだ?」
「どうもチャプチップス・メージの民兵隊が、一部の騎士団員たちと一緒になって積極的に攻撃を仕掛けているようなのです」
「チャプチップス氏か……そりゃまあ彼もニイタカ山を守りたいだろうしなあ」
「それでセルロン軍から手痛い反撃を受けているようでは話になりませんがね」
 モデジュ少尉がタバコから灰を落とす。
 ひび割れた指先が、彼の老齢を如実に物語っていた。
 よく見ると小刻みに震えているようにも見える。
「ああ、最近いけないんですよ。照準がぶれてしまって困ります」
「お疲れさん、老兵たち」
「大丈夫です。薬さえ飲めば収まりますから」
 少尉はそう言ってポシェットから薬品の瓶を取りだした。
 水も飲まずに錠剤を飲み込む彼の姿が、かつての私のそれと少し重なった。
「それで次は空中艦隊戦の動向ですが、これはもうミラクルですね」
「ミラクル?」
「アルトの奴が1人勝ちしてます。寄せ手のトラギン艦隊をめった撃ちです」
「めった撃ちだと?」
「サーモバリック爆薬を満載したC型巡洋艦1隻をセルロン艦隊に近付けて自爆させ、サーモバリック特有の強烈な爆風でいくつかの艦が沈んだところを爆風の向こう側からシーヴィンセントで一斉射撃、爆発に伴う高熱によって熱源センサーをやられていたセルロン艦隊はまるで対処できないまま次々と撃沈されていったようです」
「サーモバリックって旧時代の燃料気化爆弾じゃないか。確か『過剰な爆風を伴う爆弾に関するトロムス宣言』で使用が禁止されていたはずだぞ。非人道的とか言って」
「エード騎士団はまともな軍隊ではありませんから、そんなもん批准してませんよ」
「まあそりゃそうだけど……」
「だいたいそんなこと言ったら、我々のやろうとしていることなんか非人道的どころか大虐殺じゃないですか」
 老兵はニヤリと笑って、タバコの火を消した。
 中途半端に燃え残った彼のタバコは、ズボンのポケットの中で次のブレイクタイムを待つことになった。
 老兵は立ち上がり、近くに転がっていたピエロの仮面に手をかけて、それを顔のところに持っていった。頭の後ろでヒモをくくってしまえば仮面教官の誕生だ。
「中尉殿。差し上げたガーターベルトは着用されてますか?」
「いつもは着けていないけど、今日はボタキを持ちたいから着ているよ」
「そうですか。それは何よりです」
 モデジュ少尉の表情は見えない。
 しかし仮面の奥で彼は笑っているようだ。声が弾んでいる。
「脱出についてですが、時間が決まったところで大将殿が中央管制室からアナウンスしてくださるそうです。スピーカーから『富士山登れ』の声が聞こえたら20分以内に地下ドックに来てください。全員が集まってからインペリアルで脱出します」
「了解した。しかしそれでは遅くないか?」
「自分もそう思いますが、大将殿の命令ですから……」
 では、ちょっと仕事をしてきます。
 モデジュ少尉は帝国軍の主力小銃だったプロメテを担いで、通路の影に消えていった。
 はて、彼の言う仕事とは何のことだろう。
 大将殿から命じられた仕事でもあるのだろうか。
 微妙に釈然としないが、私は私でやることがあった。
 私は大将殿に会わなくてはならない。

 大将殿は余裕をもって大要塞を去るつもりのようだが、外からの砲撃音を聞く限りでは早めに逃げておいたほうが良さそうだ。モデジュ少尉は何も言っていなかったが、アルト艦隊を突破したセルロン宇宙軍の前衛艦隊がニイタカ山に近づいているのは確実だ。
 前衛艦隊に制空権を奪われるのはまずい。私たちは空からニイタカ山を抜け出すつもりなのだ。セルロン軍にニイタカ山の上空を支配されていては逃げようがなくなってしまう。
 私たちが安全に脱出するためにも、大将殿には一刻も早く「富士山登れ」の放送をしてもらいたい。そのためにはまず大将殿に会う必要がある。
 モデジュ少尉と別れた後、私は総長室の前に来ていた。
 ふむ。少しだけ緊張している。
 胸に手を当てると柔らかい。
 気を落ち着かせよう。
 部屋に入る前に、廊下の鏡で服装を整えよう。
 モデジュ少尉から話を聞いていた時、ずっと通路の壁に体重を預けていたからか、私の修道服は土で汚れていた。
 手ぼうきでホコリを落とし、ついでに頭巾の位置を調整する。
「おっ……ナルナじゃないか」
 横柄な馴れ馴れしさと、私に対する若干の敵意を含んだ、若い男の声。
 声の主は通路の奥からやってきた。
 ショート・チゴ。エード教総本山の民政局長にしてエード騎士団の艦隊司令官を務める男。エード教でも有数の能吏と言えるだろう。
 どうも気が合わないのでいまいち仲良くなれないのだが、ショートについては個人的に高く評価している。頭が良いのでとても喋りやすいのだ。
 そういえば彼の実兄のノーカトも同じく喋っていて困ることのない人物だった。チゴ家の人間はみんな話術に長けているのだろうか。
 ショートは紺色の背広を着ていた。赤色のネクタイが映えていて、まるでドップラーあたりの高校生のようだ。
「珍しいですねショートさん。いつもはエード教団の礼服なのに」
「今日は決戦の日だろ。おめかししないといかんのさ」
 そう言ってショートは鏡の前に立った。
 背の高い青年の横に、小柄な修道女の姿が映っている。
 頭1つ分くらいの身長差があった。
「そういえばあんた、昔はどれくらいの身長だったんだ?」
 身だしなみを整えているショートが、特に気も無い様子で喋りかけてきた。
 私が20歳の青年だった頃。
「そうですね。今のあなたくらいはありましたよ」
「それは嘘だ。羨ましそうな目でこっちを見つめてきやがって」
「いやいや、嘘である証拠がないでしょう」
「しかし本当だという証拠もないよな、写真でもあれば別だが」
「それを言ってしまえば話になりませんよ」
「へへへ。過去は偽れないんだぜ、ナルナ中尉」
 短い髪をクシでとかし、ネクタイを結び直したショートは、顔の角度をいくつか確認した後、私よりも先に総長室の中に入っていった。
 はてさて、決戦の日に背広を着る必要があるのだろうか。
 むしろ動きやすい服装のほうが良いのではないか。
 太ももに付けたガーターベルトの位置をずらしつつ、準備を整えた私はショートの後に続いて総長室のドアを開けた。
「ハーフィ・ベリチッカ様、兄を刺し殺したことからもわかる通り、自分はあなた様を心の底より愛しております。ニイタカ山が燃え上がった暁には、あなた様をいただきたく存じます。以前のように逃がしはいたしません、今度こそ返事をください、ハーフィ様、自分に!」
 思わずドアを閉めてしまった。
 なるほど決戦とはそういうことだったか、ショート・チゴ。
 なかなか面白いことをやってくれるじゃないか。
 廊下の鏡に映る私の顔は面白いくらいに真っ赤だ。
 しかしそんなことよりも部屋の中の様子が気になる。気になって仕方がない。
 私は思い切ってドアを開けた。
 こちらにも大将殿に会う理由はあるのだ。文句はあるまい。
 総長室の中に入り、頭を下げたまま固まっているショートの横を通り抜ける。
「あれ?」
 そこに大将殿の姿はなかった。
 広々とした部屋にはお辞儀したままのショートがいただけだった。
 ずっと下を向いたままのショート・チゴ。
 彼がどんな表情をしているのか、床にしゃがみこんで下から顔をうかがってみると、なんと目をつぶっていた。これは明らかに何かを待っている顔だ。
 総長室にむなしい空気が流れる。
 私は何も言わずにその場を後にした。
 いったい大将殿はどこに行ってしまったのだろう。
 これでは話ができない。早く探さないと。
 それにしても……兄を刺し殺した、か。

 腕時計に目をやると、7時15分を指していた。
 アンティークな時計なのでAMなのかPMなのかはわからない。
 私の記憶が正しければおそらく後者だ。つまり地上は夜になりかけている頃だ。
 大要塞の廊下を当てもなく歩き回りながら、いろいろと考える。
 モデジュ少尉は言っていた。
 大空は一進一退。少なくともアルト艦隊は健在。
 地上戦ではむしろエード騎士団が攻勢をかけている。
 あれだけの戦力差がありながら、エード騎士団は善戦している。
 こんなことを言ってしまうのは何だが、エード騎士団は素人の集まりだ。いくら老兵たちが指導したからといって、たかだか半年ほどの教練で立派な兵士には育たない。チャプチップス氏の民兵隊には圧勝できるかもしれないが、国家の正規軍に勝てるとは到底思えない。
 一方のセルロン軍は豊富な実戦経験を有する職業軍人の集まりだ。それでいて数においてもエード騎士団を圧倒している。騎士団には存在しない主力戦車や戦闘ヘリといった近代兵器も多数保有している。質・量ともにセルロン軍は圧倒的な存在だ。
 そんな彼らがエード騎士団に苦戦している。
 モデジュ少尉が言っていたように、そもそも本気を出していないのかもしれない。アルトが奇策を持って宇宙軍を翻弄している大空の戦いはともかくとして、セルロン地上軍が全く動いていないのは少しばかり様子が変だ。
 いったい何のために手を抜いているのか。
 何か策略でもあるのだろうか。
「なんか難しいことを考えているみたいね、ナルナちゃん」
「わっ……ええっ、チョイスマリーさん?」
 驚きのあまり変な声を出してしまった。
「さんはやめてってば。もう6年くらい言ってるのに、少しは聞く耳を持ちなさいよ」
 そういえば修道会で出会ってからそれくらい経っているのか……。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 私の目の前に、大要塞の中にチョイスマリー・メージがいる。
 これは今までありえなかったことだ。
 彼女はニイタカ山の名族メージ家の名代であり、エード教の重鎮の1人として総本山で働いてきた人物だ。エード騎士団には直接的に関わっていない。
 私とチョイスマリーは昔から仲が良い。
 おそらく帝国の関係者を除外すれば一番の友人だ。自分の正体を隠していることが恥ずかしくなってくるくらいには、良い関係を築いてきている。
 そんな彼女が大要塞にいた。
 彼女の栗色の綺麗な髪が、空調機械の風に乗ってざわめいていた。
「ナルナ、聞いてんの?」
「ああいや、その、どうしてチョイスマリーさんがここにいるんです?」
「どうしてここにいるんですって……大砲の飛び交う総本山から逃げてきたのよ。そりゃそうでしょう。あんなところにいたら、そのうち死ぬっての。あたしみたいなエード教の関係者はみんな逃げてきてるよ。難民の人たちも騎士団の人たちの先導で大要塞の中に逃げ込んできているみたい」
 なんてこった。
 それは……いけない。
「そんでまあ、あたしはナルナちゃんに会いにきたわけ」
「いったい誰がそんなことをやったんだ!」
「えっ……まさかあんた、あたしに死んで欲しかったの?」
「そうじゃありません。あなたは難民ではなく地元の人間ですし、そうじゃなくて、要塞の中に難民が入ってきているって話ですよ。いったい誰がそんなことを……」
「それってそんなにダメなことなの?」
 チョイスマリーには言えないがダメなことに決まっている。
 せっかくニイタカ山を燃やしつくしても、要塞の中に逃げられてはドストル難民たちはほとんど無傷だ。恐ろしいことに長大なニイタカ大要塞は160万人の難民たちをみんな収容してしまえるほどの容積を持っている。戦争するための施設なので食糧だってたくさんある。
 私は難民に対する恨みなど持ち合わせていないので、彼らの大多数が生き残ってくれても別にかまわないといえばそうなのだが、大将殿の今後のためにも復讐計画が中途半端に失敗するのは勘弁してほしい。
 それにもう1つ。
 中途半端どころか、復讐計画自体の存続が危うくなる危険性があった。
「ねえナルナ、どうして難民の人たちがここに逃げちゃダメなのよ」
「……セルロン軍の特殊部隊が難民に紛れて入り込んでくるかもしれません。そうなれば大要塞は内側から落とされて戦いは終わりです。王道楽土も建設できません」
「王道楽土って。そんなもん最初から無理ってわかってるわよ。そんな理屈はいいから、なるほど特殊部隊ね。セルロンの特殊作戦軍だっけ。すごく強いんでしょう?」
「最初から無理って……」
「中身のない言葉は信じない方向で生きてるから。それでどうするの?」
 どうするって言われても。
 チョイスマリーの目は真剣だ。理由はわからないがどうやら手伝ってくれるらしい。
 好意は受け取っておくべきだろうか。
 チョイスマリー・メージ。私はてっきりメージ家の核シェルターに逃げているものだと思っていた。まさか総本山からこちらに逃げてくるとは考えもしなかった。
 彼女を危険な目に遭わせるのは極力避けたいところだが、彼女のメージ家の名代という地位を利用すれば難民たちを統制できるかもしれない。
 大要塞に入り込んでいる難民たちを一か所に集めることができるかもしれないし、集められた難民たちには監視を付けることができるだろう。そうすれば難民に紛れこんでいる特殊部隊も軽はずみな行動を起こせないはずだ。集まらなかった難民を容赦なく撃ち殺せば、特殊作戦軍の潜入作戦を完全に封じ込めることができる。
 仮に特殊作戦軍が入り込んでいなかったとしても、無秩序なドストル難民は何をしでかすかわからない。監視を付けて見張っておくのが得策だ。
「チョイスマリーさん、お願いがあります」
「何でもやってあげるから。好きなだけ言っちゃいな」
「地下13階に中央管制室があります。そこで大要塞の中にいる難民たちに呼びかけてほしいです。チョイスマリー・メージの名前があれば簡単なはずです」
「呼びかけるって何を言えばいいの?」
「難民は28号エレベーターを使って最上階の聖ムーンライト教会に集まってください。ドストル修道会が炊き出しを行っています」
「そんなことウチの修道会ではやってないけど……まあいいわ、用意させるから。それで他には何かあったりする?」
「ちょっと待ってくださいね。サインを書きますから」
 近くに落ちていた時刻表の端っこをちぎって、そこに私の名前を書く。裏にはやってほしいことを書く。これで命令書の完成だ。
「この紙切れをそこらの騎士団員に見せて、適当に3人くらい連れて行ってください。そいつらは難民の監視に使ってください。特殊作戦軍が紛れ込んでいるかもしれませんから」
「わかった。じゃあさっそく……といいたいところだけど」
「どうかしました?」
「中央管制室の場所がわからないから、ナルナもついてきてくれない?」
 なるほど。そりゃそうだ。
 初めて大要塞にやってきたチョイスマリーが大要塞の地理に詳しいはずがない。
 私たちが今いるこのあたりなら、騎士団員たちが多くいるので道を聞けば何とかなるかもしれないが、地下13階は倉庫ばかりの無人地帯だ。素人のチョイスマリーが1人で行ける場所ではない。
「わかりました。一緒に行きましょう。中央管制室なら地下ドックにも近いですし」
 それに中央管制室にいれば大将殿と会えるかもしれない。
 富士山登れを発令するためには、あそこの放送設備が必要だ。
「ナルナは地下ドックに何か用でもあるの?」
「いいえ。何もありませんよ」
「ふうん」
「そういえばさっきショートさんが醜態を晒してました」
「ショートの馬鹿が何をやったって?」
 そんなことを話しながら私たちは地下に向かう。
 鳴りやまない砲撃の音が少しずつ遠くなっていく。

 地下13階。物資保管庫。
 エレベーターを乗りついでやってきた、大要塞の深いところ。
 土砂をくり抜いただけの巨大なトンネルにプレハブの倉庫が乱立している。
 必要最低限に抑えられた照明といい、放置された掘削機械の汚れ方といい、まともに活用されていない臭いがプンプンする空間である。
 そんな薄汚れた地下13階の辺境に中央管制室は存在する。
「ねえ、どうしてこんなところに管制室があるの?」
「見つかりにくいところにあったほうが、いろいろ便利なんですよ」
「何と言うかほこりっぽくて嫌だわ……」
「もうちょっとの我慢です」
 トンネルの中央を駆け足で進む。
 ほこりまみれの倉庫エリアを抜けた先に2階建ての施設が見える。
 あそこが中央管制室だ。
 見れば、入り口を老兵が警備している。
 あれはドニー伍長だろうか。
 私たちの姿に気がついたらしい伍長は、何も言わずにしきりに目配せしてきた。
 長年の付き合いから彼の意図を見抜いた私は、わけもわからず怖がっているチョイスマリーの手を引いてゆっくりと彼の元に近づいていった。
「あの仮面の男、ライフル持ってる……」
「ああ見えても騎士団の偉いさんですよ」
「ならいいけど……こんなところで何やってるのかしら」
 それは私も気になった。
 ただ単に中央管制室を守っているだけなら、もしかして中に大将殿がいるのかなと淡い期待を持つだけで済む話なのだが、ドニー伍長の様子は尋常ではなかった。
 まず声を出さない。
 次に管制室付近の脇道にやたらと厳しい目を向けている。
 伍長はいったい何を見ているのだろうか。
 仮面の穴から覗かれる、まるで獲物を狩る猛禽類のような鋭い眼光に、何も知らないチョイスマリーは腰を抜かしてしまった。
「このおじいさん、人殺しの目……」
 そればかりは否定できない。
「……中尉殿。あの通路を見てください」
「通路……?」
 腰を抜かしたまま地面に座りこんでいるチョイスマリーを放置して、私はドニー伍長が指差した場所に目を向ける。
 地下13階、メイントンネルから脇にそれた通路。
 ふと思い出せば、あそこは通い慣れた道のりだ。
「あそこに人影が見えます。あそこの奥は独房です」
 独房。
 鉄筋コンクリートで造られた、窓のない施設。
 セルロン特殊作戦軍の兵士、ミリシド・フルトラップが囚われている場所だ。
 まさかあの男、混乱に乗じて脱獄したのか。
 隣にいるドニーは首を左右に振った。
「中尉殿の考えていることはわかりますが、独房はホッド軍曹が見張っています。大将殿が富士山登れの命令を下した時に捕虜は銃殺する予定でした」
「そうだったのか……じゃあ、あそこにいる人影は」
「ホッド軍曹だと信じたいのですが、わかりません……」
 早めに仕事を済ませてしまったカーライルなのか、あるいは脱獄した捕虜なのか。
 どちらにしろ真っ暗な通路でじっとしているのは不自然だ。
 もしかすると、どちらでもないのかもしれない。

 ピンポンパンポン。
 鉄琴の音がトンネルの中をこだまする。
 これはもしや、いよいよなのか。
『大要塞の各地で戦っている者たちに告げる。富士山登れ。繰り返す。富士山登れ』
 天井のスピーカーから流れてきたのは大将殿の麗らかな声だ。
 富士山登れ。すなわち脱出の時がやってきたのだ。
「えっ、フジサンノボレって何それ?」
「チョイスマリーさんには関係ありませんよ。さあ早くハーフィ司教と交代しましょう。中に入ってください。放送の件、難民たちの誘導は頼みましたからね!」
「ちょっと待ってよ、あたしに機械の操作なんかわかるはずないでしょ!」
「マイクの電源とメインパネルの右から左まで全部のスイッチをオンにしてください!」
「ナルナも一緒に来てよ、どうせなんだから!」
「中尉殿、御令嬢、伏せてください!」
 言い争いをしていた私たちはドニー伍長に抑え込まれた。
 途端にやってきたのが銃声だ。
 ぎゃあぎゃあ泣き始めたチョイスマリーを安全な中央管制室の中に押し込んで、私はガーターベルトから愛銃のボタキ23を取りだした。
「どこから撃ってきた、ドニー伍長!」
「あそこです、さっきのあそこ!」
 ドニー伍長が脇道に向けてライフル弾を放つ。悲鳴は聞こえてこない。
 いったい敵は何者なんだ。
 こんな地下にまでセルロン軍が浸透しているというのか。
 そんなはずはない。いくら何でも早すぎる。
 私はタイミングを計って中央管制室の中に滑り込んだ。
 急いでドアから離れると、すぐにドアは穴だらけになった。狙い撃ちだった。
 ドニー伍長。相手はかなりのやり手だろうが、頑張って持ちこたえてくれ。
 中央管制室は多種多様な通信機器で埋め尽くされていた。
 18分割されたモニターには大要塞の各地の様子が映し出されている。慌ただしく動き回る騎士団員たち、望遠カメラで捉えられた大空の艦隊戦の様子、砲撃を受けて倒壊するエード教の総本山、中には山腹の城門前に難民たちが並んでいる映像もあった。あの太っちょの騎士団員が城門を開けたのか。
 いけない。そんなことよりも気になることがある。
 部屋の奥にいるチョイスマリーに向けて、私は声を張り上げる。
「チョイスマリーさん! あなたはいつ頃に大要塞に入りましたか!」
 泣きべそをかきながらマイクの準備をしていた彼女がこちらに顔を向ける。
「えっ……ああ、わりとさっき。騎士団の本部から電話があって、避難のために要塞の中に入ってもいいですよって言われたのが50分くらい前だから」
 50分か。微妙な時間だ。山腹から50分でここまで来られるか。
「ねえ、そんなことより、あの銃声は何なの……?」
「あれはセルロンの特殊部隊です。あの射撃精度は間違いありません」
「監視カメラに黒い服を着た人たちが映ってるけど……その人たち?」
 盲点だった。
 そうだ、ここは中央管制室だ。大要塞の全ての情報が集まっている。
 私はチョイスマリーが見ていた画面に目を向けた。
 そこには7人の兵士がいた。そのうちの1人は将校の服を着ている。
 さらに将校の横には手錠をかけられた状態の老兵がいた。
 老兵の1人、ホッド軍曹だ。
 よく見るとミリシドの姿もあった。顔は見えなかったが身体つきですぐわかった。
 ミリシドには適当なタンクトップが渡されていたはずだが、なぜか他の兵士たちと同じ黒い戦闘服を着ていた。しかも武器まで持っている。あれは短機関銃だろうか。
 他の兵士たちも自動小銃から軽機関銃、対戦車無反動砲など様々な武器を携行していた。指揮官らしき将校は拳銃1丁のようだが腰にサーベルを付けていた。
 カメラの向きを変えてみると、将校の後ろにはジープらしきものがあった。
 ジープ。戦場で使うための頑丈な車だ。噂では乗り心地は悪くないらしい。
「いくら何でもおかしいだろ!」
 私は思わず叫んでしまった。
 おかしい。あの連中はおかしい。
 難民のふりをして忍び込むにしてもジープは無謀すぎる。
 馬鹿なことをやってくれた騎士団員の門番も、さすがにジープには気づくだろう。銃火器は巻きつけた衣類で隠せても自動車は無理だ。隠し切れるはずがない。
 そもそもバレるかもしれないような賭けを特殊作戦軍が打ってくるとは思えない。
 しかし目の前の画面にはセルロンマークのついたジープが映っている。これは現実だ。
 本当にどうなっているんだ。
「なるほど、ドンパチやってたのはセルロンの特殊作戦軍か。捕まっているのはホッドだな。これでは20分以内にインペリアルに乗るのは難しそうだな」
「た……ハーフィ様」
 施設の2階から大将殿が降りてきた。
 近くで銃撃戦が起きているというのに悠々としている。
 ようやく探していた人物と会えたわけだが、この戦況では素直に喜べない。
 そんな私の様子を察したのか、大将殿はきれいに笑って、ポケットから小さな機械を取りだした。
「安心しろナルナ中尉。応援は呼んである」
 大将殿が持っているのは無線機だ。あれで誰かを呼んだらしい。
 いや、そもそも老兵たちみんなに無線機を携帯してもらって、わざわざ放送なんかせずに普通にそのままインペリアルに向かったほうが良かったんじゃないですか。
「言いたいことはわかるぞ中尉。しかしそうした場合、あの者たちはここではなくドックを狙ってきたかもしれん。おそらく目的は我輩だろうからな。あとはもう1つ、ドックから上空に向かうためには大要塞の出撃用ハッチを開く必要があった。それができるのは中央管制室とドッグの司令部だけだ。不測の事態を避けるためにもここから開けておくべきだった」
「なるほど。ところで話は変わりますが、ここにはチョイスマリーがいますよ」
「ほう、いたのかチョイスマリー」
 こちらの話を気まずそうな顔つきで聞いていたチョイスマリーに、大将殿がチラリと目を向ける。チョイスマリーの首筋は、緊張のあまりすでに汗まみれだ。
「ずっといましたけど……その……えええ……」
「まあ別に良いだろう。どうせもうすぐ終わるのだ」
 大将殿はあっけらかんとしていた。
 戦いが終われば私たちはニイタカ山からいなくなる。
 もう正体を隠す必要はないのか。それはそれで寂しいものがあるな。
 混乱しているチョイスマリーには「何も考えないでいいから」と言っておき、とりあえず例の難民たちの誘導をやってもらうことにした。
 外からは相変わらず銃声が聞こえてくる。
 同時に相手の指揮官らしき人物の声も聞こえてきた。
「タラコ・ソース大将、取引がしたい!」
 いきなり大将殿の本名を出してきたセルロン軍の指揮官は、自らの部下たちに銃撃を止めるよう指示した。監視カメラから外の様子を見る限りでは、ドニー伍長がどうにかして敵軍を抑え込んでくれていたようだ。感謝するしかない。
 しばらくして、セルロン軍の指揮官が陣地から1人で出てきた。両手を挙げている。
「どうしますか大将殿、撃ちますか!」
 指示を求めるドニー伍長の声。
「撃たなくていいぞ伍長。時間は稼ぎたい」
 大将殿は中央管制室から外に出た。
 特殊作戦軍はトンネルに放置されていた掘削機械を陣地代わりにしていた。ドリルや倉庫の影から兵士たちがこっそりと顔を出していたのが印象深かった。
 一応、スナイパーが配置されている可能性を探ってみる。中央管制室の全ての監視画面を地下13階のカメラ映像に切り替えて、各所からセルロン軍の様子を観察させてもらう。
 大将殿がドニー伍長の前に出た。
 黒い修道服がジープ搭載のサーチライトに照らされる。
 しかし大将殿は怯まない。
「取引の内容を聞かせてもらおうか、セルロン軍の指揮官よ!」
 敵軍の前に出て堂々としている。
「ちょっと待て。おいミリシド、あいつがソース大将なのか」
 セルロン軍の指揮官の求めに応じて、陣地の奥からミリシドが前に出てくる。
「はいそうです。あの女です」
「わかった。では改めて。ソース大将よ、こいつを見ろ!」
 相手の指揮官が指差した先にいたのはホッド軍曹だった。手錠をかけられていて、すっかり意気消沈してしまっている。
「ソース大将。取引は人間の交換だ」
「ホッド軍曹と誰かを交換してくれるのか?」
「そうだ。私はそのためにここまでやってきたのだから!」
「いったい誰を望む?」
 大将殿の問いにセルロン軍の指揮官は満面の笑みを浮かべて、次の言葉を口にした。
「私の父、カーライル・コッバをいただこうか!」
 カーライル・コッバの子供。
 コッバ。コッバ。
 ああ、あいつだ。
 ケルトレーキ・コッバ少将。特殊作戦軍のトップ。司令官。
 セルロン軍の将軍の1人。
 こんな大深度地下のゴミ箱みたいなところで見かける人物ではないはずだ。
 最前線に出てくる将官など、剣先に立つ将軍など、この世に1人としているはずがない。
「どうしたソース大将。父上を返してくれないのか」
「他に目的はあるのか、コッバ少将」
「あるといえばある。ミリシドの救出も目的の1つだ。他にもある。しかし私がここに来たのは父上のためだ。タラコ・ソース。お前が父上を離してくれなかったおかげで私の母は寂しい思いをしたのだ。帝国を復活させるなどという幻想を振りまいて、お前は40年も父上を働かせ続けた。皇帝は死んだのに、お前は死ななかった! 私はお前から父上を取り戻しに来た。たとえどんな手段を使ってでも父上を取り戻す! この命に賭けても!」
 よく見るとケルトレーキはまだ若々しい軍人だった。
 とても将軍には見えない。40歳を超えたくらいだ。
 カーライルと同じくらいの母親がいるとなると、危篤の母親から一度だけでもカーライルに会いたいとでも願われたのだろうか。妄想の範囲からは出られないが、確かに彼の気持ちはわかる。大将殿に付き従う人間たちはみんな「私」を捨てている。未婚の私はともかく他の連中はみんな既婚者で子供だっている。ところが帝国が崩壊した結果、私たちはお尋ね者になってしまった。自宅に帰ることができなくなり、追っ手から逃れるために家族との連絡を禁じられた老兵たちは、いつしか帰る場所を失っていた。
 老兵たちの血縁者が、大切な家族を大将殿に奪われたと考えるのは自然な流れだ。
 しかしわざわざ自分の手で取り戻しに来るとは無鉄砲な男だ。戦略とか戦術とか、何も考えていないのだろうか。ミリシドが彼のことをベタ褒めした記憶が嘘のようだ。
「さあ捕虜の交換だ。このホッドとかいう老人と、私の父上を交換してもらおう。さもなくばこの老人には人身御供になってもらうしかない。部下を捨てるか、ソース大将!」
 セルロン軍の深緑色の将官服がサーチライトに照らされた。
 ジープの後部座席からサーチライトを操作しているセルロン兵は、何か演出的な効果でも狙っていたのだろうか。しかしこれはミスだった。
 ライトに照らされたことでケルトレーキ少将の姿は目立ってしまった。
 そこを襲ってきた連中がいた。
 大将殿が呼び出した増援、モデジュ少尉とエード騎士団の歩兵部隊だ。
 さらにチョイスマリーの館内放送がトンネルの中を駆け巡る。
『難民は28号エレベーターを使って最上階の聖ムーンライト教会に集まってください。ドストル修道会が炊き出しを行っています。これはメージの家の者、チョイスマリー・メージからのお誘いです。みんなで美味しい豚汁を食べましょう』
 人前では緊張しがちなチョイスマリーにしては頑張った放送内容だった。
 突然の放送に注意力を奪われた特殊作戦軍の兵士たちは、モデジュ少尉の銃撃を受けて我に返った。しかしそこまでの時点ですでに3名のセルロン兵が胸を撃ち抜かれていた。
 サーチライトに照らされていたケルトレーキもまた左腕を撃たれていた。
 モデジュ少尉の狙撃手ぶりに騎士団員たちは沸き立った。彼の活躍に続こうと6人ほどの騎士団員が特殊作戦軍に銃撃を加えたが、こちらはあっという間に撃退された。
 セルロン軍とエード騎士団の銃撃戦はどんどん激しさを増していった。
「おのれソース大将、最初から交換する気などなかったのだな!」
 ケルトレーキは右腕でサーベルを抜刀、大将殿に切りかかろうとしたが、転がっていたゴミのようなものに足をとられてしまい、軽やかに転倒した。
 大将殿はポケットから拳銃を取り出した。彼の愛銃・テリカP2の銃口は言うまでもなく前方で倒れたままになっているケルトレーキに向けられる。
 ブロンドの髪をさらりと横に流し、大将殿は目の前の少将に声をかける。
「ケルトレーキ少将。カーライルは我輩の部下だ。貴様にくれてやる気はない」
「くそ……あんたの部隊には日曜日はないのか!」
「あいにく我輩たちは秘密部隊なのでな、上も下も休日返上だ」
 大将殿はケルトレーキの後頭部に向けて拳銃弾を撃ち込もうとした。すでに安全装置が外されていたテリカP2は引き金さえ引いてしまえばいつでも人を殺すことができた。
 ところがここで予想外の事態が発生した。
 それは私の身に起きた。
 何を隠そう、監視カメラをいじくり回しながら、中央管制室から外の様子をうかがっていたら、突然部屋の中に乱入してきたセルロン兵に取り押さえられてしまったのだ。
 セルロン兵はタンクトップを着ていた。肩からヒモで短機関銃をぶらさげていた。
「ミリシド・フルトラップ……」
「すまねえな、修道女さん。上官が危ないんだ。しばらく我慢してくれ」
 ホールドアップ。短機関銃の筒先を突きつけられた私は両手を上げた。
 ミリシドに言われるがままに立ちあがり、中央管制室から外に出る。
 気づけば銃撃戦の主戦場はメイントンネルのエレベーター付近まで移っていた。特殊作戦軍がそういう動きをしているのか、単に戦いの中でそうなっていったのかはわからない。少なくとも管制室の周りに両軍の一般兵は立っていなかった。
 ケルトレーキに拳銃を向ける大将殿に、ミリシドが声をかける。
「ハーフィ・ベリチッカ司教殿、こちらにいるのはあなたの秘書ではありませんか?」
 こちらを向いた大将殿の顔に焦りの色が浮かんだ。
 申し訳ありません。捕まってしまいました。
 大将殿は何も言わずに拳銃をポケットの中に入れた。安全を確信したケルトレーキが左肩を押さえながらゆっくりと立ち上がる。サーベルは地面に置いたままだ。
「すまない、ミリシド。情けないところを見せてしまった」
「この場所にいらっしゃること自体が勇ましいですよ」
「そう言ってくれると助かる。さて、どうするかだな」
 ケルトレーキは落ちていたサーベルを拾い上げた。
 あれで大将殿を刺し殺すつもりなのだろか。その時はどうする。大将殿の盾となり彼の命を守るべきか。それとは違うものを守るべきか。
「……タラコ・ソース大将。私はお前から父上を取り戻すためにここに来た。しかしそれだけではない。それだけなら部下を派遣するだけでも良かった。大将、私がわざわざ前線に足を運んだ理由がお前にわかるか。セルロン政府軍の現役少将がここにいる理由、考えてみろ」
 ケルトレーキのサーベルが大将殿に向けられる。剣先の鋭さは日本刀を思わせるものだ。もしかすると中部東域の日系人地域で造られたものかもしれない。
 大将殿は考えている素振りを見せた。明らかな長考だったのでおそらくはモデジュ少尉たちが戻ってくるまでの時間を稼ぐつもりだったのだろう。ミリシドが短機関銃の銃口を私の頭にくっつけると、大将殿は慌てたように口を開いた。
「わかった。貴様は我輩たちの計画を止めようとしているのだ。自軍の将軍が地下にいるとなればセルロン宇宙軍もヴィンセント系のミサイルは使えまい。あれはメタルジェットで貫通するからな。味方の将軍を見殺しにできるほどセルロン軍は狂気に落ちていないはずだ」
 大将殿の回答にケルトレーキは口元をゆるめた。
 抜刀していたサーベルを鞘に戻し、血のにじむ左肩を痛そうに押さえる。
「さすがは旧帝国軍の大将。ご名答だ。そうすることで大要塞の地下にいる私の父上を攻撃から守るという意味もある。さらには地上にも我が部隊を配備しているから、参謀本部が戦略ミサイル師団を使うこともないだろう。これで我らセルロン軍がミサイル攻撃を行う可能性はなくなったわけだ。後世に汚名を残さずに済む」
 地上と地下に配備されたセルロン軍の特殊作戦軍。まさか地上にも潜んでいるとは思わなかったが、ケルトレーキの口ぶりから察するに、ただそこにいるだけの部隊なのだろう。
 ニイタカ山をセルロン軍のミサイル攻撃から守るための部隊を特殊作戦軍が派遣している意味はよくわからない。だがセルロン軍のミサイルを利用した計画である復讐計画にとっては大きな痛手だ。早急に騎士団部隊を派遣して特殊作戦軍を狩りとるべきだろう。
 ケルトレーキは笑っていた。勝者の余裕だろうか。
「くふふ。ふふ。しかし仮にも帝国軍の大将ならば、手下の不始末ぐらいはどうにかしてもらいたいな。それが元で私たちがどれだけ苦労してきたか……全くやってられない」
 遠くから銃撃の音が聞こえてくる。
 薬莢の落ちる音がトンネルの中を響いている。
 銃弾をばら撒きながら走りまわるジープは、豪快なエンジンを積んでいる。
 倉庫群を越えた先で命の取り合いが行われている。
「我輩の部下に不始末をするような者はいないはずだが、どういうことだ」
 大将殿の質問にケルトレーキは真顔で答える。
「ミリシドの言う、老兵たちのことではないんだ。ソース大将、お前の中ではかつての部下にあたる連中なのかもしれない」
「我輩のかつての部下……とてもじゃないが数えきれないぞ」
「そのうちのほとんどは死んでいるはずだ。だが生きている奴もいるだろう。主にあんたの老兵たち、そこの修道女、あとは人生から引退した連中と、セルロン軍のクソ老害どもだ!」
 ケルトレーキは喉を狩らすほどに声を荒げた。
 セルロン軍の将校。どういう意味だろう。
 ケルトレーキはしばらくゲホゲホと咳をした後、ポケットから取り出したノートのようなものを大将殿に手渡した。彼がずっと傷口を触っていたからかノートの表紙にはいくらか血がついていた。
 大将殿は血を嫌がることなく渡されたノートを開いた。
「これは……何かしらの会合の名簿か」
「正確には名簿を手書きで写したものだ。メンバーを良くみてみろ、大将」
「メンバー……モーリード参謀総長、イトーチカ参謀次長、モボス国防省第2課長、トラギン第5戦隊司令……セルロン軍の上層部の連中ばかりだな」
「そいつらはみんなお前の手下だった者たちだ。そしてお前が成し遂げられなかった野望を再び蘇らせようとしている連中だ」
 ケルトレーキの言葉に大将殿の表情が険しくなる。
「我輩の野望を蘇らせるだと?」
「自分で忘れたのか、ソース大将。お前はかつて帝国の復活を目指していたはずだ」
 大将殿の目が大きく見開かれた。
 かつて夢見た帝国の復活。
 一度は復活した帝国。
 シーマ皇帝の死によって挫折した新しい帝国。
 そして現在。大将殿が目指しているのは復讐作戦の成就であり帝国の復活ではない。
 しかし、大将殿の知らないところで密かに帝国の復活を願っている者たちがいた。
「会合の名前はアリスタ・アシダ。メンバーはご覧の通りセルロン軍の上層部。政府軍の脳味噌であるところの参謀本部から、宇宙軍の幹部まで勢ぞろいだ」
「いつからこんなことになった、ケルトレーキ少将」
「ずいぶん前、そうだな。反帝国派の連中がハンクマン革命軍を立ち上げたくらいか。あれからセルロン軍は帝国派の独壇場になった。41歳で少将に昇進した私は、47になっても少将のままだ。昇進するのは帝国派の息がかかった連中ばかり」
 ケルトレーキは軍服の右肩に通された、ショルダーループ式の階級章を指差した。階級章には星が2つ付いていた。間違いなく少将だ。
 大将殿はノートを眺めながら茫然としていた。
 私には大将殿が感じていることがよくわかった。長い間、ずっと秘書として使えてきた私だからこその特権だ。
 黒頭巾の下で、ブロンドの髪の下にある思考器官で、大将殿は必死に現実を受け止めようとしている。たとえ涙がこぼれようとも気にすることなく頭の中の世界に逃げている。いや頭の中で戦っているのか。
「どうしてここに、我輩の名前はないんだ……」
 大将殿は決して喜んでいなかった。
 地面に膝を落とし、たらたらと涙と鼻水を流す姿は、悲しみに満ちていた。
 そんな大将殿の肩を叩く人間がいた。
 私だ。
「大将殿……」
「どうしてだナルナ中尉。我輩は根気よくメッセージを発し続けたぞ。月面からセルロン軍の内部分子にセルロン打倒のために協力しろと。反乱を起こせと言い続けたぞ」
「良いんです、良いんです大将殿」
「挙句、もはやどうにもならないから復讐計画を実行することにした。帝国の名前をより深く歴史に刻んでやろうと考えた。ただそれだけの話だ。元よりわたしにドストルへの恨みなどあるはずもない。故郷を奪われた連中が我々を恨んでいたところで、そんなのは太古の昔から日常……茶飯事だったじゃないか。ただ……その…………我輩は……」
「もう何も言わなくて良いんです、大将殿」
 わかっておりました。
 いや、ほんの少し前にようやく気づくことができました。
 過去を並べているうちにわかってしまいました。
 大将殿が貪欲に帝国にしがみついた理由。
 あなたは帝国軍の組織が、人間関係が、帝国軍が大好きだったんですね。
 あなたの人生には帝国軍しかなかったのですね。帝国軍が消えてしまえば、後に残る物は何もないのだと恐れていたのですね。
 だから、一生懸命に帝国を取り戻そうとして、復活させようとして、私と老兵たちをずっと手元に置いていたのですね。
 老兵たちを失いたくなかったからこそ、自分の立場を失いたくなかったからこそ、老兵たちが求めていた計画を止められなかったのですね。
 人と繋がる術を組織と階級にしか求められなかったのですね。
 それらを知ったからこそ、私は彼に言いたいことがある。そして提案したいことがある。
 だがその件についてはこんな時に言うことではないから、先送りする。
 今はまず、この大要塞から抜け出さなくてはならない。
 私は近くにいた老兵の1人、ホッド軍曹に――敵兵に捕まってしまい、手錠をかけられて地面に押しつけられていた彼に――密かに立ち上がり、ケルトレーキに体当たりするよう、目線で命令を送った。俗に言う目配せという奴だ。
 ホッド軍曹は意味深にうなづくと、足だけで立ちあがり、助走をつけて果敢に突撃した。
「うおっ、何だ」
 思わぬ伏兵の突進にケルトレーキはされるがまま、衝突の勢いそのままに吹き飛び、メイントンネルの壁面に思いっきり頭をぶつけた。
 第一打は成功した。
「こいつ、捕虜が暴れたらどうなるか、教えてやろうじゃないか!」
 ミリシドがホッド軍曹に向けて短機関銃を構えたところで、ポケットの中に隠していた手榴弾を投げ込んでやる。
 足元に転がってきた手榴弾にミリシドは飛び上がった。
「お、おい修道女さん、あんた何を考えてんだ!」
「大丈夫ですよミリシドさん。それは発煙筒ですから」
「どう見ても旧帝国軍のオレンジボムだろ! くそっ!」
 ミリシドが手榴弾の扱いに困っている間に、ホッド軍曹の手錠を切ってやる。ボタキで鎖の部分を撃ち抜いてやろうと思ったのに、何故かすごく嫌がられたので仕方なく大将殿のポケットからテリカを取り出して、それで鎖を破壊した。
 両腕が自由になったホッドは、そのままテリカを持ってモデジュ少尉のところに行ってしまった。おそらく自分を捕まえた特殊作戦軍の兵士たちに色々と復讐がしたいのだろう。
 背後から強烈な爆発音が聞こえた。聞きなれた音だ。ミリシドは大丈夫だろうか。
 何はともあれ、後は逃げるだけだ。
 私は大将殿の手を引いて一目散に駆けだした。

 大要塞の地下14階。地下訓練場。
 私たちは中央管制室から非常階段を使って、下へ下へと進んでいた。
 かつて新兵の養成訓練が行われた広大な敷地には、出入口が2つしか存在しない。現在はどちらの入り口も開放されているが、逃亡者を逃がさないための仕掛けは健在だ。すなわちエレベーターが片方にしかない。
 罠であるほうの出入口から逃げ出すと、上の階には中央管制室が存在し、やってきたネズミを老兵たちがぱくりと捕まえてしまう仕組みだった。私たちは中央管制室から下に降りてきたので、エレベーターに乗り込むためには地下訓練場を突っ切ってもう1つの出入口に向かう必要があった。
 大将殿の手を引いて兵舎の間を走り抜ける。
 モデジュ少尉、ホッド軍曹、ドニー伍長は未だに上の階で戦闘中だが、おそらく彼ら以外の老兵たちはみんな地下ドックに集まっているだろう。彼らのうちの誰かに連れられたシャルシンドも私たちの到着を待っているはずだ。
 運動場を踏み越えて、ようやくもう1つの出入口が見えてきた。
「中尉、何故気づけなかったのだろうな……」
 今まで何も言わずについてきていた大将殿がポツリと呟いた。
「思えば怪しいことはたくさんあった。上手くいきすぎていた」
 彼は私の手を離して、その場に立ち止まってしまった。
「気づけなかったのは我輩が自分を過信していたからか……?」
「大将殿、今はとにかく逃げましょう」
「逃げてどうするんだ、中尉」
 この人は何を言っているんだ。
 こんな時に自暴自棄になるだなんて「大将殿」らしくもない。もちろん人間にらしさを求めることが良いことだとは思わないが、それにその、私の考えが正しければ、それはそれで色々と難しいとは思うのだが、とにかく今は逃げていただきたい。
 私は勇気を出して意見を言う。
「大将殿。下の階でお子さんがお待ちです。それにフェンス曹長たちも」
「ナルナ中尉、我輩はようやくわかったぞ」
「いったい何がですか」
「もしかすると全てはこいつら、このノートに書かれている連中が願っている通りに進んでいるんじゃないか。アリスタ・アシダだか知らないが、ケルトレーキ少将の言葉を借りれば、セルロン軍の帝国派と呼ばれる連中はセルロンの打倒を目指しているそうじゃないか」
「大将殿、特殊部隊の親玉の言葉は信用できませんよ。それよりも追手が来ないうちに早く地下に行きましょう。ハッチが開きっぱなしだと敵に潜入される恐れが……」
 私は大将殿の手をつかもうとした。
 しかしそれは振り払われた。
「中尉、我輩の話を聞け!」
「今はそんなことをしている場合ではありません、ほら、後ろから!」
 私たちが来た道をひた走るジープが3台。
 特殊作戦軍の追撃部隊のようだ。ジープが3台に増えている理由はわからない。
 いや、おかしい。私たちは非常階段を降りてきた。軍用自動車があんな狭いところを進めるはずがない。じゃあいったいどうやってこの階に来たんだ。どうなっている。
「だったら端的に話を済ませてやる。我輩は自分がアリスタ・アシダの操り人形だったのではないかと考えている。老兵たちの中に裏切り者がいて、そいつが内側から我輩たちの進む方向を思い通りに修正していたのだ」
 大将殿の目は本気だ。この人は本気でそう言っている。
「そんなはずありません。老兵たちの中に裏切り者なんて!」
「1人だけいるだろう、セルロン軍と関わりを持っている人間が、1人だけ」
「まさかカーライル上等兵のことを言っているのですか、大将殿」
 大将殿は黙ってうなづいた。
 そんなはずはない。カーライルは確かにケルトレーキの父親だが、当のケルトレーキは帝国派の軍人ではない。息子から帝国派に与するよう頼まれたならともかく、帝国派に属していないケルトレーキがそんなことを頼むはずもない。
 待てよ。頼んだのではなく脅されたとしたら。
 アリスタ・アシダから「息子を殺す」と脅されていたとしたら。
 相手はセルロン軍の参謀総長を含む集団だ。軍部の最上層だ。演習中にケルトレーキを殺すことぐらい造作もないはずだ。
「しかしそれは可能性の一端であるはずです。それにそんなことを言ってしまえば、セルロンに家族を残してきた他の老兵たちだって、裏切りの可能性があります!」
「そうとも、だからこそ、それを確かめに行こうじゃないか!」
 大将殿は私の両肩をガシリとつかんだ。
 目尻に涙を浮かべて、両手に強い力を込める彼の姿が、私には昔の老人だった頃の大将殿と重なって見えた。今となっては恋しいほど懐かしく思えるタラコ・ソースの立ち姿。
 そんな馬鹿な。
「こうなったらトラギンと白黒付けるしかあるまい。あの者がまだ空にいると言うのなら、空まで会いに行けばいい話だ。インペリアルに乗って、な」
「えっと、インペリアルだけでトラギンの巡洋艦に近づけますかね」
「簡単じゃないか。トラギンに降伏すればいい」
 大将殿はまたも突拍子のないことを言い出した。
 降伏とは相手の捕虜になることを意味する。確かにトラギンには会えるかもしれない。
「いや、でも確実に大将殿は戦争犯罪人として処刑されますよ!」
「ナルナ中尉、我々は亡霊なのだぞ。すでに死んでいる。人間は2度も死なない。我輩は知りたいのだ。どうしてこうなってしまったのか、知りたいのだ」
 大将殿は私の双肩から手を離し、後方を眺めた。
 ぶるぶると砂ぼこりを立ててジープが近づいてくる。
 このままではまずい。車載の機関銃で撃ち殺されてしまう。
 大将殿はポケットから無線機を取り出して、マイクを口元に近づけた。
「こちら地下14階、タラコだ。暇なら助けに来い、武器は対物系を推奨する」
『こちら地下ドックのフェンス曹長、了解です。相手はどれくらいですか』
「ジープ3台だ。1台は生け捕りにしろ」
『了解、オーバー』
 フェンスがそう言い終わる前に私たちは駆けだしていた。
 エレベーターホールはすぐそこだ。出入口を抜けた先にある。
 あともう少しだ。
「中尉、伏せろ!」
 大将殿の合図で私たちは地面に突っ伏した。
 右腕を少しすりむいてしまったが、それはいい。
 エレベーターホールから現れたフェンス曹長たちは対物ライフルを持っていた。遠距離からエンジンを撃ち抜かれた特殊作戦軍のジープは真っ二つになり、運転手や機銃手と一緒に爆発的に燃え上がった。
 3台のジープのうち、2台はそうやって破壊されたが、残りの1台は無傷のままこちらに近づいてきた。
 フェンス曹長はそこで対物ライフルから狙撃銃に持ち替えた。
 彼が狙ったのはもちろんジープの運転手だ。レンチ軍曹と協力してジープに乗っていたセルロン兵をみんな撃ち殺してしまった。味方ながら恐ろしい連中だ。
 華々しく突撃してきたセルロン軍だったが、後に残ったのは無傷のジープだけだった。
「大丈夫でしたか、大将殿」
「さすがはフェンスだ。相変わらず良い腕をしている」
「ジープ1台は生け捕りにしましたが、何に使うんです?」
「それを使ってモデジュ少尉たちを迎えに行ってくれないか。この階層の非常階段の所で待っていてくれたらいい。とにかく全員が生きてインペリアルまで帰ってこい」
「了解……おいレンチ、お前が運転しろよ!」
 命令を受けた2人はさっそくジープに乗り込んだ。
 持ってきていた銃器を積んで、アクセルをふかして、だんだんと遠ざかっていく。
 彼らが見えなくなったところで大将殿はくすりと笑った。
「ふふふ……」
「どうかいたしましたか、大将殿」
「いや、気持ちが良い連中だと思ってな」
「彼らを裏切り者だと大将殿は仰ったのですよ」
「まだわからないさ。だが、そうでないことを祈っている」
「そういえば下にいるのはカーライルだけですね」
「奴がどう動こうが、無意味だ。我輩を捕らえたところで、その結果トラギンの所に移送されるのなら好都合。殺されてしまったら、シャルシンドのことは頼んだ」
「カーライルだって裏切ったと決まったわけではありませんよ」
 私たちは修道服についた泥を落としながらエレベーターホールまで歩いていった。
 地下14階には訓練場があるだけで、後は延々と東西に細長いエレベーターホールが続いているのみだ。罠であるほうの出入口の方向にもホールだけはあるのだが、あちらはわざと通路を繋いでいない。
 目的のエレベーターが見つかるまでホールを歩き続ける。
「ニイタカ大要塞、東西20キロはちょっと大きすぎたかもしれんな」
「そうですね……」
「ナルナ中尉、復讐計画はどうすべきなのだろうな……」
 これについては今、答えるべき事案ではない。
 そもそも大将殿に対してそれを言うような権利を、私は持っていない。
 私はあくまで一介の中尉なのだ。それが大将殿との約束だったはずだ。
 エレベーターホールに穏やかな空気が流れる。
 私の右手に大将殿の左手が伸びる。
 大将殿は半笑いで頬を掻いている。
 やがて目的のエレベーターが見えてきた。


 11 対決、セルロン宇宙軍

 1隻の巡洋艦が掘りドックから出港した。
 インペリアル。S型巡洋艦の末席にあたるその艦は、貨物船を模した外装を身にまとい、ゆるやかに浮上していった。
 ニイタカ山頂のハッチから外の世界へ繰り出そう。
 上空にはトンビだけが飛んでいる。東ニイタカ州に生息するトンビは中部地方では珍しい生き物だ。エード教の教義にある西征陸軍が中部に持ち込んだと言われている。
 はるか極東の国からやってきた人々が食べ物にならない生き物をわざわざ持ち込んだ理由は定かではない。元々アラビア半島に生息していたという説もある。
 近くのトンビから、遠くの空に焦点を移せば、セルロン宇宙軍の大艦隊がニイタカ山を覆い尽くそうとしている様子が手に取るようにわかる。
 エード騎士団、アルト・ザクセンの第1戦隊は未だに健在のようだ。ただし戦力は大きく低下しており、もはや1隻のC型巡洋艦が残るのみという。遠くの空で彼女は孤軍奮闘を続けていた。しかしそろそろミサイルの残弾数が切れる頃だろう。
 エレベーターで掘りドックまで降りてきた私たちは、シャルシンドの肩に手を置いたショート・チゴと、彼らに訝しげな目を向けていたカーライル上等兵に迎えられた。
 ショートはその場で愛の告白をやり直そうとしたが、大将殿はシャルシンドを可愛がるのに夢中で彼の告白を全く聞いていなかった。泣きそうになったショートを慰めてやるのは私の仕事だった。
 その後、モデジュ少尉たちがドックまで降りてきた。驚くべきことに彼らは無傷だった。対峙していた特殊作戦軍は全滅、ケルトレーキ少将を殺そうとしたところで、どこからともなく増援がやってきたため、仕方なく後のことは騎士団員に任せて、自分たちはドックまで逃げてきたとのことだった。
 それからすぐにインペリアルに乗り込み、大要塞から空に向けて出港した。
「レーダー確認。前方170キロ、上空3000メートル地点にセルロン艦隊。赤外線画像探知から戦隊旗を判別したところ、第4戦隊であると判断されました」
 フェンス曹長の策敵報告に私たちは息を飲んだ。
 セルロン艦隊がこちらに近づいてきている。貨物船に偽装していれば上手くトラギンの所に近づけると考えていたのだが、世の中そうそう上手くいかないものだ。
 トラギンの第5戦隊は司令長官の直轄部隊だけあって宇宙軍の中心にいた。あそこまで行くには相当の苦労が必要になるだろう。
 大将殿はトラギンの部隊に直接降伏するつもりだ。他の部隊に降伏すると部隊長にその場で斬られてしまう可能性があるからだ。出来るだけトラギンから話が聞きたい。そのためにはインペリアルを接収する部隊がトラギンの第5戦隊である必要があった。第5戦隊に最も近づいた時、私たちは彼らに白旗を上げるのだ。
 もちろんこの計画は老兵たちに伝えていない。彼らは宇宙軍から逃げる方法を一生懸命に考えている。復讐計画に則れば、私たちはニイタカ山が燃えるまで上空で待っていなければならないのだ。しかしその時は訪れない。なぜならケルトレーキが地下と地上にセルロン兵を配備しているからだ。さすがのセルロン参謀本部も味方にミサイルをぶつけるほど気が狂ってはいないだろう。
 ただ、セルロンの滅亡を画策するとされるアリスタ・アシダが、自軍の特殊部隊を全滅させるために、さらにはセルロンの評判を落とすためにミサイルを撃ってくる可能性は十分に考えられる。そこを注視しておかねばならない。
 私には1つ思うところがあって、どうもアリスタ・アシダはドストルの難民を嫌っている気がするのだ。彼らが大将殿を操り人形にしていた説をとれば、わざわざドストルを武装させたのには理由があるはずだ。私の予想が正しければ、おそらく彼らは私たちを葬り去るついでにドストル難民を焼き払うつもりだ。あくまでセルロン政府の領土であるニイタカ山を痛めつけることは、ひいてはセルロンの弱体化にもつながる。
 アリスタ・アシダの主幹構成員である、トラギン中将、モーリード大将、イトーチカ中将は年代的には老兵たちと同世代だと聞いている。老兵たちと同世代の帝国軍人だった彼らがドストルを憎んでいる可能性は高い。
 インペリアルは順調な空の旅を続けた。セルロン軍は表向きインペリアルに気づいていないようだ。貨物船型の外装フィルムが効果を発揮していたのだろう。
 私たちは艦橋に集まっていた。インペリアルの中に一般の騎士団員は1人もいない。艦を動かしているのは老兵たちだ。艦長席に座った大将殿と、彼の脇に控える私には仕事がない。
 フェンス曹長がそわそわしている。何か言いたいことでもあるのだろうか。
 聞いてみよう。
「おいフェンス、どうした」
「いや中尉殿、さっきから気になることがありまして」
「何が気になるんだ?」
「大将殿はこの艦をどこに持っていくつもりなんです。このまま突き進めば敵艦隊の中心部ですよ。トラギンの奴と一戦交えるつもりなら、それもありでしょうけど」
「だったら、そういう気持ちでいることだよ」
「えっ、本当ですか中尉殿……本当なのですか!」
 フェンスの目がキラリと光った。周りの老兵たちも嬉しそうな顔をしている。彼らは65年の軍隊生活を経て、すっかり戦闘狂になってしまったようだ。
 思えば、ドストルに対する復讐にしても、どちらかというと単に「戦いたい」という欲望に沿った「建前」だったのかもしれない。彼らは硝煙の臭いのする世界でしか生きられないのだろうか。「戦場で死ねるなら本望」とはいつかモデジュ少尉が語った言葉だ。
「嘘だろ、あんたたち正気なのか、おい!」
 こちらはうってかわって顔面蒼白、乗らなくていいと言ったはずなのに、シャルシンドを守ったのは誰なんだと突っ掛かってきたショート・チゴの言葉だ。
 確かにカーライルの手からシャルシンドを守ったのはショートだ。しかしそれはカーライルが裏切り者だという証明がなければ何の手柄にもならない。それに彼がドックにいたのはシャルシンドを守るためではなく、大将殿に自らの愛を告げるためだ。
 当のカーライルは何のシッポも出していない。自分の仕事に集中している。
 大将殿は艦長席から老兵たちに指示を飛ばす。
「フェンス曹長、進行方向を13時の方向にしてくれ。ホッド軍曹はシーヴィンセントの試射準備だ。カーライルは主砲の補正を頼む。さすがは最新型のS型巡洋艦だ。ほとんど機械が自動でやってくれるみたいだから、気楽にやってくれて大丈夫だ。目標はセルロン宇宙軍第5戦隊の旗艦『プリオン』。諸君、状況を開始せよ!」
 大将殿の本業は艦隊指揮官だ。駆逐艦の艦長から立身出世を果たしただけあって、昔から艦隊の指揮に関しては一目置かれていたらしい。
 貨物船の偽装を外すことなくインペリアルはセルロン宇宙軍の中心に進んでいった。
 しばらくして、セルロン軍から通信が入った。
『どこの船であるか。当空域は戦闘空域である。民間船は退避せよ』
 これにフェンス曹長が返答する。
「こちらハンクマン船籍、紅海通運のスヴァン号。このまま北上してタルンに向かいます」
『それは認められない。迂回するかハンクマンに戻るかしないと安全は保障しない』
「自分の身は自分で守ります。無視してください」
 そこから先、セルロン軍からの返答はなかった。
 静かな空をインペリアルは飛ぶ。前方のセルロン軍に動きは見えない。
 セルロン艦隊に目いっぱい近づいたところで大将殿が叫んだ。
「ミサイル発射機、1番から8番までシーヴィンセントは入っているか!」
「戦闘空域に入る前に装填しております!」
 ホッド軍曹の答えに大将殿は満足そうな顔でうなづいた。
「だったら、1番から4番まで発射、前方のセルロン艦を攻撃したのち上方に退避!」
 号令一下、インペリアルはミサイルを発射した。
 インペリアルとセルロン艦、彼我の距離は5キロもない。音速で飛ぶミサイルを避けることなど不可能だ。相手には迎撃ミサイルを準備している時間すらなかった。
 同一地点に4発連続で着弾したシーヴィンセントは巡洋艦の装甲を貫き、巨大な内部爆発を引き起こした。相手の艦は沈みこそしなかったが、戦闘不能になったことは確実だった。
 敵艦、大破確実。
 目の前で起きた大爆発にインペリアルの艦橋が揺れた。
「よし、貨物船の偽装を外せ。艦橋も装甲の中に格納せよ。艦橋内にホログラムを展開。上方に逃げつつ、艦底の主砲で目標識別AFDを攻撃、その後、隣のAEDに向けてシーエスケープを発射。迎撃ミサイルを後方に展開しつつ高速でこの部隊から退避、奥に向かえ!」
 爆風にあおられて揺れていた艦橋が外殻の中に入っていく。堅牢な装甲の内部に収納された艦橋からは外の様子が窺えないが、代わりにホログラムで視覚情報を補正する。
 大爆発を起こした艦が所属していた部隊、宇宙軍第4戦隊は味方の仇を取るためか、インペリアルに猛攻撃を仕掛けてきた。しかしシーエスケープ通常ミサイルによる牽制と、迎撃ミサイルによって彼らの攻撃は退けられた。そもそも彼らは後方で待機していた部隊、まともに戦闘準備を行っていなかったようだ。
 艦内出力をふりしぼって全速前進するインペリアルにセルロン宇宙軍の各部隊が照準を合わせ始めた。ミサイル接近警告音が鳴り響く環境は心臓に良いものではない。
 大将殿は迎撃ミサイルを展開しつつ、一度セルロン宇宙軍の包囲網から外に出た。おのずと敵軍のミサイルが飛んでくる方向は一方向に収束される。大将殿はそこに迎撃ミサイルを集中させて、無数のシーヴィンセントを難なく撃墜してみせた。いくつかのそれは弾幕から漏れてこちらに向かってきたが、これは主砲や副砲に積んでいたサーモバリック弾で叩きつぶした。
「え、サーモバリックって……」
「国際法違反かもしれないが、要は勝てば良い話だ。敵のミサイルを撃ち落とすのにはちょうどいいだろう。それに違反しているのはエード騎士団の艦であって、我輩たちの知るところではないさ」
 大将殿はにこやかな笑みを見せる。どうやらアルトにサーモバリック爆薬を与えたのは彼だったらしい。
 主砲から発射されたサーモバリック弾頭が空中で炸裂する。強烈な爆風が相手のミサイル群を焼き尽くしていく。
 インペリアルはまだ被弾していない。
「さて、十分に掻きまわさせてもらった。セルロン宇宙軍は突然の攻撃に進行方向がめちゃくちゃになっている。観艦式のように整然としていた艦隊に『ほころび』が見えてきている。そこが攻めどころだ。合間を縫えばトラギンの所に近づけるはずだ。少々の被弾は気にするところではない。そのまま突っ込め、フェンス曹長!」
 セルロン艦隊から抜け出たインペリアルが再び彼らの元に進出する。
 前方に迎撃ミサイルを展開しつつ、大将殿はガードボットを出撃させた。身を挺してミサイルから母艦を守る兵装であるガードボットは、インペリアルにとって最後の防衛線だった。
 すなわち迎撃ミサイル、主砲のサーモバリック弾、これらを突破してきたミサイルを全身で受け止めるのがガードボットだ。普通はサーモバリックなんて使ったりしないが、そこに主砲の通常弾頭をあてはめた、迎撃ミサイル・主砲・ガードボットの3段構えの防衛ラインは、現代艦では当たり前の存在だ。
 だからセルロン艦隊も当たり前のようにガードボットを出撃させてくる。
 大将殿はゴムで自分の髪をしばった。黒頭巾はすでに壁際のフックにひっかけられている。
「セルロンのガードボットをサーモバリック弾で焼き尽くせ。さらに空域の熱がある程度まで冷めたところでシーヴィンセントを発射、アルトの真似だが、爆風の向こうからミサイルを撃ちこんでやれ。その後、上方から相手艦隊の中心に突っ込む。さっきも言ったが被弾は覚悟することだ。迎撃ミサイルは常に撃ち続けろ!」
 インペリアルの主砲が撃ち放たれ、立ちふさがるセルロン軍のガードボット群は瞬く間に灰塵となった。有機物が灰となり、黒い煙が立ち込める中をシーヴィンセントは突き進んだ。32本のミサイルが目指したのはセルロン宇宙軍の第3戦隊。目標識別Cラインの40隻の艦隊だ。
 巡洋艦は装甲をへこませ、駆逐艦は爆沈した。
 その中をインペリアルは突き進んだ。
 味方の仇をとろうと躍起になってインペリアルに攻撃を加える第3戦隊、しかしサーモバリック弾とガードボットによって攻撃はしばしば阻まれる。いくつもの通常主砲弾がインペリアルに着弾したが、それだけではインペリアルは沈められない。
「大軍というのは、常に戦力の全てを投入できるわけではないから、どうしても図体に対して攻撃力が小さくなってしまう。こういう小部隊の奇襲には弱いものだと我輩は考える。トラギンは旧時代の浸透戦術のように艦隊を分散させるべきだった。それがあの者の失敗だろう」
 通常弾によってインペリアルの装甲が削られていく中、大将殿はつぶやいた。
 艦橋で指揮を執る大将殿の姿はかつての老人だった頃と少し違っていた。的確に命令を下してはいるのだが、時折ぽそぽそと何かを口走っていた。
 まるでレコードから無理やり音を取りだそうとしているかのようだ。
 第3戦隊街道を無理やり通り抜けたインペリアルは、ついにトラギン率いる第5戦隊と対面した。全艦がS型巡洋艦とP型駆逐艦で揃えられた精鋭の名に相応しい部隊だった。
 大将殿がふうと息を漏らすと、カーライル上等兵が焦ったような顔を見せた。
 不思議なことに第5戦隊は攻撃してこない。
 後ろから第3戦隊、第4戦隊が迫る中、大将殿は老兵たちに命令を下す。
「降伏だ。トラギンに伝えてくれ。艦橋を上げて、マストに白旗を揚げろ」
「ここで降伏してしまうんですか! あとちょっとで敵の旗艦を潰せますのに!」
 モデジュ少尉が立ちあがって異論を口にしたが、大将殿はそれを退ける。
「本末転倒だぞ、少尉。ここでトラギンを殺せばセルロン宇宙軍は瓦解する。ニイタカ山を火の海にする我輩たちの計画が台無しではないか」
「確かにそうではありますが、この状況はあまりにも惜しい……」
「そう言うな。ここは1つ、トラギンに頼んでみよう。火の海にしてくれと。大将たる我輩が一言添えてやれば、あの者も気兼ねなくそれができるはずだ」
 大将殿は老兵たちを上手く言いくるめた。同時に何かに気づいたようで、どことなく虚しさを秘めた目をしていた。
「……尉官、下士官に戦略的な見方を期待していた我輩が馬鹿だったのか、あるいは……」
 大将殿は艦橋のホログラム映像に映る、トラギンの座乗艦をじっと見つめていた。

 大将殿から降伏の意志を受けとったトラク・トラギンは素直に喜んでいた。インペリアルの艦橋のホログラムシステムに映し出された彼の顔は、笑みにあふれていた。
 インペリアルは白旗を揚げて宇宙軍第5戦隊に近づいた。
 第5戦隊、かつてニイタカ山に来たこともある部隊だ。ゼブラ作戦の際には私と大将殿が乗り込んだこともあった。あの時は平和的な話し合いができたが、今回はそういうわけにはいかないだろう。
 インペリアルにトラギンの巡洋艦が接近する。
 双方が空中連結用のボーディング・ブリッジを展開。2つのS型巡洋艦は空港の搭乗橋のような構造物によって接続された。
 すぐさま、セルロン宇宙軍の陸戦隊がインペリアル側に侵入してきた。インペリアルの中によろしくない連中が隠れていないか確認する気なのだろう。老兵たちとショート、シャルシンドは機関室の使用していない燃料タンクに隠れているのでたぶん大丈夫だ。
 カーライルの先導の元、私たちはボーディング・ブリッジを渡る。
 インペリアルから離れた向こう岸には見慣れた元帝国軍人の姿があった。
 トラギンだ。宇宙軍の青い制服に中将の階級章。
「お久しぶりですハーフィさん。ゼブラ作戦以来ですね」
「前置きはいい、トラギン伍長。話を聞かせてもらうぞ」
 トラギンは目をパチクリさせた。
「ははは。今はもう中将になりましたよ、大将殿」
「知っている」
「もう少しで大将殿に追い付けますね。もう少しで……」
 トラギンはそう言って、部下らしき人物に私たちを艦長室に案内するよう命じた。
 プリオンの艦長室といえばゼブラ作戦の時にもお世話になった場所だ。トラギンにどういう意図があるのかわからないので、私は俄然緊張感を強めた。
「もっと気楽にしたほうがいいぞ、中尉」
「捕虜なんていつ殺されるかわかりませんから……」
「我輩たちはすでに死んでいるのだ。死など恐れるな」
 そうこうしているうちに、私たちは艦長室に到着していた。
 相変わらずソファが素敵な部屋だった。
 先に着いていたトラギンが私たちに座るよう促してきた。
 私たちはトラギンの対面に座った。
「紅茶は飲まれますか、大将殿」
 トラギンは顔を赤くしながら、時折白髪を掻きながら、私たちに飲み物を勧めてきた。
 私たちの答えはこうだ。
「冷たいミルクティーを1杯もらおう」
「アイスミルクティーを頼む」
「おやおや、前は飲まれなかったから、てっきりいらないのかと思って、あらかじめ用意させていませんでしたよ。ロッテ大尉。用意してくれ」
 トラギンの要請に副官らしき女性士官が頭を下げた。前にも見たことのある人物だ。
 ミルクティーをいただいて、落ち着かせてもらう。
 まるで熱湯ではなく牛乳で淹れたような濃厚なミルクティーだ。そういえば本場はこういう飲み方をするとチョイスマリーから聞いたような気がする。
 トラギンは缶詰の残り汁をそのまま飲んでいた。
「貴様の悪食は治らないのか、トラギンよ」
 大将殿の言葉にトラギンは何の反応も見せない。必死の形相で缶にしがみついている。
 そこまで美味しいのだろうか。
 トラギンがスチール缶を机に置くと、先ほどの女性士官が現れて、素早い動きでゴミ箱に放り投げた。ゴミ箱は練乳のチューブで一杯になっていた。
「さて……ご苦労さまでした」
 トラギンは神妙な面持ちで頭を下げてきた。
 対して、大将殿は動かない。
「ご足労ありがとうございます。大将殿におかれましてはお元気そうでなによりです。おかげさまで僕たちの思った通りになりつつあります。後はモスキートバスターをニイタカ山に打ち込めば終わりです。あいつらはみんな死にます。そう、終わりだったのですが……はあ」
 トラギンの口からため息が漏れる。
 いったいどうしたというのだろう。
「とりあえず、あちらをご覧ください大将殿」
 トラギンは小窓のほうを指差した。
 小さな窓からは外の様子がほんのちょっとだけ窺える。夕焼けに浮かぶセルロン宇宙軍の艦隊が見えた。トラギン艦隊とは別行動の部隊のようだ。
「あれはエンドラ・プック元帥の艦隊です。正しく彼が無理やり連れてきた第7戦隊」
「プックがどうしてここにいるんだ。捕まっていたはずだろう」
「その件について何ですけどね……はあ」
 トラギンはもう一度深いため息をつき、肩をがっくり落として、まるで言い訳をする子供かのような喋り口で何かしらを語り始める。
「いえね。あの男は留置場に閉じ込めたはずだったんですけどね。何故だか知らないんですけど……軍法会議を無視して出てきちゃったんです。側近の兵隊を使って。ご存じだと思いますけど、あの男が出てくると僕の指揮権は無くなっちゃうんですよ。だからモスキートバスターは撃てなくなってしまいまして、それがその……はあ」
 トラギンは心底落ち込んでいるようだった。
 エンドラ・プックは宇宙軍の神様だ。いくらトラギンが臨時の司令長官に任じられている事実があっても、それはあくまで肩書きの話であって、あくまで宇宙軍はプックのものだ。
 神格化された軍人の恐ろしいところで、プックは指揮権を無視してしまえるほどの影響力を持っている。参謀本部が宇宙軍にあまり大きく出られないのもこのあたりの事情がある。
 トラギンは両手を膝の上から垂らした。
「あとはモスキートバスターさえ撃てば、僕たちの計画は完成されましたね……」
「僕たちとは誰のことだ、トラギン伍長」
 大将殿の質問にトラギンは半笑いで答える。
「僕たちは僕たち、僕と大将殿、そしてみんなの復讐計画でしょう」
「我輩は貴様と組んだつもりはないぞ」
「でもニイタカ山は滅ぼしたかったはずです」
「それはお前たちだけだ。お前たちと老兵たち、お前たちだけだ」
「そんな気持ちが微塵もなかったと言えるのですか、大将殿」
 トラギンの指摘に大将殿は顔色を悪くした。
 女性士官から練乳のチューブを受け取ったトラギンは、それを慣れた手つきで開封する。
「僕はずっと願っていましたよ。セルロン軍に拾われてからもずっと。ずっとずっとドストルの連中を踏み殺してやりたかった。あいつらさえいなければ、帝国は今でも続いていたかもしれない。セルロン軍だって潰したかった。セルロン政府の描く中部の歴史が正しいものになる前に、僕たちの生活したあの時代が汚らしいものにされる前に、どうにかして帝国を復活させる必要があった。そう考える元帝国軍人は多くいたんです。問題は皇帝陛下をどうするか。そこでした」
 トラギンは練乳のチューブを少しだけ吸った。あまり美味しそうには見えなかった。あれはやっぱりイチゴと合わせたり、かき氷にかけた食べたりするのが一番だ。
「亡き陛下には子供がおりませんでした。元が商人出身の無頼漢だったそうなので素性すらハッキリしませんでした。血縁者がいない……だったら新しい皇帝を作ればいい。僕たちと大将殿の差はそこです。過去の皇帝に縛られているあなたは古い人間でした」
 大将殿の顔色がより悪くなる。
 トラギンはチューブをすすりながら話を続ける。
「アリスタ・アシダは新しい皇帝の名前なんです。6号計画と呼ばれるクローン製造計画が先の首相の下で行われていました。ええ、クチバー大尉です。彼もまた僕たちの仲間でした。しかし彼はハンクマン軍に殺されました。忌まわしきはプータ主計大佐。あいつがハンクマンに寝返らなければ、あんなことにはならなかった。おかげで無能の権化みたいな首相をつかまされて、計画は立ち往生を迎えました。こうして新しい皇帝を擁して反乱を起こす計画は失敗しました。次に僕たちが考えたのが今回のことです。ドストル殲滅のための復讐計画」
 トラギンの話に大将殿が待ったをかける。
「ちょっと待て。ドストルと帝国の復活にどういう因果関係があるんだ。我輩に言えたことではないかもしれないが、これは帝国軍のための行動と言うより、単なる復讐、だ……」
 大将殿の言葉は龍頭蛇尾、最後には崩れ去った。
 トラギンの顔に笑みが生まれた。白髪を掻きながら、チューブを吸いながら、トラギン伍長は笑っていた。
 そこに、かつてドストル攻防戦の際に糞尿を撒き散らした若き下士官の面影はなかった。
 彼の話は真相に突き進んでいく。
「端的に言えば復讐ではあります。あなたが付けた計画名も復讐計画ですしね。しかし同時にいくつもの目的がありました。まずは大将殿の資産を月面に渡さないこと。あなたがあのまま死んでいたら、帝国の遺産はきっとバラバラになってしまって、最終的にはムーニスタン政府のものになっていたでしょう。これは月面の軍事力増強を招きます。僕たちの築く新しい帝国にとって、これは大変に不都合です。ムーニスタンは強いですからね、今しばらくは経済不況に悩んだままでいてもらいたい」
 トラギンはチラリとこちらを窺った。私を見ている。
 失礼な話だ。大将殿があのまま死んでいたとしても、ジャムル中佐や私が資産をバラバラにしてしまうはずがない。ちゃんと守ったはずだ。
「そう怒らないでください中尉殿。そういえば前に会った時もナルナ・タスって名乗ってましたけど、どうして偽名を使わなかったんです?」
「私は私だからだよ、トラギン伍長」
「あの時はビックリしましたよ。まさか本名を名乗るとは思いませんでしたから。そういえば以前よりお綺麗になりましたね……」
「とっとと話を続けたらどうだ、トラギン伍長」
 トラギンは胸元の第2級国防勲章をいじくりつつ、ゴホンと咳をした。
 あれは癖なのだろうか。
「2つ目の目的ですが、単純にセルロン領土の削減です。無政府状態とはいえ領土が国家に寄与する力はとてつもなく大きい。双頭戦争では我が宇宙軍がゼブラ作戦以外でほとんど動かなかったこともあり、上手く負けることができました。あの時は僕が上手く情報を操作して、架空の宇宙海賊が宇宙にいるってことにしていたんですよ。とにかく、あの戦いでセルロンは3つの州を失った。次はニイタカ山を削ります。セルロン政府はどんどん弱くなっていきます」
 トラギンはベラベラと喋ってくれる。プックに指揮権を奪い返されたことで復讐計画の成就が難しくなった今、彼の口を止める材料はまるで見当たらない。
 こちらとしては好都合。彼が愚痴を言いたいのならそれを聞いてやる。
「すまん、トイレだ……」
 大将殿が艦長室を出る。廊下にいたセルロン軍の兵士に場所を聞いて、そそくさと歩いていった。
 トラギンは構わずに話を続ける。
「3つ目。大将殿の勢力を減退させることです。新しい帝国を築いてもあなた方がこれに反発すれば、どちらが正統な帝国なのか争いになってしまいます。できれば、どうにかして抹殺するつもりだったのですが、ああなっていてはもう心配は無用でしょうね」
「ああなっていてはというと、どういう意味だトラギン伍長」
「いやいや中尉殿。あなたはずっと一緒にいたから気づいていないかもしれませんが、僕にはどう見てもあの人はただの一般人にしか見えませんよ。往年のオーラがないです」
 本人がいないからといって、あまりに酷い言い方だ。
 しかし事実ではあった。私だって、気づいていないわけではない。
 だからこそ、最善の処置を取らせてもらおうと考えている。どうにかして大将殿を救い出したいと願っている。
 トラギンは練乳のチューブをゴミ箱に投げ捨てた。
 宇宙軍の帽子をかぶり直し、背筋を正せば、そこにいるのはトラギン中将だ。長年の軍隊生活を経た、老練の艦隊司令官だ。
 彼は語る。
「先ほどの戦いは見事でしたよ。みんなサーモバリックの見た目の派手さにビックリしてしまって、混乱の中を大将殿のインペリアルは駆け抜けてきた。対して僕の艦隊は何もできずに6隻が轟沈してしまった。あれは見事でした。さすがはタラコ・ソースの戦い。もしくは彼の戦術を教科書のように読み取った人間による機動戦術でしょうか」
「トラギンはそう見ていたのか」
「はい。そうそう。さっきのエード騎士団の艦隊を率いていた奴は何者なんです。最初に出てきた4隻のC型巡洋艦、確かアルトとか名乗ってた女です」
「さっきの……ということは撃退したのか」
「いや、逃げました。今はたぶんプック元帥と戦ってます」
 トラギンが部屋の小窓に目を移したので、私もそれに倣うと、遠くの空のプック艦隊にきらめきが生まれていた。夕焼けの中をいくつものミサイルが飛び回っている。
「残り1隻だったんですけどねえ。あともうちょっとのところで逃げられちゃいました」
「アルトは旧式のC型巡洋艦に乗っていたはずだ。S型艦ばかりのこの部隊がそれを取り逃がしたのか、トラギン」
「よくわかりませんが、いきなり通信で『アルト十八計の最後っ屁を喰らえ』とかいうテキストデータが送られてきました。そしたら、敵艦が飛ぶように逃げていきまして。おそらく非常用の推進器でも積んでいたのでしょうね。相手さん、弾薬が切れてからは逃げまわっていましたし……逃げたと見るのが妥当かと思います。ところが逃げた先にプック元帥の艦隊がいたので、まあ、そのうちに撃沈されてしまうんじゃないですかね」
 トラギンが喋り終わったところで、艦内がやわらに騒がしくなった。
 どうしたのかとトラギンが女性士官に問えば、今調べていますと返ってきた。
 廊下を宇宙軍の兵士たちが走りまわっている。
 何事だ。
 もうセルロン軍に敵はいないのだろう?
 アルト・ザクセンは死に体なのだろう?
 女性士官が艦橋から聞き取った情報をトラギンに伝える。
「トラギン中将、敵艦がこっちに迫ってきています!」
「敵とは……例のエード騎士団の最後の艦か。もうあの艦にミサイルはないはずだぞ!」
 トラギンの叱責じみた言葉に女性士官が首を振る。
「違うんです中将殿、敵艦は宇宙軍第7戦隊所属の巡洋艦・パーミリオン。例のエード騎士団の艦に白兵戦を仕掛けられたらしく、最終的に乗っ取られたとのことです!」
「そんな……白兵戦など、馬鹿な、馬鹿なことがあるものか!」
 激昂するトラギン。
 この時代に白兵戦は凄い。相手の船に兵士たちが直接乗り込む戦いなんて、近代以降で行われた試しがあるのだろうか。特に正規軍相手の戦いでそんなことがあったのだろうか。
 あるいはアルトの執念か。
「トラギン! 最期に聞かせろ、裏切り者は誰だったんだ!」
 パーベリオンは迎撃ミサイルを展開しつつ、こちらに一直線に迫っていた。
 会戦前の通信で艦隊司令官の座乗艦をつかんでいたのだろうか。
 やがて彼女はシーヴィンセントを放った。
 トラギンは艦橋に電話をかけて、迎撃ミサイルの発射を命じたが、近代戦において味方艦のミサイルを迎撃するには敵味方を識別するデータを変更するしかなく、それができるだけの時間の余裕もなく、トラギンのプリオンに迎撃手段は全くなかった。
「くそっ……裏切り者、そいつはねえ、モデジュ少尉たち、みんなですよ!」
 やがて目の前に光が見えた。
 戦場のきらめきだ。


 12 その時代の終焉

 子供の声が聞こえる。
 朗読をしているようだ。内容から察するに歴史の教科書だろうか。
 遠い昔の物語。
 今から何百年も前のことです。
 人間が生み出したバイ菌がみんなの生活を脅かしていた時代がありました。人々はバイ菌が生きていられない南北の寒い地域に引っ越していました。でもそんなところは厳しくてひたすらに寒いので、人々はいつも不満そうな顔をしていました。
 私たちの祖先の1人にタルマン・タマガミという人がいます。彼はバイ菌をなくしてしまう機械を開発した人物です。タマガミさんはまず極東のジパング列島からバイ菌を追い払いました。暑苦しい防毒服を脱いだ時のことを彼は人生最良の時だったと言います。
 人々がジパング列島に住みつき、社会を築くのを見届けたタマガミさんが、次に目指した場所こそが、私たちの住んでいる中部地方です。ここはかつて中東と呼ばれていました。
 ここで教室を出て、セルロン市の方向を見てみましょう。
「ああ、出なくてもいいわよ。今は危ないから」
 はるか遠くにタワーが見えるはずです。あれはタマガミさんの残した遺産の1つです。
 コスモDと呼ばれたタワーにはタマガミさんの作った機械が満載されていました。タワーによって綺麗になった中部地方にやってきた人々が、私たちのご先祖さまです。その中には以前浄化されたジパング列島からやってきた人もいました。
 私たちが今使っている言葉は、もともとジパングで使われていた言葉です。ジパングからやってきた人が多かったので自然と使われるようになったそうです……。
 目が覚めるとそこはベッドの上だった。
 どこかで見たような天井だ。
 身体を起こすと周りにはたくさんの負傷者が横たわっていた。白いベッドの中には赤く染まっているものもある。しかし血生臭くはない。所々で芳香剤が焚かれている。
 不思議な空間の隅っこに子供たちがいた。10人ほどの児童に歴史の授業を行っているのはドストル修道会の修道女だろうか。見ない顔なので新人さんなのだろう。
 教科書の前文を朗読していた児童が、その役割を終えて椅子に座ったので私はパチパチと手を叩いてやった。児童はこちらに顔を向けて照れくさそうに笑っていた。
 ようやく私は気づいた。ここは聖ムーンライト教会の休憩室だ。
「あっ……ナルナ、目が覚めたの?」
 ほら、こうやってチョイスマリーが近づいてきた。ここに彼女がいるということは、つまりそういうことだ。私は間違っていない。
 それにしてもどうして生きているのだろう。あの高さの軍艦から落ちたのだ。シーヴィンセントに艦橋を破壊されたプリオンは航行不能になって墜落した。その過程で私はプリオンから放りだされた。誰かに押されるような力で大空に出た。
 無傷。それは何かしらのご加護があった証だろう。
「まさかエードの神様がいるとは思わないが……」
「……あんまり修道女がそういうことを言うのは良くないよ、ナルナ」
 チョイスマリーにコップ1杯の水を入れてもらい、それを飲む。
 ずいぶんと喉が渇いていた。あれからかなり時間が経っているのだろうか。
 周囲を見渡しても時計は見当たらない。
 そういえば大将殿はどうしたのだろう。私は助かっているが、同じくプリオンのトイレにいたはずの大将殿はどうなったのだろう、まさか、そんなはずはないとは言い切れない。
 首筋から汗がだらだらと流れはじめた。
 いてもたってもいられない。どうにか確認できないだろうか。
「もしかしてハーフィさんのこと?」
「えっ……」
「心配しなくても大丈夫よ。ここにあんたを連れてきたのはあの人だから」
 チョイスマリーに図星を付かれるとは思わなかった。
 安心した。心の底から安心した。
「別に泣かなくてもいいじゃないの。何だったら一緒に探しに行く?」
 ぜひともそうしていただきたい。
 私はチョイスマリーに軽く頭を下げた。彼女は笑っていた。

 ベッドの近くにあったスリッパに足を入れて、聖ムーンライト教会の中を歩いていく。
 私の手を引くチョイスマリーの右手は生暖かった。
 心細そうな難民たちに見つめられながら、私たちは教会の外に出る。
 教会の外、ニイタカ山の山頂から眺める風景は以前のものと大きく異なっていた。
 セルロン軍の砲撃を受けたニイタカの街並みは穴だらけになっていた。煙が充満する中を難民たちが逃げまわっている。カバンを担いで、まるで火事場泥棒のような格好だ。
 ある意味で、復讐作戦は成功していたのかもしれない。私たちはドストル難民を十分すぎるくらいに苦しめた。それで満足できるかどうかはまた別の問題として、彼らの生活を破壊することには成功した。
「ハーフィさん、えーと大将殿だっけ?」
 こちらを振りかえらず、ただ前を向いて私の手を引いたまま、チョイスマリーは喋り出す。
 彼女の呼吸の音が強く意識される。そこからは緊張の色がにじみ出ている。
「さっきお父様から教えてもらったわ。前々からお父様に見張っておくよう言われてたから、どういうことなのかと思っていたけど……要はそういうことだったのね」
 今となってはどうでもいい話だ。作戦は終わった。大将殿の正体がバレていたところで困ることはない。
「今思えば、20歳で常識も知らないし、変なところはいくつもあったけど、やっぱりビックリしたわよ。あたしがドストル修道会のやり方について教えていたあの人が、教科書に載るような大物だったなんてね。現代の技術はすごいなって驚いた。でも私が一番驚いたのは昨日のナルナのことだよ。ナルナ……中尉なんだって?」
 そっちについてはできればバレたくなかった。
 こういう時は口を閉ざすしかない。何を言っても彼女からの言葉は変わらない。そんな気がするからだ。
 チョイスマリーは立ち止まり、雑木林の影をゆっくりと指差した。相変わらずこちらには顔を向けてくれない。
「あそこの林……奥まったところに景色の良い峠があるんだけどね。ハーフィさんが、ナルナが起きたらそこに呼んでくれって言ってて……それで、ナルナはどこの軍隊の中尉なの? ニイタカ山に潜り込んでいたセルロン軍の中尉、それともハンクマン王国軍、正木藩兵、太田藩兵、ホモゲ藩兵、ビタミン藩兵、まさか月の軍隊の中尉だったりして」
 何も言えない。言いたくない。
 何年も騙してきたことを明かしたくない。
 出来るなら彼女を悲しませたくない。
「うん。わかっているから。わかっているからこそ、あの林から帰ってきてね。そのままどこかに行ったりしないで、いろいろ話を聞かせてちょうだい」
 何も言わなかったからこそわかってしまったのか、あるいはどこかで情報を仕入れていたのか、それらがどうであっても、今の私たちに言葉は不要だった。
 手を離し、ゆるやかに離れる。
 手を振る彼女に手を振り返し、雑木林へ駆け出す。
 これから行く場所にいる人物のことを考える。
 やっと全てが終わって、2人きりで話せる機会を得ることができた。
 ここが正念場だ。私は大将殿を真の意味で取り戻す。
 主戦場は峠の広場。待っていたのは、ハーフィ・ベリチッカ。

 木陰が狭いから正午だろうか。
 プリオンに乗り込んだのは夕焼けの頃だった。つまり私は昨夜を知らない。
 雑木林を抜けた先には確かに見晴らしの良さそうな峠があった。草むらをかきわけて崖の際に近づくと、眼下にニイタカの街が一望できた。
 暗い煙に包まれたニイタカ山。ドストル修道会の植えた街路樹は焼け落ちていて、エード教の総本山寺院も施設の大半を失っていた。果たして誰がこの惨状から元の街を取り戻せるのだろうか。セルロンはきっと支援しない。エード教にもそんな力はない。
 彼女は峠の柵に座っていた。力強く押し倒せば、そのまま崖から落ちてしまいそうな、そんな座り方だった。
「やっと来たのか。夜には起きるかと思ったが、すっかり寝てしまっていたようだな」
「ハーフィ・ベリチッカ……」
「周りには誰もいないぞ中尉。モデジュたちもショートもいない。シャルシンドもショートに預けている」
 彼女の笑顔が胸にしみる。
 私の意図することもわからずに、無邪気に笑っている彼女にわざわざ酷いことを言う必要があるのか。疑問符が頭の中で回る。
 いやダメだ。これはチャンスなんだ。どれだけ私が苦しくても、たとえ嫌われて切り捨てられてしまうことがあっても、こればかりは撤回できない。
「どうしたナルナ中尉。まだ眠たいのか」
 修道服の上から心臓を押さえる。鼓動が止まらない。
 呼吸が荒くなる。胸の奥が痛くなる。肩の震えが止まらなくなる。
 そこまで我慢してやるほどのことだろうか。
 いや、そうでなければここに来ていない。
「ハーフィ・ベリチッカ。あなたにお話したいことがあります」
 彼女の表情がわずかに曇った。
 峠の柵から降りて、そのしなやかな両腕を組んで、彼女はこちらに近づいてきた。
 私はガーターベルトから愛銃を取り出し、近づいてきた彼女に銃口を向けた。
 私の手先は、震えている。
「ハーフィ・ベリチッカ。あなたは今でもノーカト・チゴを愛していますね?」
 私の言葉に彼女の態度が一変する。
「そんなはずがないだろう。シャルシンドの子種をくれたことには感謝しているが、そんな気持ちは一切なかった。顔が赤いぞ、熱でもあるのか中尉。とにかく銃を下せ」
 ボタキを奪おうとする彼女の手を振り払う。私は再び両手で愛銃を握り、安全装置を解除した。さらに一発、地面に向けて警告射撃を行う。
 彼女は修道服のポケットから拳銃を取り出そうとしたが、彼女のテリカは私のポケットの中にあるのでいくら探しても無駄だった。特殊作戦軍から逃げる時に借りたままだったのだ。
 焦燥感の見え隠れする彼女の額に愛銃の銃口をそっと寄せる。
 彼女の前髪を軽く撫でてから、私は話の続きをさせてもらう。
「ハーフィさん。私は仮眠室のまどろみの中で、ここ数年の記憶を調べてみたのです。そしてわかってしまったのです」
「何を言うか。我輩のことは我輩が一番わかっている。我輩にそんな意図はなかった。あれは政略結婚だったと何度も言っただろう。それを中尉は手伝ってくれたじゃないか!」
「ではなぜエード教の重鎮たちの中からノーカトを選んだのです。確かに彼は名門の出身、エード教の中でも高位の人物でした。しかしもっと上の人間はいたはずです。そいつを籠絡したほうが話は早かったはずです。老人を狙っていれば子供なんか産まずに済みました」
「子供を産めば後継ぎの母親として一族を支配できる。そのために若い男を選ぶ必要があった。ただそれだけの話だと言ったはずだ。ちゃんと思い出してみろ、中尉。それにシャルシンドを産んでからすぐにノーカトは殺したじゃないか! 結果としてショートが殺したのかもしれないが、我輩がお前たちにチゴ邸を襲撃させたのは事実だろう!」
「1つ言わせていただきますと、おそらくショートはノーカトを殺していませんよ。彼の死因は間違いなく彼自身の拳銃自殺です。それも、事務所にいたハーフィさんから、老兵たちが向かっているから今すぐ自宅から逃げるように電話で言われた後、彼は自室で自殺したはずではありませんでしたか、ハーフィさん」
「そんな事実はない、我輩は電話などしていない!」
「だったら、どうしてあの日のチゴ家の邸宅に、ショートを始めとする他のチゴ家の親戚連中がいなかったのか、どういう説明をしていただけるのですか、ハーフィ・ベリチッカ!」
「わたしを、その名で呼ぶな! 中尉!」
 激高する彼女の全身。
 瞬間、私のボタキが空を飛んだ。
 右手の一撃でボタキを弾き飛ばした彼女は、次の打撃を私の右肩に向けた。私はそれを抱えるようにして受け止めた。彼女の左腕を私の上半身が包み込んだ。
 目の前に彼女の端正な顔立ちがある。黒頭巾とブロンドと、赤くなった両目が見える。現在の肉体年齢は25歳だったはずだが、相変わらず若々しい肌をしていた。しかしその表情は険しいものだった。
 彼女は私の胸元から左腕を引き抜いた。落ちていたボタキを遠くに蹴飛ばし、彼女は私の目をじっと見つめる。
「どういうつもりだ、中尉。何が言いたい」
「あなたはノーカトに安住の地を見出すべきだった。私たちに解散の命令を下して、ニイタカ山の裾野でゆるりと暮らすべきだった。そういう老後もあってよかったはずだった!」
「一介の尉官風情が何を言うか、部隊のことは我輩が決めるものだ」
「そうです、それでこそあなたの名前は保たれた。だがあなたは自分で何も決められず、ただ現状を維持したいがために老兵たちの言う事を聞いて、それでいて偉そうにしていた。そんな人間が大将殿であるものか。私を救ってくれた、ロケットに乗せて未来を見せてくれたタラコ・ソース大将がそんな情けない人間なはずがない。あなたは大将殿ではない!」
「言っていることが、わけがわからないぞ!」
「だったらわかりやすくしてやる。ハーフィさん、私に大将殿をくださいな!」
「我輩を殺してタラコを自称するつもりなのか中尉、まさか貴様が裏切り者だったのか!」
「トラギンたちのような老いた青年どもと一緒にしないでください」
「何なんだ。我輩にどうして欲しいんだ」
 彼女は困り果てていて、哀願するような目でこちらを見つめる。
 彼女に私を切り捨てるつもりはないらしい。そんな部下に媚びるような目が、私には余計に許せない。それすらもわからないほどに堕落して、それがまた許せない。
 私の大将殿を返してもらう。こんな女に、これ以上、タラコ・ソースを汚されたくない。
 英雄の人生の果てがこんな腐れた女だなんて、私には我慢できない。
「あなたには私の大将殿を返してもらいたい」
「大将はここにいるじゃないか、どういう意味だ」
「違う、私の大将殿はもっと立派な方だった。幾多の艦隊と数百万の軍勢を率いて、帝国に歯向かう者たちを鎮圧する英雄だった。亡国の後も再起を狙い、それを成した偉大な軍人だった。それが田舎者の男に姦通されて、メロメロになって家庭を築くなんて、許せるはずがないだろう。陰では堂々とタラコを名乗っていながら、そんなこと、そんなこと、許せない!」
 目からポロポロと涙が出てきた。
 そこで私は気づいた。気づいてしまった。
 ああ、そうか。
 そういうことでもあったのか。
 自分では気づかなかったが、そういうこともあったのか。
 歯を食いしばり、修道服の裾をぎゅっと握る。
「それに……私は……変わってしまったのです。大将殿は遺伝子調整手術を受ける前に仰りましたよね。君は君でいてくれ。そうすれば我輩もタラコ・ソース大将でいられる。でも私は変わってしまいました。以前の私なら、こんな失礼なことを言うはずがなかった」
「中尉は中尉だ。それは我輩が保証してやる」
「ハーフィさん、私に同性愛の気質はありませんが、今の私は間違いなく大将殿が大好きですよ。それも愛しています。精神の深遠から貫くように甘美に、愛しています」
 彼女の目が丸くなった。
 私は構わず言いたいことを口にする。
「かつての英傑だった時代のタラコ・ソースの活躍を思い出すたびに、あなたから夜中に昔話を聞くたびに心を躍らせていましたよ。ドキドキしていましたよ。胸の高鳴りを押さえられずにいましたよ。そんな人間がナルナ・タスだと言えますか。そして、だからこそ、こんなにもハーフィが憎いんです。私のタラコ・ソースを消してしまったハーフィが憎い。殺せるなら殺してやりたい、絹を裂くような声を出させて、この両腕で絞め殺してやりたい!」
 私は怒りに任せて色々と言ってしまったことを後悔した。
 彼女は怯えるような声を出した。その声の細さに私は我を取り戻した。
 身を震わせている彼女の姿は、どこにでもいる、平凡な人間そのものだった。
「殺しませんよ。あなたの中に大将殿がいる限り、私はあなたを殺めない」
「……中尉。もしや遺伝子調整手術の影響で自分を失ってしまったのか」
 彼女はあくまで大将殿を自称したいようだが、気にしない。
 彼女の言ったことは正論だ。
「そうですね。所詮精神は肉体の奴隷なのでしょう。名前、ナルナ・タスという言葉があったところで、それが実際に存在すると保証できるものはこの世に存在しません」
 現代社会が個人的精神の認識を遺伝子に委託するというのなら、私は当の昔にそれを失っている。もちろん大将殿もそうだ。
「ナルナ中尉、こんなことを言うのは何だが、我輩は貴様と……」
「愛していますよ大将殿。心の底から、愛してます」
 私はステップを踏み、彼女の側まで近寄った。
 何とも言えない顔をしている彼女の、豊かな胸を、私はするりと押さえる。
「かつて、ここにいたあなたが私は愛しくて仕方がない。ええ。亡霊となり死者となったあなたに部下である私がふんわりとした想いを抱くのはおかしいでしょう。いずれ私も忘れたいと思います。そのためにはあなたの人生を終わらせなくてはいけません。だからこそ、ハーフィさん。私に大将殿をください。具体的には大将殿の最期を私に描かせてください」
「我輩の最期、死ぬ時を描くとは、いったいどういう……」
「本を書きます。タラコ・ソースの伝記です。寝る前に聞かせてもらったエピソードを盛り込んでいけば面白い本になります。ただし最期だけは私のオリジナルです」
「中尉の考える我輩の最期とは、どういうものなんだ」
「タラコ大将は、総長室のホログラム装置で亡き夫の姿を具現化させて、それに話しかけるような愚鈍でつまらない女性として死ぬのではなく、復讐計画を成し遂げて、死にます」
「……見ていたのか。あれはシャルシンドに父親の」
「御託は良いんです。確かにノーカトは良い人物でした。私が変わってしまったように、あなたも変わってしまった。彼に惚れてしまうのは生物学的な道理です。雄と雌は惹かれあう。遺伝子がそうさせているんです」
 精神は肉体の奴隷だ。遺伝子の命令にはなかなか逆らえない。
 きっと私の身体は大将殿が好みだったのだろう。ただそれだけだ。
「ニイタカ山を燃やしつくして帝国の復讐をついに完遂させたタラコ大将は、その後行方をくらまします。今となってはどこにいるのかもわかりません。死んだのかもしれません」
「我輩に表舞台から消えろと言っているわけだな。ようやくわかったぞ中尉」
「舞台裏からも消えてください。タラコを名乗らず、あの頃の記憶を思い出さず、シャルシンドを連れて2人でどこかの国で暮らしてください」
「中尉はどうするんだ。我輩はお前がいないと、その……」
「私がいないと何ですか」
「自分が自分でいられなくなる……鏡に映る姿にいずれ完全に染まってしまう。素性を隠して生きるのなら、いずれそうなる気がする。もしや、それがお前の目的なのか、中尉」
「だからこそ、私はここでお別れです。さて、消えてもらいましょうか」
 修道服のポケットからテリカP2を取り出す。使いなれない銃だが小柄でも使いやすい小型のものなので扱いには困らないだろう。この軽さなら片手でも撃てそうだ。
 引き金を引いて、近くの樹木に銃弾を放つ。
 弾丸の陣風が大将殿の近くを駆け抜ける。
「さあ、消えてください。ショートが作ったクワッド連邦との食糧輸送ルートを使うと良いでしょう。あそこが見つかっていたら、難民に変装して逃げてください」
「どうしてだ、中尉。我輩は二度も貴様を助けてやったのに、昨日インペリアルが墜落した時に、貴様の背中にエマージェンシー・パラシュートを着けてやったのは我輩だぞ。恩を仇で返すとはどういうことだ、権威の簒奪は重犯罪だ!」
「だから恩を返すために愛する大将殿の名誉を守ろうとしているのです。わかっていただけないのなら、あと30秒で視界から消えないと、私はあなたが大将殿を放棄しないものとして、このテリカP2であなたを撃ち抜きます。シャルシンドも見つけて殺してやります」
「そんなの、おかしいだろう!」
 彼女の叫びを引き裂くように、私は銃弾を放つ。弾丸は木にぶつかって跳ね返る。
 周囲の木々には申し訳ないが、しばらく標的になってもらうつもりだ。
「ナルナ中尉!」
「あと15秒です、ハーフィさん!」
 テリカP2の装弾数は9発。すでに3発使ったので残りは6発。
「お願いだ、お願いだから、一緒にいてくれないか!」
「老兵たちはどこに行ったんです。彼らはいずれ死にますから、あなたと一緒にいても問題ではないと思ったのですが、一緒にいるなら彼らがいるでしょう!」
「みんな下に行った。仮面を着けずに銃器はフル装備で、人間を狩りに行った。それも我輩に土下座した後だ。いったいどうなっているんだ、今日のお前たちはおかしいぞ」
 土下座。心の底からの謝罪。
 やはりトラギンが言ったように、老兵全員がアリスタ・アシダと繋がっていたらしい。
 彼らは戦いを望んでいた。アリスタ・アシダの考え出した、大将殿を利用する計画には大きな戦い、すなわちこのニイタカ山の戦いが含まれていたので、老兵たちはそれを最期の戦場にすることを願ったのだろう。
 もっともトラギンが望んでいた大将殿の抹殺が行われていないことから、完全に彼らの指揮下に置かれていたわけではないようだ。もしかするとわざわざセルロン地上軍とエード騎士団の決戦場に突っ込んでいったのは、彼らなりの贖罪、死を持って償うというものなのだろうか。
 全部私の想像だが、不思議と間違っている気がしない。考えてみれば、老兵たちとはドストル攻防戦以来、40年来の付き合いだ。仕事仲間以上の関係にはなれなかったとはいえ、心の奥底でつながっている部分はある気がする。
 たとえば、大将殿に対する崇敬の念とか……。
「あと2秒。1秒。終わりです。撃ちますよ」
 私はテリカの銃口を大将殿に向けた。
 引き金さえ引けば、目の前の女は死ぬ。
「さあ、どうします!」
「撃つなら撃つが良い……いっそ中尉に殺されるのなら本望かもしれない」
 彼女の言葉は意外なものだった。さっきはあんなに怯えていたのに、まるで人格が変わったかのようだ。覚悟ができた、目の前の現実を受けいれたようにも見える。さっきまでのどこか他人事で私のことを諭そうとするような態度とは全く違う。
 いったい何が起きたんだ。
「いいえ、それは嘘です。あなたは生きるつもりです」
「25歳の女性であるハーフィとしてならまだ生きるかもしれないが、死ぬならタラコ・ソースとして死にたい。それを望むのはダメなのか。我輩が死んだ後はお前に任せる。伝記だって好きなように書くといい。あの世で読んでやる」
「あなたを撃った後、シャルシンドを殺しますよ。それでも良いのですか!」
「我輩は中尉を信じている。お前はそこまで狂っていない」
「修道女が、大将殿のフリをするな!」
「確かにフリと言われたらそうかもしれない。素ではないかもしれない。でもこれはわたしの記憶の中からあぶり出したものであって、そこに中尉の言う大将殿はまだ生きているのではないのかね。それを殺して、良いのか」
「私の上官の晩節をこれ以上汚すわけにはいかないんです。それに……あなたが大将殿だなんて認めたくない。大将殿として死ぬことだって認めない。良いからとっとと消えてください。これからの果てしない第2の人生の中で、過去の記憶を消してください。そのほうがきっと楽になれますよ、私も、ハーフィさんも!」
「だったら我輩が再び遺伝子調整手術を受けて、昔の姿を取り戻してから死ねばいい」
「そんなお金がないことくらい、わかっているくせに!」
「稼げばいいじゃないか、これから一生かけて」
 彼女はニッコリと笑った。
 そんな彼女に私は銃口を向けていられなかった。
 拳銃をポケットにしまう。
 不意に近づいてきた彼女に、私の両手は握られてしまう。
「精神が肉体の奴隷だというのなら、肉体を戻せば精神もしかり、そうだろう」
「ダメですよ、そんなこと。もっとダメなんですよ……!」
 私の返答に、彼女は気づいてしまったようだ。
「ナルナ主計中尉……」
「何ですかハーフィさん」
「もしかして中尉は、我輩から今回の戦争の責任を取り去ろうとしてくれているのか。ひいてはこれから先も生きていくために、ハーフィになってしまうであろう我輩から、過去の重責を取り去り、やがて来る良心の呵責とPTSDから解放しようとしてくれていたのか……?」
 彼女の髪がわずかに揺れた。綺麗だ。
 目の前にいる、若く美しい女性から大将殿という足枷を取ることができたら、きっと素敵な人生を送ってもらえることだろう。
 私は私で、愛する大将殿と共に、大将殿として自伝を書いて、大将殿として死ぬことができれば、どれだけの幸せを得られるだろう。
「馬鹿なことを考えるものだ。我輩は今までやってきたことを後悔していない。我輩は我輩なりに生きてきた。それを消し飛ばすつもりなど毛頭ない。英雄になったつもりもなければ、悪人であることを否定する気もない」
「私の好きな人を馬鹿にしないでください!」
「我輩はタラコ・ソースだ。帝国軍の大将であり、シーマ皇帝の忠実なる僕。ハーフィを名乗ってニイタカ山を支配し、愛する夫ノーカト・チゴと愛を育んだ。全てが我輩の人生の中の大事な思い出なのだ。もし我輩がこのまま生き続けて、心の底から今の姿に馴染んでしまっても、認め難いが、それも人生の一部なのかもしれないな」
「大将殿とハーフィは違う人間です、そうでなければならないんです!」
「そもそも一般に言われる『英雄的な生き方』『初志貫徹的英雄哲学』にわたしを当てはめて、くだらない型に入れてしまうことこそ、真の意味で大将殿を殺すことになるんじゃないかしら。ナルナさんはそんな紛い物のわたしが、好きなの?」
 手をぎゅっと握られて、見つめられて、耐えられるわけがない。
 目をそらしながら考える。
「全てが全て、人生の一部か……。中尉。我輩はトラギンから全ての話を聞くことができなかった。あの時、トイレに逃げたのは怖かったからだ。我輩の思い込みが破壊されるのが怖かった。だからトイレに逃げた。だが思い込んでいたこと、違っていたこと、今ではどちらも許せる。これは中尉のおかげだな。なんだかとても晴れやかな気分だ。トラギンからちゃんと話を聞きたい。生きていたらという前提の話だが。我輩たちは本当にやりたいことをやるべきだったんだろうな。本音を言えば、我輩はもう少しだけ、ノーカトの花嫁でいたかったよ。そして帝国軍人でもいたかった。現在の話で言うなら、我輩は中尉と離れたくない。中尉の前ではタラコ・ソースのままでいたい。それが我輩の望みだよ」
「話さないでください、考えられないじゃないですか」
「考える必要などないだろう。本当のことを言えばいい」
「……私は昔の大将殿が好きでした。ハーフィは嫌いです」
「どちらも我輩の人生の一部だ。我輩も……中尉の悪酔いするところは嫌いだ」
 不意にぎゅっと抱きしめられる。
 初秋の日差しに照らされた黒い修道服は太陽の匂いがした。やわらかく、暖かい。
「ナルナ中尉」
「何でしょうか」
「これから日々を暮らしていくうちに、いずれハーフィとしての思い出のほうが大きくなってしまうかもしれない。その時、良心の呵責に見舞われるのなら、それが我輩がやってきたことへの報いなのだろう。量刑が軽いのなら、誰かが我輩を殺すはずだ。だがその日までは我輩はタラコ・ソースとして生きていきたいと願っている。軍人としての自分を恥じることなく生きていくつもりだ」
「……大将殿はこれから何をするつもりなのですか」
「少しばかりの復讐と、配下の兵をまとめるために行った復讐計画は終わった。結果、モデジュ少尉たちは帝国軍から離反した。残念ながら作戦は失敗だ。だが我輩は諦めない。次は資金を稼ごう。ハンクマンにいるジャムル中佐たちと共同でフロント企業を興す。会計は任せるぞ中尉。主計科の意地を見せろ。会社経営で貯めこんだ資金を元にさらに事業を興し、最終的には我輩の身体を元に戻す。そこで全世界に向けて帝国の復活を宣言しよう」
「肝心の皇帝陛下はどうするのですか」
「空位でかまわん。皇帝はシーマ陛下にしか務まらないからな」
「トラギン伍長やモーリードたち、アシダ党はどうしますか」
「偽者の皇帝を担ぐ不届き者は陛下に代わって処刑する。さて、今後のことが決まったところでニイタカ山から脱出しようか。まずはインペリアルからガードボットを取ってきて、あれの背中に椅子でもつけて、シャルシンドと3人で脱出しよう。その前にノーカトの遺灰を取ってこないといけないな……初めての家族旅行がこんな形になるとは……」
 彼女はこれからも帝国軍人として働いていくつもりらしい。
 私から離れる時、彼女は私のポケットからテリカP2を奪った。
「これは返してもらうぞ。ふう。話しすぎてお腹が空いたな。ドストル修道会から何かもらえるといいのだが……問題はチョイスマリーか……」
 来た道を戻り始めた彼女に、私はついていけない。
 彼女が大将殿であり続けるのなら、私にはこの術しかない。
 近くに落ちていた愛銃、ボタキ23を拾い上げて、その銃口をこめかみに当てる。
 私が死ねば、彼女はいずれハーフィそのものとなり、大将殿は純化される。
 大将殿を彼女から取り戻すことができるのなら、命なんて軽いものだ。
 私はボタキの引き金を引いた。

 弾が出ない。
 ジャムだ。排莢不良。
 愛銃よ、こんな時にどうしてまたそんな酷いことをしてくれるんだ。
 私は空を仰いだ。空は広く、遠く、青い。
 遠くの空で巡洋艦が落ちていくのが見えた。あれがエード騎士団の艦なのか、プック艦隊の艦なのかはわからない。どちらにしても戦いは長く続かない気がした。エンドラ・プックは甘くない。アルトもあれから1日を乗り切ったようだが、もうそろそろ限界だろう。
 頑張って死のうと思ったのに死ねなくて、何もかもがどうでもよくなってきた。
 不発だった弾丸で、私が一度死んだものと考えてみれば、それこそ肩の重荷がぐらりと取れたような気分で……力強く背伸びするのがとても気持ちよかった。
 私は駆け出した。
 木を避けて、森を抜けて。
 向かう先はどこでしょうか。
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